PHR普及推進の最前線―石見先生が語る、パーソナルヘルスレコードが拓くデジタルヘルスケアの未来とは

2024.03.21

昨今、医療分野をはじめとしたパーソナルヘルスレコード(PHR)の活用に注目が集まっています。人々の健康増進や医療・介護の発展において、PHRはどのような役割を担うのでしょうか?
今回は、(一社)PHR普及推進協議会の代表理事である石見先生をお迎えし、広義に認識されているPHRの定義や意義、取り組みに関して、基礎から教えていただきました。ヘルスリテラシーを高めることの重要性、さらにビジネス目線での活用可能性にも迫ります。

石見 拓 氏

一般社団法人PHR普及推進協議会 代表理事
京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 予防医療学分野教授

1996年、群馬大学医学部卒業。2005年、大阪大学医学部医学研究科博士課程修了。2006年、京都大学大学院医学研究科修了、同年4月より京都大学保健管理センター(2011年4月より環境安全保健機構に改名)助教。同講師、同准教授を経て2015年より教授、2022年4月より医学研究科教授、現在に至る。一般社団法人PHR普及推進協議会の代表理事としても活躍。

データは「本人の意思」で活用されるもの

パーソナルヘルスレコード(以下、PHR)とは、生涯にわたって個人の健康や医療に関するデータを管理し、本人の意思に基づき活用する仕組みのことです。機能としては大きく三つに整理されることが多く、一つはデータを保管し閲覧できるようにすること、二つ目は個人がデータに基づいた何らかのフィードバックを医療者などから得ること、そして、三つ目は個人が研究機関や事業者など第三者にデータを提供し、将来的なヘルスケア・医療の質向上に貢献したり、何らかのサービス、インセンティブを得ることです。
(一社)PHR普及推進協議会で強調していることは、本人やご家族の意思でこれらのサービスを受けることが何より大事だということです。健康・医療におけるデータは自分自身から生まれてくるからこそ、まずは何のデータを、どのように活用したいかを考え、ご自身でデータコントロール権を握っていただきたいと考えています。

PHRの対象は医療だけではありませんが、まず医療の側面から見てみると、従来「データは医療者のもの」と認識しがちでした。しかし、診断の元になるデータの大半は本人から生まれていますので、医療者側の所見等が入らない限り、基本的には本人のものといえます。ただ、こうした考え方は、まだ医療現場に浸透する途上にあります。
近年は医療が発展し、患者が本人の価値観で医療を選択するようになってきています。そうした意味では患者中心の医療が実現されつつありますし、予防やヘルスケア(健康維持・増進に関わる広範囲にわたる行動やサービス)といった医療の外に広がる領域では、さらに本人の意思、価値観が重要と言えます。
PHRの普及には、インフラ整備などの仕組みづくりが必要ですが、同時に医療者をはじめとした意識の変革も不可欠で、意識改革の方が仕組みづくりより、急務といえるかもしれません。基本的なポリシーをそれぞれの立場で理解し、本人中心の仕組みを構築していくことで、現在の課題を解決できるのではないかと考えています。

これからの医療・ヘルスケアを変えるのは日常生活のデータ?

背景として、いわゆるデジタル社会の発展によって、簡単に日々の健康に関わるデータがたまるようになってきたことがあります。PHR利活用の一歩目は、私たち一人一人がこの日常生活の中でたまるデータを使ってみることです。そこで鍵となるのが、こうしたデータを本人の意思の下で医療者とシェアしていくことだと考えています。例えば、糖尿病の患者さんを前に、医療者は「生活習慣を改善しましょう」、「一日8,000歩きましょう」と言います。心不全や心筋梗塞の患者さんに対しては、「心臓発作が起きないよう血圧や体重をコントロールしましょう」と言います。しかし、実際、患者さんが日々どのような生活を送っているのかを詳細に把握することは困難です。それが今や、特別な治療や入院をせずとも、一日の詳細なデータを本人のスマートフォンやウェアラブルデバイスで簡単に蓄積できる時代になってきているのです。それらを医療機関で取られたデータと組み合わせることで、よりパーソナライズした治療につなげていく―これは、医療の質を高めるだけでなく、ビジネスとしても、そこに大きな可能性を見出すことができるでしょう。実際に民間事業者の感度は高く、複数のサービスが台頭してきています。
冒頭のPHRの機能で3つ目に挙げた、蓄積されたデータを第三者に提供して利活用していくのは、こうした本人主体の利活用の次のステップになるのではないかと考えています。

診断情報や検査結果、画像データなどの医療情報を本人に返すPHRに関しては進んでいる国も多く、デジタルヘルスの最先端であるデンマークはその典型です。しかし、デンマークのような政府主導で推進している国ですら、医療領域での活用にとどまっている現状で、ライフログ情報を活用した事例は私の知る限りではほとんどありません。
一方、日本は世界と比べても非常に保健医療が充実している国といえます。ベースの医療がしっかりしているからこそ、民間事業者がライフログを活用して生活習慣を改善したり、医療の質を高めたりといったプラスアルファのサービスにつなげやすいと言えます。ただ、そのためには民間事業者は、医療機関、アカデミア、行政といった性質や立場の異なる組織と共創していく必要があります。もちろん、各組織の目的・時間軸などの相違があり一筋縄には進まない難しさはありますが、裏を返せば共創が進むことでPHRは一気に次のステージへ進めるのではないかと考えています。

