脱炭素を日本の「当たり前」にする ―― 政策と現場をつなぐ「もったいない」の力 - Green&Circular 脱炭素ソリューション|三井物産

コラム

最終更新:2026.05.22

脱炭素を日本の「当たり前」にする ―― 政策と現場をつなぐ「もったいない」の力

2025年に提出された温室効果ガス削減目標(次期NDC)では、2035年度60%、2040年度73%という野心的な目標が掲げられた。サプライチェーン排出量算定のガイドライン改定や、2027年3月期からのサステナビリティ情報開示の段階的義務化など、制度整備は着実に進んでいる。

 しかし社会実装の現場では、「何のためにやるのか」が腹落ちしないまま算定だけが目的化する、逆説的な現象も起きている。「脱炭素とは、無駄を減らすこと」――そう言い切る環境省の小野氏と山口氏に、e-dash代表の山崎が、制度と現場のギャップ、日本ならではのバリューチェーン変革の可能性、そしてそれぞれの志を聞いた。

「前提条件」になった脱炭素、その先にある課題

山崎:脱炭素の領域はこの10年、特にここ4〜5年で大きく変わりました。環境行政に携わられる中で、特に変化を感じる点はどこでしょうか。

小野:2020年のカーボンニュートラル宣言以降、欧州の炭素国境調整措置(CBAM)のように「脱炭素に対応しなければ市場から排除されかねない」という圧力も強まり、脱炭素が企業操業の「前提条件」になりつつあるのが大きな変化です。また、ホルムズ海峡の問題など、これまで遠い将来の話と思われていたレジリエンス(強靭性)の問題がより身近になり、脱炭素の必要性を実感する場面が増えています。

山口:「カーボンニュートラル」という言葉を国民が知り始め、「どう取り組むか」が企業内で具体化してきた実感もあります。今回の事業のキーワードである「バリューチェーンでのエンゲージメント」の通り、サプライヤーや中小企業も含めて脱炭素を考える時代になっています。
小野 裕永|おのひろなが
小野 裕永|おのひろなが
環境省 地球環境局 地球温暖化対策課 脱炭素ビジネス推進室 室長
2002年トヨタ自動車入社。工場のエネルギーインフラ、生産設備の開発、設備導入計画を担当。2015年~は「トヨタ環境チャレンジ2050」の工場CO2削減を推進。その後、アメリカに赴任し、アメリカの工場CO2削減計画も担当。帰任後は、グローバルの工場CO2削減計画の企画、電動車普及に向けた技術開発などを担当。2025年7月より、環境省脱炭素ビジネス推進室室長に着任。
山崎:2020年の宣言から5年半。ここまでの取り組みをどう評価されますか。

小野:大企業では脱炭素がビジネスの前提として定着しました。グローバル企業には欧州の規制、国内企業にはサステナビリティ基準委員会(SSBJ)や排出権取引スキーム(ETS)が効果的に働いています。ただ、中小企業へはまだ少しずつ浸透している段階で、全員がしっかり取り組むところまでは至っていません。
山口 明弘|やまぐち あきひろ
山口 明弘|やまぐち あきひろ
環境省 地球環境局 地球温暖化対策課 脱炭素ビジネス推進室
株式会社リコー入社。3D設計推進支援、ものづくり改善コンサル立ち上げなどを経験。2012年からコミュニケーション事業を担当。コミュニケーションから始める働き方改革をお客様へご提案。社内外のセミナー講師も数多く経験。
2020年からお客様にSDGsを啓蒙する活動を開始。その後、脱炭素ソリューション事業立上げに参画、セミナー講師、研修講師、中小企業の脱炭素経営を支援。2025年4月から現職。

算定が「目的化」する罠 ―― 現場の壁

山崎:各種ガイドラインが公表される中、企業は現在どの程度取り組めている状況でしょうか。

小野:大企業の再エネ導入は進みましたが、バリューチェーン全体で見ると、まだ「算定を始めた段階」で、どう減らすかはこれからという状況です。特に材料由来のCO2は非常に大きく、これをグリーン化するにはコストがかかるため、進め方が大きな課題です。

