おいしさ・経済性・環境価値をつなぎ、 サステナブルな食肉を消費者に届ける――未来の食卓作り
環境価値の可視化や削減目標の策定が全産業的な潮流となる中、一際複雑なサプライチェーン構造を持つのが「食肉業界」だ。Scope3が全体の99%を占め、生物由来の排出プロセスを持つこの領域において、 実効性のある脱炭素アプローチをいかに導き出すのか。
e-dash代表の山崎冬馬氏が、スターゼン株式会社のサステナビリティ推進室室長・脇坂努氏 を迎え、生産現場のリアルなジレンマと、未来の食卓を守るための協調のあり方を紐解く。
食肉業界における脱炭素の実態と、見えざる課題
山崎:さまざまな業界で脱炭素に向けた「可視化」や「削減」の動きが加速していますが、食肉業界におけるアプローチは、他業界のビジネスパーソンにとって最もイメージが湧きにくい領域のひとつかもしれません。 製造業やIT産業であれば、自社工場やオフィスなどのエネルギー代替、つまり Scope1・2から着手するのがセオリーです。
しかし食肉業界のマクロデータを見渡すと、日本の畜産分野における温室効果ガス (GHG)排出の約8割が牛(乳用牛・肉用牛)に起因しており、その本質は「生物の生命活動」そのものにあります。※温室効果ガス排出量は、2025年度。
こうした他業界との圧倒的な排出構造の違いや、一社単独では解決し得ない構造的課題の実態について、まずはスターゼン様の事業特徴を交えてお聞かせください。
脇坂 努 | わきさか つとむ
スターゼン株式会社 経営本部 経営企画部 副部長 兼 サステナビリティ推進室室長 サステナ経営検定1級、脱炭素アドバイザーベーシック、LCAF初級検定試験。同業界から中途入社後、営業推進・販売促進部門を経て、5年ほど前に新設されたサステナビリティ推進室の初期メンバーとして着任。現在は環境・人権・ガバナンスを含む同社のサステナビリティ全般を統括する。
脇坂:当社は食肉や食肉加工品全般を取り扱っていますが、主軸は国内外から牛や豚を仕入れ、自社工場で加工してバリューチェーンの下流へお届けするBtoBをメインとした食肉卸売事業です。国内シェアは牛肉・豚肉ともに約10%を占め、売上高は4,400億円を超えます。
全国に工場を展開していますが、最大の特徴は、牛や豚の「と畜・解体」から、消費者に近い「テーブルミート(製品化)」までを一貫して担う全直結型のシステムを保有している点にあります。
このバリューチェーンの長さゆえに、私たちが日々直面しているのが、食肉業界の脱炭素は「一社では解決できない構造的課題だらけである」という冷徹な現実です。
山崎:「一社では解決できない」という言葉の背景には、具体的にどのようなデータや構造が存在しているのでしょうか。
山崎 冬馬|やまさき とうま
e-dash株式会社 代表取締役社長
三井物産株式会社に入社後、主に電力等のインフラ事業の新規案件開発及びM&Aを担当。2015年に米シリコンバレーに駐在し、エネルギーやモビリティ等のクリーンテック分野でのベンチャー投資・事業開発を担当。帰国後、e-dashの事業を企画・立案し、2022年のe-dash株式会社の設立と同時に代表取締役社長に就任。
脇坂:当社のScope1、2、3を合計した年間GHG排出量は、ざっくり約570万トンです。
特筆すべきは、自社工場やオフィスなどから直接・間接的に排出されるScope1・2 はわずか5万8,000トンに過ぎないという事実です。 残りの約565万トン、つまり全体の約99%がScope3、その大半が「カテゴリー1(原材料の調達)」に集中しています。これは他業界と比較しても極めて極端なポートフォリオです。
排出源をさかのぼると、牛の消化管内発酵による「ゲップ」と「糞尿の処理プロセスから発生するガス」が最大のホットスポットであり、さらにその上流には、輸入穀物を中心とした「飼料の栽培・輸送」に関わる排出が控えています。
国内の飼養頭数自体は減少傾向にありますが、1頭あたりの排出量削減は極めて急務です。
しかし、そこには個々の農家様の経営環境や飼育方針、さらには高齢化や後継者問題までが複雑に絡み合っています。単に「環境問題」として切り離して議論することができないのが、この業界特有の難しさなのです。
生産から食卓まで。サプライチェーン全体を巻き込む挑戦
山崎:排出量の99%が外部のステークホルダー、とりわけ上流の生産現場に依存している以上、御社の脱炭素戦略は必然的に「周囲をいかに巻き込むか」という協調型のアプローチになりますね。
足元では、バリューチェーンの下流にあたる小売・外食チェーンなどのお取引先様側からの要請も強まっているかと思います。
ただ、実際にデータを集計するとなると、「算定精度」を高めようとするほど「生産現場への負荷」が増大するという、実務上のリアルなトレードオフにぶつかるのではないでしょうか。この可視化の障壁をどのように乗り越えようとされているのか、非常に興味があります。
