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細谷 大

Subaru Automotriz México (出向)
President

人口、1億2,600万人。平均年齢、29歳。若いエネルギーに満ちた国メキシコで、細谷大は「愛すべき悪ガキたち」と呼ぶ仲間と共に新たな市場を切り拓いている。


ブランドをお預かりして育てる仕事

ブランドをお預かりして育てる仕事

私はここメキシコシティで2017年からSubaru Automotriz México(以下SAM)の社長を務めています。もう7年目になります。

SAMは三井物産が100%出資し経営権を持つ会社です。「スバル」というブランドをお預かりし、世界の自動車メーカーの激戦区メキシコで、ブランド価値の向上と販売増加のためにあらゆる知恵を絞り、手を尽くして、考えうる限りの活動を行う立場と言えます。

現地資本のディーラー網づくり、ブランド認知を上げるためのマーケティング、試乗イベントなどのプロモーション、販売員の教育、部品の供給網の構築、さらには最近ではカーローンや保険といったファイナンシャルサービスの提供まで。私たちの果たしている機能は実に多種多彩です。

この業態はいわゆるディストリビューター、すなわち輸入販売代理業と呼ばれるものですが、「代理」という言葉のイメージをはるかに超えて主体的に事業を創り、ゼロから市場を切り拓いている実感があります。

というのも、私が赴任したときスバルブランドは本当に厳しい状況だったんです。スバルのメキシコ市場参入は2006年のこと。三井物産とは別の地場資本の会社が10年間ディストリビューターを務めましたが、残念ながらうまく機能しませんでした。

2016年に三井物産が新たなディストリビューターとなった時点で、月販はわずか100台。なのに在庫が900台、しかも古いモデルの車ばかりが倉庫を埋め尽くしているという状態でした。

そんな状態が続いていたので、2017年に私がこちらに来てまずしたのはとにかく在庫の処理でした。ディスカウント、ディスカウントで古い在庫をなくす。その上で23あったディーラーのうち実に20を解約し、ディーラー網を再構築しました。人も入れ替え、研修も行い、オフィスも変え、部品倉庫もつくり、ほぼすべてを刷新するカタチになりました。

そうして約2年かけようやくビジネスが軌道に乗ってきたんですが、そこにコロナ禍が直撃したんです。ペソの高騰が重なり、売れば売るほど赤字になるという事態に陥ってしまいました。それに耐え、ようやく市場が回復してきたら今度は半導体不足です。一転して受注があるのに在庫がなく売れないという状況ですから。歯噛みするような毎日でした。

そこからひとつひとつ成果を積み上げてきたことを考えると、現在の年間4,000台という販売台数(*2023年実績)は感慨深いものがありますね。スバルというユニークなブランドを、メキシコという可能性に満ちた、けれどハードルの高い市場で育てていく仕事は本当にやりがいがあります。

他と同じことをやっていては規模で負けてしまいますから。知恵の使いがいがあります。

いつも自分の中にある2つの言葉

私は学生時代、バックパッカーをしていました。ルーマニア、トルコ、イラン、パキスタン、インド、バングラデシュ、ベトナム、中国など。大学4年間のうち合計すると1年近くは旅行していました。

三井物産に入社した理由も、「とにかく海外で働きたい!」というだけだったんです。その甲斐あってか、さまざまな国でキャリアを積むことができました。トルコで2年間、イタリアで2年間、チリで半年間、ペルーで4年間。そして今、メキシコで7年目ですから。途中日本に戻りつつではありますが、合計するともう15年になります。

現地にとけこむのは上手い方かもしれませんね。そこはバックパッカー経験が活きているかもしれません。いろんな国籍の、いろんなバックグラウンドの人と仕事してきましたが、いつも自然体でいるようにしています。ここにも社長室なんてないですし。

メキシコの仕事の流儀は、やはり日本とは全然違います。たとえば、ファイナンスの会社って日本では銀行のようなスマートなイメージがありますが、こちらでは「お金を返せないならクルマを取り上げてでも返してもらう!」というようなワイルドさがあります(笑)。想定外の事態も多いです。

過去に経験したことすべてが、今に活きている。ひとつとしてムダなことなんてなかった。ここで働いているとそう感じます。私には、仕事をする上で忘れられない言葉が2つあるんです。仕事の現場で出会った言葉で、どちらもスペイン語なんですが。

