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あゆみ

旧三井物産の礎を築いた事業

英国プラット社の紡績機械(1888年生、大日本紡績平野工場)英国プラット社の紡績機械(1888年製、大日本紡績平野工場)

明治維新以来、日本は官民問わず、“欧米列強に追い付け、追い越せ”であり、産業は一日も早く手工業から近代工業への転換が求められていた。その一翼を担ったのが旧三井物産(注)であった。

日本の綿糸紡績業は1800年代後半に急速な発展を遂げていた。旧三井物産は、これをオーガナイザーとして支えることとなった。当時、最も優良といわれていた英国プラット社製の紡績機械の輸入を手掛け、日本に輸入された紡績機械の実に約85%を占めた。また、綿花の輸入についても、上海支店を拠点に行っていた中国綿に加え、インド綿の取引も開始し、1893年にはボンベイ出張所を設置。1894年に綿花は旧三井物産の取扱品の中で取引額1位と重要なものとなった。

こうしたさまざまな事業の成功により、旧三井物産の輸出シェアは1909年には25.9%に、また輸入も22.8%になり、わが国貿易の5分の1から4分の1を担うまでになり、総合商社として、他の追随を許さない地位を確立するに至る。

(注) 法的には旧三井物産と現在の三井物産には継続性はなく、全く別個の企業体である。