山口:現場では、脱炭素がまだ「コストがかかるもの」と捉えています。実際、算定には労力がかかりますからね。
ただ、「何のために算定しているのか」が腹落ちしないまま進んでいるケースが多い。取引先からの要請という外発的動機だけしかなく、自社のモチベーションになっていない。そうすると目的がぼんやりして、算定作業自体が目的化してしまいます。
また日本人はまじめなので、必要以上に細かく算定してしまう傾向があり、より疲弊してしまう。そこは変えるべきだと思っています。
山崎 冬馬|やまさき とうま
山崎 冬馬|やまさき とうま
e-dash株式会社 代表取締役社長
三井物産株式会社に入社後、主に電力等のインフラ事業の新規案件開発及びM&Aを担当。2015年に米シリコンバレーに駐在し、エネルギーやモビリティ等のクリーンテック分野でのベンチャー投資・事業開発を担当。帰国後、e-dashの事業を企画・立案し、2022年のe-dash株式会社の設立と同時に代表取締役社長に就任。
山崎:私も「脱炭素経営はコストではなく投資」とお話しするのですが、中小企業は取引先の要望に応える意識が強く、算定等を追加コストと捉えがちです。大企業はもうその意識を乗り越えていますか。

小野:いえ、恐らく同じだと思います。ただ、ETSや炭素賦課金が始まる中、CO2排出量が多いままでの企業運営はコスト増に直結します。将来的な炭素コストを下回るコストで脱炭素化できれば競争力は上がり、ビジネスのオポチュニティ(機会)になります。
現状、単に素材をグリーンなものに置きかえるだけでは、炭素コストを上回る費用がかかってしまいます。だからこそ、サプライチェーンが一体となって、CO2と製造コストを同時に引き下げるような一歩踏み込んだ連携など、企業独自の取組がこれからの競争力に繋がるはずです。

山口:やらされ感で進めても自分事にはなりません。企業も脱炭素を前向きに捉え、「嬉しさ」や「喜び」に繋がる取り組みにしていってほしいし、そうできると思っています。

「すり合わせ」こそ、日本の脱炭素戦略

山崎:中小企業はどうしても目の前の利益を優先しがちで、SSBJの開示義務化も「自分たちには関係ない」と思っている層が多いのではないでしょうか。

小野:中小企業にリソースがない実情は我々も理解しています。脱炭素というと真っ先に省エネが浮かびますが、エネルギー費が原価に占める割合は小さいのでリソースを割きにくい。
だからこそ、省エネだけでなく、コストが逼迫しているなら生産性を上げられないか、材料の歩留まりを改善できないかといった経営課題も含めて対策を考えたほうが取り組みやすいです。
例えば、算定のためにサプライチェーンの連携を強化したことで、製品設計が見直されて部品製造の取引先の歩留まりが良くなるなど、結果的にコスト削減と脱炭素の両方に効くメリットが出てくるはずです。
大企業が果たす役割も大きいです。取引適正法や独占禁止法への懸念から仕入れ先支援を安全側に振りがちですが、もう一歩踏み込めれば脱炭素製品のコストを下げられる可能性がある。
また別のアプローチとして、手作業が多い中堅・中小企業にDXやAI、ロボット化を導入すれば、脱炭素と生産性向上の余地が生まれます。脱炭素を入り口に、企業の競争力強化に繋げられるはずです。

山崎:仕入れ先の非効率を支援して改善する方向と、そういうところから仕入れないという方向があると思いますが、後者は難しいということでしょうか。

小野:そこは日本の良さだと思っています。欧米は使えないところをばっさり切りますが、日本は伴走支援で企業を育ててきた。日本の企業は仕事が丁寧ですし、切るのではなく、巻き込んで変革していくことが、日本独自の脱炭素の勝ち筋になるはずです。

