途上国vs先進国だけの話じゃない。「気候正義」のために今の日本でできること
気候変動がもたらす不公平をただす「気候正義」の重要性を探ります。気候難民、再エネ・省エネの推進、未来世代への責任などについて考え、国や私たち一人ひとりがなすべきことを明日香壽川教授に伺いました。
人為的な気候変動の影響が拡大していく中、被害と対策をめぐって不公平な状況があります。それを是正しようとする考え方が、「気候正義(Climate Justice)」です。
気候変動の原因となる温室効果ガスを大量に排出している先進国と、排出量は少ないにも関わらず被害ばかりが大きい途上国が、どのように公平性という点で納得しえるのか、あるいは納得しえないのか。環境科学者の明日香壽川さんに、気候正義の現状と、日本政府および私たち国民の役割についてお聞きしました。
問題は「均しくないこと」
明日香 気候正義は、日本ではまだなかなか認識されていないですね。気候正義という考え方が生まれた背景には三つの不公平があります。
一つ目は、途上国と先進国との間の不公平です。途上国に住む人々は、先進国に住む人々に比べて温室効果ガスの排出量が少ない生活をしているのに、より多くの気候被害を受けています。二つ目は、同じ国の中の不公平です。例えば、富裕層の人たちは、他の層の国民に比べてより多くのCO2を排出します。三つ目は、未来世代(将来世代)への不公平です。現世代が排出したCO2の影響を受けるのは、どうしたってこれからを生きる若い人や未来の人たちです。
論語に「人間は少ないことを憂うのではなく、均しくないことを憂う。だから良い政治を行うには公平性の実現が必要」という一節があります。本当にその通りですよね。みんなが同じように貧しければ文句は言わないけども、一部の人だけが贅沢な暮らしをしていて他の国民が貧しかったら、やはり社会は安定しないでしょう。不正義と不公平は必ずしも同じではありませんが、不公平な状況は是正する必要はあると思いますし、そのような事実や問題意識をもっと広く伝えたいです。
明日香 壽川(あすか・じゅせん)
1959年生まれ。東北大学東北アジア研究センター、同大学院環境科学研究科教授。東京大学農学系研究科大学院(農学修士)、東京大学工学系研究科大学院(学術博士)、INSEAD欧州経営大学院(経営学修士)。京都大学経済研究所客員助教授などを経て現職。著書に『グリーン・ニューディール 世界を動かすガバニング・アジェンダ』(岩波新書)他多数。
もうここに住めない。気候災害で脅かされる人権
—— 気候正義の議論では、人権問題も一緒に議論されますね。
明日香 そうですね、基本的人権そのものはよく知られていると思います。どんな人間も生まれながらにして持つ権利で、日本国憲法では、健康でいる権利や文化的な生活を送る権利も書かれています。今、世界では、気候災害の被害を受けることは人権侵害という考えのもと、多くの気候訴訟が起きています。
途上国の場合、先進国に比べると、気候災害に対して脆弱です。豪雨などで住居環境を簡単に失ってしまうことが多くあります。海面上昇も深刻です。なので、バヌアツ共和国やツバルなどの小島嶼国が、大量排出国や排出企業を国際司法裁判所などに訴えています。先進国でも、国民が政府の気候変動対策が不十分だと訴えています。気候災害が深刻化する中、最近は国や企業による人権侵害を認めるような判決が出るようになっています。
しかし日本においては、これまでの気候変動問題が絡んだ4〜5件の訴訟では、人権侵害という原告の主張を認めるような判決はまだ出ていません。残念ですが、日本の裁判所はまだ、気候変動が人権問題に繋がっていると認識していません。大きな理由の一つとして、日本は他国と比べると気候変動の被害を実感しにくいため、議論が盛り上がらないこともあるように思います。
近年、夏の異常な暑さが話題になります。しかし、暑さが落ち着いた頃にはもう忘れられてしまう。日本では、まだ大規模な干ばつや洪水は発生していません。カリフォルニアのような大規模な森林火災もないです。欧州や米国のように、環境難民が逃れて来たり、気温が40度以上を記録したりするようになれば、問題をより身近に考えるようになるでしょう。
しかし、日本では、地理的・自然環境的にある意味恵まれているので、そのような状況にはなっていません。なので、メディアも含めて気候変動問題に対する関心はどうしても低く、それが裁判にも影響しています。
明日香 気候難民とは、住む家や場所を離れなければならないような気候災害を受けた人々のことです。しかし、国際難民条約の中にある「難民」の定義の中に、戦争や政治的迫害といった理由は含まれているものの、気候変動などの環境要因は含まれていません。そのため、例えば海面上昇に悩むツバルの人が、ニュージーランドやオーストラリアに難民申請をしても断られてしまいます。それに対して、人権侵害だとして訴えるケースも発生しています。
国連によると、気候変動難民の数は年間2千万〜3千万人です。ただし、これは国内で避難あるいは移動した難民の数であり、このうちのどれだけの人が国外に出るかはデータがありません。いずれにしろ、このままCO2などの温室効果ガスの排出が続けば気候変動難民の数が増えることは確かで、世界銀行は2050年には数億人に上る可能性があるとしています。
公平な削減目標とは?