脇坂:取引先からの要請はこの1〜2年で急激に加速しました。全世界にグローバル展開する大手外食チェーンをはじめ、国内でも流通業、飲食業、食品メーカーといった領域でサステナビリティのトップランナーを走る企業様から非常に具体的な要請をいただいています。
「GHG排出量を把握しているか」「CFP(カーボンフットプリント)の算定は可能か」「今後どのように数値を下げる計画があるか」といった具合に、段階的に踏み込んだ対話を求められます。
そうした中で、無数の生産者からデータを吸い上げるわけですが、データ計測における最大の争点はまさに山崎さんがご指摘された「算定精度と現場負荷のバランス」にあります。
精度を高めようとして入力項目を増やしすぎると、日々の飼育や出荷業務で手一杯の生産現場は機能不全に陥ってしまいます。現実的に、GHG算定のためだけに多くの時間を使ってもらうことは不可能です。
山崎:現場が疲弊してしまっては、どれほど立派な算定システムを作っても形骸化してしまいますね。実務的にどのような工夫をされているのですか。
脇坂:私たちは、現場の入力負荷を徹底的に下げる仕組みづくりを意識しています。
例えばエネルギー関連であれば、請求書の数値をそのまま入力するだけで算定できる簡易的な設計をベースにしました。その上で、より詳細なデータマネジメントができている農場に対してのみ、飼料の種類や購入先といった精緻なデータをシームレスにアドオンできる設計にしています。
完璧な数値を求めるあまり継続性を損なうのではなく、「継続してデータを集められる仕組み」を定着させることこそが最優先課題です。
当社は、一次生産者から食肉センター、加工、物流、そして最終販売まで、すべての接点を自社で保有しています。 だから、「この施策は生産現場の負荷が高すぎる」「このコスト設計では加工現場が維持できない」「この取り組みならお客様に価値として伝わる」といった率直な意見を早期に確認できる。
サプライチェーン全体が見える立場だからこそ、一方的な理想論を押し付けるのではなく、関係者と対話しながら現実的な解決策を探ることができるのが、私たちの最大の強みだと考えています。
“おいしさ”から考える、サステナブルな食の届け方
山崎:サステナビリティの文脈において、しばしば「環境価値」と「市場経済」は衝突します。
どれほど地球環境に配慮した技術や飼料を導入しても、最終的には消費者にとって 「おいしい」「買いたい」と思える商品でなければ、社会的な実装、つまり日々の食卓への定着はあり得ません。
食の本質である「おいしさ」や「経済合理性」という絶対条件を担保しながら、環境負荷低減をどのように結びつけていくのか。現在の日本市場の特性を踏まえた、御社のブレイクスルーの思考についてお聞かせください。
脇坂:現時点では、環境価値と経済性の両立は非常に難しい課題だと感じています。
日本市場において消費者がお肉を選ぶ基準のプライオリティは、依然として「おいしさ」「安全性」「価格」の3軸が圧倒的です。環境価値単体でプレミアムな価格を受け入れる市場には、まだなっていません。環境負荷を下げる技術そのものは増えていますが、追加コストをどのように市場価値として評価していただくかは発展途上です。
そのため、私たちが一次生産者の皆さまと対話する際には、あえて最初から「環境の話」だけを持ち込まないように徹底しています。
山崎:あえて環境を前面に出さない、というのは非常に示唆に富む実務的なアプローチですね。
脇坂:生産者の皆さまは、長年培ってきた独自の飼育ノウハウに強い誇りを持たれています。
彼らの最大の関心事は「いかにおいしい肉をつくるか」「いかに経営を安定させ、次世代へ繋ぐか」です。
そこに外部から「環境のためにこの低メタン飼料に変えてください」と一方的に要請しても、「給餌の手間が増えるのではないか」「肉質(格付け)や味に影響が出るのではないか」という経営リスクとして捉えられてしまいます。出荷してみるまで最終的な価値が分からないものに対して、経営を賭けることはできません。
このジレンマを突破するために私たちは実践を試みています。例えば、味の素様と連携して進めている、牛メタンガスなどの温室効果ガス発生を抑制するアミノ酸飼料「AjiPro®-L」を活用したプロジェクトがそうです。
山崎:生産者の懸念である「品質への影響」と「経済的なリスク」を、具体的にどう解消されたのですか。
脇坂:まず、先行データをもとに「肉質や味に悪影響を与えない」という実証結果を当社の営業や農場担当から丁寧に伝え、生産者の心理的ハードルを下げました。
その上で、「この飼料で育った牛は、スターゼンが責任を持って全量買い取ります」 という確実な出口(販売先)の保証を提示したのです。下流のコンシューマーに近い我々のような企業がその価値を認め、買い取るスキームが成立して初めて、上流の生産現場が安心して動き出す。
