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土田 高行
金属資源本部 鉄鉱石部
豪州事業室長
鉱山に関することが趣味と言えるほど詳しくなってしまったと笑う土田高行。先輩から受け継いだ「プロジェクト」というバトンを、より良い形で次へとつなぐことを目指す。
日常では考えられない規模の仕事
三井物産は、世界最大の鉄鉱石生産地である西豪州で5つのジョイントベンチャーに参画。鉄鉱石事業を推進しています。ウエスト・アンジェラスはその5つのうちのひとつ、ローブ・リバーJ/Vが保有する鉱山です。私は各J/Vを専門に担当するチームを通じて現地の5つの子会社を管理すると共に、本社の経営幹部や管理部門をつなぎ、全体を俯瞰して舵取りをする立場です。
鉱山開発は、日常では考えられないほど規模の大きい仕事です。バックグラウンドも専門性も違う無数の人たちが共に働きますから、ワンチームになること、同じ方向を向くことが何より大切です。私はコミュニケーションを重視して、当社、子会社、すべての人が120%の力を発揮できる環境をつくることを考えています。
人数だけではありません。資源ビジネスは、かかる時間、かかる金額、すべてが途方もないスケールになります。たとえばウエスト・アンジェラス鉱山のあるピルバラ地区で最初の鉱山開発は50年前に始まりました。私が生まれる前のことです。当社は何もない荒野にプロジェクトを立ち上げる第一歩から深く関わり、鉱山が発展し、町ができていく、その50年を共に歩んできました。黎明期は、長い間赤字続き。今の投資基準ならとっくに撤退していたでしょう。しかし先輩方がそこで諦めずプロジェクトを育ててくれたから、今がある。私には、先輩方がさんざん苦労して築いてくれた土台の上に立っているという感覚が強くあります。鉱山開発に携わる人はみんなそうではないでしょうか。ですから、受け継いだこのプロジェクトを少しでもよくして、次の人にいい形でバトンを渡したいですね。資源は、掘ればなくなるもの。自分が担当している間に何もしなければ、プロジェクトの寿命が縮まるわけですから。
転機となったパース時代
今になって振り返ってみれば、もちろん最初から仕事がうまくいったわけではありません。力不足を痛感する連続でした。そんな私にとって転機となったのが、入社4年目のパースでの研修でした。研修員でしたから明確な責任があったわけではありませんが、ウエスト・アンジェラス鉱山に何度も足を運び、エンジニアや作業員の方たちと寝食を共にして現場を学びました。それまで先輩たちには何をやっても勝てなかったのですが、現地の人たちを知り、現場の仕事を知り、点と点がつながった。全体像が見えた感覚がありました。仕事の仕方が変わりました。
鉱山開発は、たとえば設備投資ひとつとっても数億円単位、ものによっては数百億円単位というものすごい金額に達します。個人に権限を与えてもらえるレベルではない。規模が大きすぎて、自分一人ができることなんて無に等しいと思いがちです。特に若いうちは。しかし、「三井物産はこうする」というシナリオも最初は誰か一人の着眼から始まっているわけです。その一人でありたいと思いました。現場を知り、調査・分析した人間がいちばん分かっているわけですから。そういう姿勢をまた上司が大事にしてくれたんですね。若い社員を引き立ててくれる。背中を押してくれる。私の上司自身もかつてそうしてもらったのでしょう。この会社の良き伝統だと思います。
私は今管理職ですが、現場の社員には、三井物産として「これをやるべきだ」というシナリオを自分で作り、上司もパートナーも巻き込んでほしいですね。それができるのも三井物産ならでは。そう思って、現場に口を出したいのを我慢しています(笑)。
貫き受け継いでいくもの
鉱山開発というのは本当に奥の深いビジネスです。私の場合、もう趣味の領域ですね。大好きなんです、鉱石とか山並みとか。(ウエスト・アンジェラス鉱山の写真を見て)たとえばほら、ここ、この鉱山の向こう側の稜線。これはブロックマン鉄鉱層の典型的な山並みです。凝り性なんですかね、興味を掘り下げるうちにすっかり詳しくなってしまいました。
資源の仕事は、それだけやりがいのある仕事です。三井物産では、人から人へ、「目立たないかもしれないけど、我々の届けるものが生活・産業の基盤になるんだ」という自負と誇りが受け継がれているように思います。鉱山開発の立ち上げに関わったら、プロジェクトが実を結ぶ前に定年を迎え、後輩に思いを託して引退することだってある。そういう規模の仕事ですから。貫くもの、受け継がれるものがなければならない。そのことと正面から向き合ってきたのが三井物産の資源ビジネス。私は、そう思っています。
2018年1月掲載