—— 不公平の是正のために、先進国はどうすべきでしょうか。
明日香 先進国は、基本的には今の生活スタイルを変えたくないので、温室効果ガス排出削減には消極的です。なので、国際会議などで途上国側が要求していることは、経済的対応、つまりお金による補償あるいは賠償です。これは、世界に格差が存在している限り続いていく対立の構図でしょう。先進国はできるだけ排出責任を追及されないようにしていますが、途上国での被害はすでに深刻なため、今、途上国側は明確に賠償という言葉を使うようになっています。
温室効果ガス排出を減らないのであればお金を出すようにと要求された先進国側は、2022年のCOP27でようやく「損失と損害」という資金援助の仕組みづくりに合意し、損失を与えているという事実や責任をある程度は認めました。しかし賠償という言葉は避けていますし、具体的な支援内容も未定です。
明日香 気候変動問題において、対策の公平な分担(負担分担あるいは努力分担)の実現は最も難しい問題です。パリ協定の1.5度目標を達成するために、世界全体に残されたカーボンバジェット(温室効果ガス排出量の上限)は400ギガトンです。気候変動問題の本質は、この400ギガトンを現世代の間および現世代と将来世代の間でどう分けるかです。
今の日本政府の温室効果ガス排出係数値目標(NDC)は、「2035年までに2013年比で60%削減」です。しかし、これに対しては多くの研究者や環境NGOは不十分だとしています。日本政府は「日本の目標のパリ協定の1.5度目標達成に整合的」と主張しています。しかし、その理由は「カーボンバジェットの分配方法には国際合意がないから」というものです。これは「自分たちが正しいと主張すれば正しい」という勝手なロジックであり、国際社会には通用しません。
先ほどの人権問題で考えれば、やはり多くの人が公平だと納得するのは「一人ひとりに温室効果ガスを均等に排出する権利を持たせる」という分担方法です。端的に言えば、家族でクリスマスケーキをどう切り分けるかという問題と全く同じです。多くの家庭が、人数分で均等に分けるという案で最終的には落ち着くのではないでしょうか。
それで、パリ協定の1.5度目標を達成するカーボンバジェットを世界人口で割ると、日本を含めた多くの先進国は、2030年までに100%以上の温室効果ガス削減が必要になります。もちろん、2030年までに100%以上削減というのは事実上不可能です。しかし、少なくとも現在の日本政府の目標数値は明らかに不十分と言えます。また、それくらいパリ協定の1.5度目標を達成するためのカーボンバジェットは小さいということでもあります。こうした事実や具体的な数値を政府やメディアは取り上げないので、ほとんどの人が知らないです。
豊かさと幸せ、そして地方創生のために
—— 国際社会の目標達成に向けて、企業がすべき事は何だと思われますか。
明日香 温室効果ガスの経済合理的な排出削減方法は、基本的に省エネと再エネの二つです。省エネでどのくらい減らせるか、あるいは太陽光や風力などCO2を出さない再エネをどのくらい増やせるのか。私たち「未来のためのエネルギー転換研究グループ」(*)が考えているエネルギーシナリオモデルでは、電力供給に関しては、これ以上メガソーラーを設置することはせず、主にパネルを屋根に置く太陽光発電と営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)、そして、風力発電の活用を想定しています。発電コストが高く、リスクも大きい原発は想定していないです。そのようなエネルギーミックスの場合、2035年の日本全体および地域にどのような経済的な便益、例えばエネルギーコスト削減、雇用創出、地域での資金循環などがあるかを明らかにしたレポート(
グリーントランジション2035 )を昨年発表しました。