「つながること」で発揮されるPHRの真価

マイナンバーカードの健康保険証利用のように、表立って名前が出ているものに限らず、PHRを活用したヘルスケアサービスはさまざまな形で展開されています。例えば、女性の日々の体温や月経周期を記録できる、スマホアプリもその一つです。また、私も開発に携わった『健康日記』というアプリは、コロナ禍に無償提供を始めたサービスで、毎日の体温や健康状態等を記録し、必要な人に共有することができます。個人の感染状況は、非常にパーソナルな情報ですが、学校や会社に報告しなければなりませんでした。基本的には自身で管理しながら、必要に応じて健康状態を簡単に共有することができる機能は、コロナ禍に必要性が再確認されたように感じます。
また、マイナーポータルと連動したアプリで最新の服薬情報や健康状態を確認することができるようになっており、これもPHRサービスの一つです。基盤としては、非常に重要な仕組みですが、実際に健康診断のデータを見ることができたからといって、すぐに何らかの効果があるわけではなく、それほど差し迫ったニーズはないかもしれません。ただ、ここで知ってほしいのは、PHRサービスが社会基盤として整えば、いざという時に正確、簡単に自分たちの健康、医療に関わる情報を「つなげること」ができるということです。例えば、今回の能登半島地震のような災害など有事の際、救急隊や医療者、支援者へ自身の服薬情報や健康状態を、迅速かつセキュアに共有することができれば、より適切な対応が可能となりますし、支援の効率化にもつながります。データはつながることで価値が生まれるものであるからこそ、日頃からご自身のデータの把握、管理を習慣化していただけたら、と思います。

キーワードとなるのは、データの「標準化」です。民間事業者の台頭についても触れましたが、データの標準化が進んでいないと、事業者それぞれが内側でデータを抱え込んでしまいやすいのです。たとえば、サービスを受ける利用者が、途中で別のサービスに移りたい場合、あるいは、利用しているサービス自体が終了するとなった場合、データが標準化されていないと、利用者は、これまで蓄積してきたデータを失ってしまいます。利用者が自身のデータをいつでも持ち出して、移せるようにするには、日々の血圧や体重、歩数といったライフログ情報の標準化が不可欠なのです。すべてのデータを標準化する必要はありません。PHRサービス間でポータビリティを持たせるべき情報は標準化し、それ以外のところで自由競争するという、「共創」と「競争」の棲み分けを基本コンセプトとして共有していくことが重要だと考えています。
基盤部分は共有するという社会的な合意のもと、PHR領域全体で推進していかなければ、市場は広がりません。(一社)PHR普及推進協議会では、まず、救急災害領域と生活習慣病領域において、基本的な項目の標準化に取り組んでいます。

明日のウェルビーイングをつくるデータは、自分の中にある

一言で表すなら「信頼」だと考えています。デジタル社会が到来している現代ですが、健康や医療に関連する個人情報などは、信頼する相手でなければ簡単に預けることはできないと思います。
そうした意味では、PHRサービスに関わる事業者、国、医療者、全員が手を取り合って信頼を勝ち取っていくことが不可欠だと考えています。デンマークのデジタルヘルスが好調な秘訣は、国への信頼があるからだと現地で聞きました。相手が国であれ、民間や医療者であれ、同じことです。社会からの信頼を得るには相応の時間もかかりますが、中長期的な視点を持った上で、民間事業者にも積極的に参入してほしいと思います。
私は、従来の医療ではカバーしきれない領域に、新たなサービスが生まれていくと考えており、これは大きなビジネスチャンスにもなりえます。人々がデータ提供に価値を感じ、行動を起こせるような仕組みやきっかけを作っていくことは簡単なことではありませんが、人々のヘルスケアやウェルネスをつないでいくことができるサービスの担い手として、ぜひ前向きにビジネスを育ててほしいと考えています。

健康や医療の情報を扱うにあたり、日本人の心配性な一面は特に強調されると思います。しかし、データの扱いにはリスクが必ず伴います。大切なのは、リスクを上回るベネフィットに納得した上で、主体的にデータを活用できるようになることだと考えています。
そのためには、いわゆるヘルスリテラシーや情報リテラシーを社会全体として醸成していかなければなりません。繰り返しになりますが、自身のデータを自身の健康のために活用することが最も重要です。
ここで、ぜひ一度、自分事として考えてほしいことがあります。自分はライフワークとして心臓に起因する突然死対策を進めていますが、若年層を含め、年間8万人もの人が突然死によって亡くなっています。これまで、この突然死は、「予知できない」というのが常識でした。これは、従来の病院での、その場限りの検査など、過去データと非連続的なデータでは、予知ができなかったのです。しかし、病院で行う検査などに加えて、学校での心臓検診や職場での健康診断時の心電図データ、自宅で日々記録されるライフログデータなどを組み合わせてつなげていくと、突然死を予見できる可能性があると考えています。つまり、自身の健康データを統合することで、突然死が防げるようになるかもしれないのです。これは、本人にとって大変なベネフィットではないでしょうか?今はウェアラブルなどで簡単に日常的にデータが取得できています。これらの連続的なデータを活用すれば、こういった個人に還元できるベネフィットが、今後さらに発見できるかもしれません。
このように、自身の身体から、自身にとって非常に価値のある情報が日々生まれています。それらを有効活用しないのは、とてももったいないと思うのです。
自身の健康づくりはもちろん、広くウェルネスに向かっていくための核となるツールとして、主体的に活用していただきたいですし、そのための基盤づくりを推進するとともに、健康データ活用の有効性についても研究をさらに進め、広く発信していきたいと思います。