©Natsuki Yasuda

復興橋架人。

伴場 賢一さん

一般社団法人 Bridge for Fukushima 代表理事

1970年福島県生まれ。大学卒業後、銀行員として勤務したのち、国際NGOに転職し緊急救援活動等に参加。カンボジアやザンビアなど海外での緊急支援・社会的起業・開発援助の経験を活かし、東日本大震災後は福島の復興に取り組む。

 東日本大震災が発生した2011年3月11日。伴場賢一さんは開発援助の仕事でエチオピアに滞在中だった。「ちょうど契約が終了して、翌日には日本に向かう予定でした。地震のニュースを知って、とにかく故郷の福島へ帰ろうと思いました」。当時は東日本の交通網が麻痺していたことに加え、原発事故に関する情報が錯綜しており、福島へ向かうのは困難を極めた。「14日の夜に福島に着いたんですが、雨が降っているうえに、停電で真っ暗。一体何が起こっているんだろうという状況でした」。

 帰郷した伴場さんは地元でボランティアをしようと考えたが、受け入れてくれるNPOはほとんどなかった。「当時の福島は、被災3県の中で最もダメージを受けたにもかかわらず、ボランティアを受け入れる態勢さえも出来ていなかったんです」。そこで、こうした状況を打破すべくBridge for Fukushimaを立ち上げ、ゴールデンウィークに東京からのボランティアツアーを開催した。「開発援助の経験で学んだのは、現地に来てくれた人たちこそが一番のサポーターになるということ。それはボランティアに関しても一緒だと思い、とにかく被災者につなぐチャンネルを増やそうと考えました」。

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魚の養殖実験に取り組む高校生と。養殖プロジェクトを行う福島高校は、伴場さんの母校でもある。福島高校を皮切りに、県内の高校に参加の輪が広がりつつある。

 Bridge for Fukushimaという団体名には「福島の復興というのは、福島の人たちだけでは絶対できない。復興に向けて、福島の人と支援してくれる人との中間に立てたら」という伴場さんの思いが込められている。「ボランティアで来てくれる人たちと漁師さんや農家さんとの架け橋になる活動をしたいし、支援してくれる人と福島をつなげていきたい。最終的には福島のファンをつくりたいんです」。

 復興が長期化する状況を見据え、高校生の社会活動のサポートもスタートした。「地元の土湯温泉を利用して、魚を養殖しようというユニークなプロジェクトで、高校生が自ら考えたところが面白い。各地の大学の協力も得られることになったので、地元の観光協会も巻き込んで、皆で取り組んでいきたいと思っています。将来に向けて、若い人たちが希望をもてる状況をつくっていきたいですね」。

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【助成案件名】高校生による福島の温泉地の地熱を使った養殖実証事業
【助成期間】2014年10月~2017年9月(3年)

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