脱炭素社会の実現へ、世界の潮流を聞く
コロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻など、世界が大きな混乱を迎えるなか「脱炭素」への取り組みは足踏み状態になっているようにも見えます。実際、世界の潮流はどこに向かっているのでしょうか?かつて、国際協力銀行で 融資のための環境ガイドラインなどを作成し、現在は三井物産戦略研究所で気候変動問題や生物多様性の資金メカニズムなどの分析をしている本郷 尚シニア研究フェローが解説します。
世界は脱炭素への取り組みを今後も続けていく
——改めて脱炭素社会を目指すべき理由を教えてください。
本郷 気候変動に関する問題は、人間が活動を続けていれば 、いずれ発生する問題であり、こういう局面が訪れたのは必然と言えると思います。というのも、化石燃料や食料生産など、地球の資源を使うことで人間の営みは成り立っている。地球の回復力を超えてその活動を続けていれば、どうしても二酸化炭素などの量が一定量を超えてしまうわけです。それを科学的に分析し、世界各国がカーボンバジェット(炭素排出枠)として認識したのは「IPCCの第5次評価報告書」(2014年)でした。
——それを踏まえ、パリ協定(2015年)では長期目標として平均気温上昇を「2℃」に抑えましょう、できれば「1.5℃」に抑えましょうなど、各種取り組みを制度化して合意したわけですね。
本郷 そうです。それぞれの国の政策や企業など置かれている状況は違いますが、世界全体として取り組まなくてはいけない状況であるということです。
項目 |
内容 |
目的 |
世界共通の長期目標として、産業革命前からの平均気温の上昇を2℃より十分下方に保持。1.5℃に抑える努力を追求。 |
目標 |
上記の目標を達するため、今世紀後半に温室効果ガスの人為的な排出と吸収のバランスを達成できるよう、排出ピークをできるだけ早期に抑え、最新の科学に従って急激に削減。 |
各国の目標 |
各国は、貢献(削減目標)を作成・提出・維持する。各国の貢献(削減目標)の目的を達成するための国内対策をとる。各国の貢献(削減目標)は、5年ごとに提出・更新し、従来より前進を示す。 |
長期低排出発展戦略 |
全ての国が長期低排出発展戦略を策定。提出するよう努めるべき。(COP決定で、2020年までの提出を招請) |
グローバル・ストックテイク(世界全体での棚卸し) |
5年ごとに全体進捗を評価するため、協定の実施状況を定期的に検討する。世界全体として実施状況の検討結果は、各国が行動及び支援を更新する際の情報となる。 |
出典:環境省「平成29年版 環境・循環型社会・生物多様性白書」第2章 パリ協定を踏まえて加速する気候変動対策
——とはいえ、このところ脱炭素化への取り組みを阻害する要因が増えています。コロナ禍では工場が止まって逆にクリーンになったという話もありますが、わかりやすいのはロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー問題です。ドイツが石炭火力を拡大するといったニュースなど、脱炭素化の動きは足踏み状態のようにも感じてしまいます。
本郷 パリ協定で気候変動問題に取り組む合意がなされても、エネルギー不足によって健康を害したり、生活のために経済を維持することが必要だとなれば、そちらを優先することも当然あるわけです。しかし、長期的な視点において脱炭素への取り組みを避けることはできません。
コロナ禍からの回復においては、同じ経済対策を行うなら、気候変動や環境対策を重視した景気刺激策を、ということで「グリーンリカバリー」政策が各国で打ち出されました。現在のエネルギー危機に対しても、安全保障を前提としながら、気候変動対策にも貢献するようなエネルギー戦略が打ち出されることが予想されます。
——つまり、より高度なレベルで脱炭素への取り組みがおこなわれているということですね。
本郷 はい。2022年のG7首脳宣言においても、「脱炭素社会」という目標は変えずにエネルギー確保を図るという内容になっています。もちろん、短期的には逆行・遅延することはあるかもしれません。しかし、脱炭素社会の実現は変わらぬ目標と考えていいと思います。
2022年6月27日にドイツで開催されたG7サミット。気候変動、エネルギー及び健康に関して議論された。
単純比較が難しい日本と他国の取り組み
——先ほど、国や企業によって実情が異なるというお話がありました。その中で、日本はたゆまぬ改善活動を通して、既にある程度の環境問題対策がなされており、そこからさらにCO2排出量を削減するのは不利という話も聞きます。そして、EUは脱炭素社会へのリードが巧みな印象があります。実際のところどうなのでしょうか。
本郷 その話はよく聞きますが、日本とEUとでは道筋が違うので単純比較することができないんです。日本は昔から省エネを進めており、結果的に脱炭素に役立っている。EUにおいては、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー危機への対応として省エネを強く打ち出すなど、日本との共通点もありますが、重要なことは、EUは気候変動対策を産業・経済政策として位置付け、高い目標を掲げて推進していることです。再エネ発電などの投資にも積極的です。