ひとつは、“No diga no. Diga sí pero”。もうひとつは、“Paciencia Paciencia Paciencia, Repetir Repetir Repetir”です。

“No diga no. Diga sí pero”はチリ時代に同僚に言われた言葉で、「Noと言うな。Yes butと言え」という意味です。常にポジティブに向き合えってことですよね。すぐノーと言うな。オッケー、だけどね、こういう条件だよ、って言えと。ポジティブに、ポジティブに考えることで仕事が前に進んでいく。この言葉はいつも自分の中にあります。だから今でもできる限りノーとは言わないです。

“Paciencia Paciencia Paciencia, Repetir Repetir Repetir”。これはもう単純で、「忍耐、忍耐、忍耐。くり返す、くり返す、くり返す」という意味です(笑)。私は実はSAMに赴任するにあたり、スバルチリの元社長と契約してアドバイザーになってもらったんです。スバルチリはディストリビューターとして非常にうまくいっていたので秘訣を訊いたところ、「忍耐してくり返す。これしかない」と。

それだけのこと?と思うかもしれませんが、日々の業務を進める上ではとても大きな学びでした。こっちでは、物事を進めるとき怒っちゃうと話が進まなくなるんです。日本では怒ってみせることで話を進めるという一種の駆け引きもあると思うんですが、こちらでは怒ると相手がすねてしまう。

怒りたいときもグッとこらえて同じことをもう一度説明する。それがダメでももう一度説明する。何度でも説明する。おかげですっかり辛抱強くなりました。

赴任直後の厳しい状況、コロナ禍、半導体不足と、これでもかっていうくらいハードな時期が続いたとき、それでも諦めずいつも前を向いてこれたのは、この2つの言葉があったからです。一生忘れないと思います。

「愛すべき悪ガキたち」のために、日本のために

「愛すべき悪ガキたち」のために、日本のために

メキシコに来てからいちばん嬉しかったのは、なんといっても黒字化を達成した瞬間です。こちらに来て4年目のことでした。

メキシコには利益の一定の割合ぶんを従業員に配当する制度があるんですが、その配当を初めて受け取ったときの社員の喜んだ顔が忘れられません。

ここの若手は何て言うんでしょう、「愛すべき悪ガキ」ってキャラの社員が多いんですが、そんな面々がそのときは本当に無邪気に喜んでくれて。自分も彼らも苦労してきた甲斐があったなと思いました。

私が来たばかりの頃はスバルの認知って驚くほど低かったんです。SUBARUとSAABを勘違いして「スウェーデンのクルマ?」って言われるのなんていい方で、白モノ家電のブランドと間違えられたり。1日中メキシコシティの街を走ってもスバル車を見かけることはほとんどなく、たまに見かけたら社員のクルマだったなんてこともありました。

それが今では、毎日数台は必ず見かけるようになりました。街でスバル車と会うとつい目で追っちゃいますね。嬉しくて。

とはいえ本当の勝負はここからです。次の目標は2028年までにシェア1%、年間販売台数1万5,000台。4年で売上を3倍以上にしなければなりません。人材も、システムも、販売網も、オフィスのキャパも、もちろん私自身の能力も、すべてをワンランク上げる必要があると感じています。

なんとしても目標を達成したいですし、将来的にはここで得た知見を活かして三井物産としてメキシコのモビリティ事業を拡げたいですね。スバルを他の国でも取り扱いたいという思いもあります。先へ進めば進むほど視野がひらけて新たなものが見えてきますから、目標も広がり続けます。ゴールはないです。

私の「志」ですか?うーん、真正面から聞かれると難しいですね。共に働く仲間が幸せになれる事業にすること、かな。さっき「愛すべき悪ガキ」と言いましたが、その悪ガキたち全員にハッピーになってほしい。

あとは、そう、国益ですかね。日本の役に立ちたいです。自動車の輸出増加はやはり日本にとって非常に重要ですから。バックパッカーをやって、海外で15年働いて思うんですけど、やっぱり日本が好きなんですよね。

うん、そうですね。「人益」と「国益」。私の場合、これに尽きると思います。

2024年3月掲載