メガソーラーなしでも、太陽光発電のポテンシャルはまだまだ大きいです。例えば日本の住宅で太陽光パネルを乗せている屋根は、まだ8%ほどです。これを20〜30%に増やせば、それだけで原発数基分の発電量になります。ソーラーシェアリングも、耕作放棄地が増えている中で、農業再生と地方創生という二つの意味で非常に重要です。最近はビニールハウスの上にソーラーパネルを立てることも進んでいます。計算上では、今すでにあるビニールハウスの1/3をソーラーシェアリングにすると、原発1基分の発電量を得られることになります。建設費用は約9000億円です。原発1基を作るために必要な十数年という時間や数兆円にもなる可能性がある建設費用を考えたら、どちらが現世代および次世代のためになるでしょうか。
*「未来のためのエネルギー転換研究グループ」は、日本におけるエネルギー・ミックスや温暖化問題を専門とする研究者などから構成される。エネルギー転換による脱原発と脱温暖化をめざしている。
明日香 世界における再エネ、例えば太陽発電のコストは、この10年で1/10程まで下がりましたし、蓄電池も1/3〜1/4まで安くなりました。日本でも安くなっています。化石燃料や原発に投資するよりも、再エネ・省エネへ投資したほうが、個人レベルでも電力システム全体でも経済合理的であることを、いろいろな研究機関が明らかにしています。地域や国内で再エネをつくり、お金を地域内あるいは国内で循環させるほうが地方創生にも国富流出回避にも貢献します。私たちも研究者として、その重要性をもっと発信しなければと思っていますし、特に政治を動かす人たちにはよく理解してもらいたいです。
—— 国や企業がそうした方向に進みやすいよう、個人ができることはなんでしょうか。
明日香 再エネもですが、省エネも取り組めることはいろいろあります。日本の家庭の場合はまず断熱ですね。ここ数年でやっと断熱基準が強化され、私も個人的に自宅マンションに内窓を付けました。約60万円の費用のうち、国と東京都の補助金が合わせて40万円程になったので、個人出費は20万円程でとても快適になり、光熱費も下がりました。気候変動対策には、省エネ機器や電気・電動自動車を使うことは必要不可欠で、それを促す国や地方の制度も必要です。省エネは、個人レベルでも国レベルでも、結果的には「儲かる話」であることを理解してもらいたいです。
あと冒頭で、気候正義の三つ目として未来世代に触れました。「声なき人の声を聴く」という民主主義的な意味でも、長期的な視点を持つという意味でも、未来世代のことを考えるのは非常に重要です。直接的に気候変動対策の必要性を語るのではなく、未来世代の権利について議論することで現状を良い方向に変えられるかもしれない。私自身はそう感じて、さまざまな活動をしています。
お手本は、2015年にイギリスのウェールズで制定された「未来世代ウェルビーイング法(Well-being of Future Generation Act)」という法律です。これによって、政治家や公務員が、政策を作ったり実施したりする際に、必ず未来世代の豊かさや幸福を考えることが義務化されました。実際にウェールズでは、政府が高速道路を作ろうとした際、この法律をベースにした議論の末、取り止めに至りました。今、世界では同様な法律を15以上の国・地域が導入しようとしています。
なので、日本にも導入しようと考えていて、そのために議員や市民団体の方々といっしょに奮闘しています。言うまでもなく、多くの問題は、人間が目先のことしか考えないことから始まっています。なので、このような新しい考え方や法律が社会を良い方向へ変えていくことを期待します。
気候正義も未来世代法も、現世代の豊かさや幸せを否定するものではありません。しかし、実際には、今、少なくとも経済的な豊かさは、一部の国、一部の企業、一部の国民に偏っていて、その傾向はますます強くなっています。そのような人たちは、旧来のエネルギーシステムを維持し、既得権益を守ろうとします。再エネや省エネを導入し、途上国や未来世代のことを考えるのは、結果的には、現代に住む私たちの多くを物質的にも精神的にも豊かにするものと確信しています。
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