経済学的な観点からすると、CO2の規制(脱炭素)にはコストがかかります。コストを払うということは、それを受け取る人がいるわけで、経済全体では景気刺激策と同じ効果があります。問題は、コストを払う人と受け取る人が同じではないところであり、実際の経済・産業政策上では所得の再配分と捉え、コストを負担する人への配慮が必要になります。EUのアプローチでは、コストを払うのも受け取るのも自分たちである前提で政策を考えているため、脱炭素の取組みは成長の原動力になると考えています。一方、日本はコストを払うことばかりに着目し、受け取ること、つまり経済効果を重視していない印象を受けます。ただ、最近では日本でも脱炭素の取組みが成長の原動力になるという考えが強くなってきているようです。
——では、今後日本が賢く立ち回るためには何が必要だと思いますか。
本郷 お金が投資に回っていない状況を踏まえれば、CO2の問題や気候変動問題におけるルールを決めて、投資が進むようにすることです。日本の企業がこれまでの蓄積や強みを活かせるような投資環境にすれば、企業活動が活発になり、給与も増え、家計も豊かになるという好循環が生まれます。もちろん貿易が前提にあるので、海外からの調達と日本の供給をどう組み合わせていくのが効率的で、また長期的な成長に資するかという点は工夫しないといけません。
CCS(二酸化炭素地下貯留)の技術に日本の優位性がある
——現在、日本政府は「2050年にカーボンニュートラルの実現を目指す」としています。その主な取り組みや実現可能性についてはどうお考えになっていますか。
本郷 ひとつはエネルギー転換への取り組みです。石炭からCO2排出の少ないLNGへとシフトさせていますが、天然ガスではCO2排出量がゼロにはならないため、その先のエネルギーとして、水素やアンモニアが想定されています。
日本では、そういったエネルギーオプションを実現させるための技術開発に取り組んでいます。水素に関して言えば、再生可能エネルギーを用いた水の電気分解により水素を取り出す技術や、メタン(天然ガス)から水素を取り出す際に発生するCO2をCCS(二酸化炭素地下貯留)で地下に固定する技術などに力を入れています。どちらも水素の製造工程で発生するCO2を減らすことのできる低炭素・脱炭素水素であり、CCSを活用することで利用するエネルギーの選択肢を増やすことができます。このCCSは日本が高い技術を持つ分野であり、日本の脱炭素における取り組みの大きな特徴かなと思います。
当社グループの三井石油開発も参画する北海道・苫小牧CCS実証試験の概念図(画像提供:日本CCS調査株式会社)
——どちらにしても、エネルギーに関してはこれまで以上に大きなコストがかかってくるわけですね。
本郷 しかし、それをやることでエネルギー転換や技術イノベーションを推進しようとしています。菅政権時代には、かかるコストに見合う経済成長を図るため「成長に資するカーボンプライス」という取り組みをスタートさせ、そのひとつの政策として「GXリーグ」という、自発的な排出量取引を促進する仕組みづくりがあります。また、「温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度」を改良し、情報開示をきちんとできるようにしようという動きもあります。そういったものが少しずつ進んでいます。
2050年までに排出量実質ゼロという目標には、さまざまな困難が予想されます。コストを度外視すれば実現が可能かもしれませんが、なかなかそうはいかない。一方で、日本単独ではなく世界全体で排出量実質ゼロを目指すわけですので、そうなるとある程度のコストをかけてでも、ネガティブな排出(カーボンネガティブ)を世界全体で創出していくことも重要になってきます。
——ネガティブな排出とは、どういうものでしょうか。
本郷 経済活動によって排出されるCO2を削減するのではなく、大気中から直接二酸化炭素を分離して回収、固定化することで、大気中のCO2量を減らす取り組みです。大規模な植林活動を活用する方法もありますが、日本が期待し、取組もうとしているのは先ほどお話したCCSの延長戦上にあるこの技術です。
——一方で、森林の保護や管理、有機農業によるCO2の固定化。さらには、牛のゲップに含まれるメタンガスを削減する飼料開発など、スタートアップを中心により身近な脱炭素化への動きも生まれていますよね。とはいえ、CCSのような大規模な構想からすると微々たるものでもある。この広がりをどう感じていますか。
本郷 たしかに、CO2排出削減におけるインパクトでいえば、大きなものではない可能性があります。しかし、小さな取り組みはひとりひとりの前向きな気持ちによって生まれています。ですから、意味がないといって否定してしまうのではなく、社会変革のきっかけにつなげていければと考えています。その中から大きなイノベーションが生まれる可能性もあります。また、脱炭素化にかかるコストというのは、最終的に負担するのは消費者です。その賛同を得るためにも、身近な動きにも高い関心を持つことが大事だと思います。
サーキュラーエコノミーへの取り組みも必然の課題
——サーキュラーエコノミー(循環型経済)についてはどうお考えですか?