このバリューチェーン全体のベネフィット設計が不可欠です。
さらに、こうした商流における仕組みだけに留まらず、J-クレジット制度を通じたカーボンクレジットの活用により、削減された温室効果ガスを経済価値化し、農家様のインセンティブとして還元する仕組みも検討しています。
山崎: J-クレジット制度、つまり省エネ設備の導入や適切な農業管理などによって削減・吸収されたGHG量を、国が信頼性のある「クレジット」として認証し、企業間で売買可能にする仕組みですね。
これまでは外部から見えにくかった農家様の環境への貢献度が、この制度によって公的にカウントされ、金銭的な価値に変わる。これが実装されれば、生産者にとって環境対策が単なるコストやボランティアではなく、明確な「新たな収益源」というインセンティブになりますね。
脇坂:仰る通りです。おいしさ、価格、環境。この3つを同時に実現するためには、それぞれ異なる立場の判断をつないでいく必要がありますが、私は「環境への取り組みは、畜産業界が抱える既存の構造課題を解決するための共通言語になり得る」とも考えています。
高齢化や飼料価格高騰といった課題に対して、現場が行っている「生産性向上」や「飼料効率の改善」という日々の努力は、実はその多くが結果としてGHG削減に直結しています。
サステナビリティ担当としての私の役割は、現場に新たな負担を強いることではありません。生産者が積み重ねてきた今までの改善努力を「温室効果ガス」という形で見える化し、適切な社会的評価や経済価値へと「翻訳」していくことなのです。
業界の垣根を越えて。未来の食卓を守るための「志」
山崎:サステナビリティという「正解のない問い」に向き合い続ける実務家には、単なる数値管理を超えた強固な思想的バックボーンと、多様な利害関係者を繋ぎ合わせる触媒としての役割が求められます。
脇坂様がこの難題に向き合い続ける、個人的な原動力や「志」はどこにあるのでしょうか。これからの食肉業界の未来像と合わせてお聞かせください。
脇坂:同業他社とも定期的に情報交換を行っていますが、各社のビジネスモデルによってサステナビリティへのスタンスは異なります。
大手メーカー様は「ブランド価値向上」のために投資しやすい環境にありますが、BtoBの卸売業をコアとする当社は、よりコストに対してシビアです。だからこそ、「コストを圧迫しない、実効性のあるサステナビリティ」という独自の解を模索し続けています。
その中で、私自身の究極的な志となっているのが、「日本の畜産をあきらめないこと」です。
山崎:「あきらめない」――。アニマルウェルフェアや人手不足、飼料高騰など、畜産業界を取り巻く環境が年々厳しさを増す中だからこそ、非常に強い響きを持つ言葉です。
脇坂:営業は営業、生産者は生産者、サステナビリティ担当はサステナビリティと、それぞれがバラバラの言葉で課題を語っていては限界があります。
私の原動力は、それぞれの立場が見ている景色を理解し、お互いが理解できる言葉 に「翻訳」すること。そして5年後、10年後には、環境への取り組みが特別な投資ではなく、「畜産を継続するために当たり前に行う日常活動」として溶け込んでいる状態を作ることです。
特定の技術や制度よりも、まず同じ方向を向いて対話できる土台があって初めて、 本当の意味での連携や共創が進むのだと信じています。 そして、当社の根底には、昔から受け継がれてきた「命を二度殺すな」という、全社員の血肉となっている言葉があります。
山崎:「命を二度殺すな」。食肉という、生命をいただく事業を営む御社ならではの、極めて本質的なフィロソフィーですね。
脇坂:私たちは、生きていた命をいただいて事業を営んでいます。
せっかく命をいただいてできた食肉を、プロセスの不備や食品ロスによって廃棄してしまうことは、その命の価値を無駄にすることであり、まさに「二度殺す」ことに他なりません。余すことなく大切に扱い、価値に変えて消費者に届ける。この精神は、食品ロス削減だけでなく、資源循環、生産者の努力の継承など、現代のサステナビリティの思想そのものです。
温室効果ガスをはじめとする環境課題の根底にあるのは、テクニカルな数値管理ではなく、「いただいた命を大切にする」という生命へのリスペクトです。この原点を胸に、これからもサプライチェーンのハブとして、立場の違う人々をつなぎながら、持続可能な食の未来を共創していきたいと考えています。
山崎:効率性や数値目標だけではない、食の本質的な倫理と経済合理性をいかにつなぎ合わせるか。 スターゼン様の泥臭くも洗練されたアプローチは、すべての脱炭素実務家にとって深いパラダイムシフトを迫るインサイトに満ちていると感じます。
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