山口:そもそも「バリューチェーンエンゲージメント」は脱炭素の専門用語ではなく、「関連企業が一緒になってよいものづくりをしよう」という基本姿勢のことです。一緒になって、材料の歩留まりを改善し、生産工程を見直す、コストを下げる、品質をよくする。そうした「いいものづくり」の取り組み自体が、結果的に脱炭素に繋がっているのです。
山崎:理想はその通りですが、現場の調達担当は1円でも安く仕入れる交渉をしており、「算定にもコストをかけて、CO2も減らせ」と言うと「じゃあ高く買ってくれるのか」となる現実もありそうです。

小野:そこがまさに日本の強みだと思っています。日本が製造業で世界トップを走れたのは、「すり合わせがうまい」文化や国民性があったから。最近はコモディティ化ですり合わせが不要になり製造業が厳しくなっていますが、仕入れ先を切るのではなく、すり合わせ文化で「どうすればお互い一番いいものづくりができるか」をしっかり追求する。モデル事業で目指すのも、日本が脱炭素において強みを発揮できるこの部分です。

山口:単に相見積もりで安い方を買うのではなく、ずっと一緒にやってきた企業とお互いにアドバイスし合いながらコスト削減を図る。これが日本ならではのものづくりの手法であり強みです。その上に脱炭素が乗ってくる。本当に「日本ならではの脱炭素」だと思います。

「脱炭素と呼ばない脱炭素」を、当たり前にする

山崎:今回の事業も含め、いまどういう打ち手を考えていらっしゃいますか。

小野:現在、消費者に脱炭素製品を選んでもらうための仕組み作りについて検討会を開いています。食品のカロリー表示のように、CO2削減への寄与が分かる目印がないと消費者には選びようがありません。ただ、表示自体が企業の負担になる側面もあるので、企業が前向きに取り組めるようなインセンティブ設計とセットで進める議論をしています。
また、算定そのものが企業のコストになっていることを鑑みて、いかに自動化・AI化してコストを最小化するかも考えています。正直なところ「これをやれば全部解決」というものではないので、全方位的に攻めていきます。
他にもサプライチェーン連携強化も重要な取組になります。ある企業から伺ったのですが、仕入れ先支援に行った際「こんなに不良率があったのか」と驚いた事例があったそうです。サプライチェーンのなかでも、相対する取引企業からは見えていない部分は多い。こうしたところを連携の中でしっかり改善できればと思います。
地域連携も重要で、リサイクルや再エネの地産地消ができれば最適です。手厚い支援や地元に根ざした連携といった日本人の強みを活かし、世界的に見ても優れた脱炭素を実現したいですね。

山口:地産地消はこれまで地域活性化のキーワードでしたが、実は脱炭素にも繋がっています。「脱炭素と呼ばない脱炭素」の取り組みは、これまでも様々あったんです。 日本人には馴染み深い「もったいない」という言葉も、脱炭素とすごく相性のいい考え方です。脱炭素という概念が出る前からあった「もったいない」への取り組みが、実は脱炭素に繋がっているんです。

バリューチェーン全体での脱炭素化に向けた令和8年度の取組

山崎: 今年度の事業についてお伺いできればと思います。特にバリューチェーンの連携や業界ルールのところ、そして今回新しく始まった「新たな再エネ導入モデル」の狙いや期待についてお聞かせいただけますか。

小野:バリューチェーンでの連携のあるべき姿については、しっかりいいモデルを作りたいという思いがあります。成功事例ができれば真似しようという企業が出てくると思うので、そういったところをしっかり作っていきたいですね。
これまでは制度の策定や算定の支援など、ルール化する段階まではやってきました。ただ、これからはもう一歩進んで、いかに実際の削減まで繋がるようにするか、また、なるべくコストミニマムな算定を取れるようにするかというところを少しずつ詰めていきたいと考えています。今年度以降のモデル事業では、そういった部分をより深掘りしていければと思っています。