本郷 サーキュラーエコノミーもまた、重要な取り組みのひとつです。その理由は、冒頭でお話した「脱炭素社会を目指すべき理由」と同じく、人間の生活や経済はすべて自然の中にあるもの、つまり自然資本を利用することで成り立っているわけです。それは農業も同じです。自然資本も大量に使い過ぎれば、地球の供給能力を超えてしまいます。我々はその限界に近づいてしまった。ですから、限られた自然資本を有効に活用するサーキュラーエコノミーもまた必然なんです。
循環型経済の主な例としては、再生紙やペットボトルのリユース、貴金属の回収と再利用などがあげられます。貴金属に関しては、廃棄された電子機器の中にあるものを回収し、東京オリンピックのメダルを作製したことで有名になりました。廃棄された電子機器の山積は、都市鉱山とも言われていますよね。
ここで見落としてはいけないのは、サーキュラーエコノミーがきれいに循環するためには、「資源を抽出・回収する技術」があり、「回収ルートが確立」されていて、「十分なストック」があるという3つの条件が満たされた場合です。ストックが増えてきたという意味では、今後、戦略物資でもあるレアアースやレアメタルにも注目していきたいです。
——脱炭素への取り組みも、サーキュラーエコノミーも、先進国が中心になって頑張っているという状況です。本来は世界全体で取り組まなければいけないわけですが、現在の意識の違い、取り組みの違いというのはどれくらいあるのでしょうか。
本郷 SDGsまで含めれば、その違いは多種多様だといえます。しかし、気候変動対策に限れば、意識が高いか低いかのふたつしかありません。そもそもCO2排出がわずかな国があります。また、脱炭素のためのコスト負担が厳しいという途上国もあります。そういった国々をいかに巻き込むかという例では、ICAO(国際民間航空機関)の取り組みが参考になります。彼らは2020年以降、国際線の航空においてCO2の排出量を増やさないという目標を定めました。そして、2021年より自発的に参加した国からまずはスタートさせています。しかし、その時点でCO2排出量の約8割をカバーしているわけです。3年ごとにフェーズを増やし、最終的にはすべての国が参加するように促していく。このように、すべての国の足並みが揃うのを待つよりも、まずはやれるところからやることが大事だと思います。
その他、EUでは「国境炭素税」を検討しているところです。排出コストを払っていない輸入品に関しては、EU国内で製造した製品と同じだけのコストを、関税のような形で徴収して競争力を同じにするという考え方です。他国の反発もありますが、このような形で意識の低い国や事業体に、脱炭素への意識付けを行っていくこともまたひとつの方法です。
——最後に、日本が今後強化していかなければならないことはどんなことでしょうか?
本郷 日本が苦手としているのは、技術を活かすための市場環境整備、中でも規制やルールの形成だと思います。そこに関しては、政府もASEAN各国と協力しながら力を入れているので今後に期待していければと考えています。
三井物産戦略研究所 国際情報部 シニア研究フェロー。
2011年から三井物産戦略研究所。1981年日本輸出入銀行(現国際協力銀行)入行。特命審議役環境ビジネス支援室担当などを歴任。旧経済企画庁、旧日本興業銀行に出向。国際排出量取引協会理事、ICAO CORSIAタスクフォース、ISO TC207(Carbon Neutrality)、ISO TC265(CCS)などに参加。文部科学省・環境エネルギー科学技術委員会、環境省・CO2削減事業検証評価委員会、NEDO技術委員、各種委員会・研究会などに多数参加。獨協大学経済学部非常勤講師。
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