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あゆみ

三井家の発祥地を訪ねて

戦国時代の武将から一商人へ

昔の姿をとどめる三井家の門が残る三井家発祥の地<昔の姿をとどめる三井家の門が残る三井家発祥の地

松阪駅前の密集地を抜けて、本町通に入ると、白い壁に囲まれた門が目に入ってくる。風雪にさらされた屋根や柱が、時の重みを伝えている。ここが三井家発祥の地だ。この地は、三井家が1932年に記念碑を建立して保存してきたもの。記念碑には漢文で、家祖の三井高利がここで生まれたことなどが記されている。庭園風に美しく整備された当地は三重県松阪市の史跡に指定され、記念碑のほか、五輪塔、高利の産湯の井と伝承される井戸などがある。

三井家の遠祖・三井越後守高安は、今の滋賀県鯰江の武将であったが、1568年、主君の六角佐々木氏が織田信長との戦いに敗れ、浪人となって今の三重県伊勢に移った。その孫が高利である。高利は1622年、松阪に生まれ、成人して兄の仕事を手伝うために江戸に出るが、28歳の時に母・殊法の面倒をみるために一時帰郷。1673年に再び江戸に出て、現在の東京都中央区に呉服店越後屋(現・三越)を開店することになる。

1683年に、現在の三越本店所在地に店を移し、現金払いで掛値(定価に後払い手数料を加算した値段)をなくし、商品をお客が欲しい分だけ小分けにして販売するなど、当時としては画期的な経営手法を採用し、江戸期最大の呉服店に成長させた。同時に三井両替店を併設して金融業にも進出した。

その後、三井両替店は順調に発展し、1720年ごろには為替三井組(現・三井住友銀行)となり、金融業が呉服業を凌ぐほどの勢いをみせる。この成功が1868年の明治維新以降、現在の三井グループの繁栄につながっていった。
三井家発祥の地の周辺には、史跡が数多く残されている。松阪城跡、松阪商人の館、三井家ゆかりの来迎寺などに足を延ばしてみるのもおもしろい。