山崎:新たな再エネ導入モデルについてはいかがでしょうか。

小野:再エネ導入に関しては、釧路で大規模な再エネが環境問題になったという背景もあり、なるべく環境への負担や負荷の少ない「屋根」を積極的に活用したいという意図があります。置けるポテンシャルがある場所には、しっかり置いていけるような仕組みづくりを進めたいです。
現状のPPA※は、与信の問題などがあって、小さな企業にはなかなか屋根のパネルが普及しないという課題もあります。そこに対して、いい仕組みづくりができればと考えています。
※Power Purchase Agreementの略称で、「電力購入契約」 や 「電力販売契約」のこと

【令和8年度 バリューチェーン全体での脱炭素化推進モデル事業の概要】

目的
バリューチェーン全体での連携を通じてScope 3排出量の削減を促進することを目的としています。特に中小企業への浸透を図るため、統一的な算定やエンゲージメントの枠組みを構築するとともに、デジタル技術を活用した算定および1次データ取得の効率化・自動化を推進します。

実施内容
・個別VC支援:取引先企業への意識醸成、算定支援、削減目標・計画づくりの具体化を支援。
・業界団体・企業群支援:業界共通の算定・1次データ取得ルールや、エンゲージメント方針の策定を支援。
・バリューチェーンの脱炭素化に資する新たな再エネ導入モデルの構築支援

詳細
「バリューチェーン全体での脱炭素化推進モデル事業」への参加企業・支援機関及び業界団体等の公募につい


説明会のご案内
参加企業・支援機関及び業界団体等の公募に関するオンライン説明会

本事業に関するお問い合わせ先

バリューチェーン全体での脱炭素化推進モデル事業事務局(e-dash株式会社)
Mail:R8VC@e-dash.io

志 ――「脱炭素と意識しない脱炭素」のために

山崎:最後に、おふたりの志をお聞かせいただけますか。

小野:日本ならではのやり方で、この脱炭素化をきっかけにして日本の産業がもっと盛り上がるようにしたい。脱炭素化は入り口に過ぎず、結果として日本の競争力強化に繋がっていきますし、日本にはそういうポテンシャルと国民性があるはずです。
これからの脱炭素社会では、生活のあちこちで負担を感じる場面が増えるかもしれません。それでも、こうした理由で若い世代の可能性を狭めてしまうのは寂しいように思います。モノやサービスを通じた豊かな経験を諦めることなく、皆が楽しみながら色々なことにチャレンジできる未来を残していきたいと思います。
小野 裕永さんの志
山口:最近、「脱炭素とは無駄を減らすことです」とよくお話ししています。 省エネも無駄なエネルギー使用を減らすことですし、捨てる物を減らす、食べ残しを無くす、材料の歩留まり改善も、すべて無駄を減らすことです。そしてこれらのほとんどは、自分自身のトクや企業の利益向上に繋がります。だからこそ、脱炭素だけを切り取らず、昔からある「もったいない」「無駄を減らす」という日本らしい考え方へつなげていきたい。
脱炭素を意識しなくても、いつもやってきたことが結果的に「これって脱炭素になっているね」となる世界観を作っていくのが私の志です。「国民の嬉しさ」「企業の嬉しさ」に繋がる取り組みにしていきたいですね。
山口 明弘さんの志
山崎:今日のお話を伺って、改めて脱炭素は「日本ならではの強み」を発揮できる領域だと感じました。「すり合わせ」の文化、「もったいない」の精神、地域連携。これらはもともと日本の産業と社会が持っていたDNAです。
それを脱炭素という文脈で再発見し世界へ発信することが、これからの日本の競争力に繋がっていくのですね。 e-dashとしても、算定の自動化やバリューチェーン連携の現場で、その実装の一助となるよう取り組んでいきます。

本日はありがとうございました。

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