デジタルセラピューティクス(DTx)で新たな価値を社会に届けたい─ゼロイチ事業、立ち上げの軌跡

2023.12.27

三井物産では、従来事業に加え、社員や組織からのアイデアをもとに「0→1」の新しい事業を自らつくり出すことにも挑戦しています。今回は、三井物産の子会社で、2022年4月に設立したRaxi株式会社(以下、Raxi社)において、2型糖尿病患者の生活に寄り添う治療用アプリの開発に取り組むRaxi社代表の吉田彩さん、経理企画部マネージャーの橋本里奈さんに、事業にかける想い、ゼロイチならではの苦労ややりがい、日々のウェルネスについてお伺いしました。

吉田 彩 代表取締役

三井物産入社後、化学品で営業や事業管理、パースの出資先へ出向。その後、ヘルスケア事業部へ社内異動し、海外の病院投資や国内病院事業の運営へ携わり、マレーシアの出資先企業へ出向。社内起業制度でRaxiを創業。

橋本 里奈 経営企画部マネージャー

工学部応用化学科卒業後、三井物産へ新卒入社。約6年プロジェクト本部において中南米電力投資案件への出資、事業管理を担当。その後、Raxiのプロジェクトに共感して参画し、現在に至る。

プロジェクト開始の経緯とパートナーとの出会い

糖尿病領域は、三井物産の戦略的注力分野でした。三井物産は、これまでにアジア最大規模の民間病院グループ、血糖値測定器等の医療機器や検査診断機器を開発するグローバル企業、人工透析クリニック等に出資参画してきました。その中で、不足しているパーツである「患者・消費者との直接の接点」を三井物産が主体的に作っていくことを目指したことがプロジェクトのきっかけとなります。私たちは、患者さんに直接接点を持つことができるデジタル技術を活用したソリューションを念頭に調査を重ねる中で、デジタルセラピューティクス(DTx)である治療用アプリ市場を創造していく方針となりました。

また、2型糖尿病の重症化予防には、血糖値を適切にコントロールすることが非常に重要です。適正な血糖値を維持する上で、患者さんの日々の生活習慣を整えることが大切で、通院と通院の間に医師が関与できない治療の空白期間が存在することが大きな課題であると考えました。治療用アプリを使えばこの空白期間の患者さんのデータを可視化・収集し、生活習慣の改善をサポートすることが可能になります。

私たちが患者さんに届けたい治療用アプリは、医療機器承認が必要で、本領域の専門的知見と研究実績を持つ専門医師との協業が必須であると認識しました。そこで、全国で2型糖尿病患者さん向けデジタルソリューションをご研究されている専門医を調査し、面談を行うなかで脇先生に出会いました。
脇先生は、過去10年間にわたりデジタル技術を活用した2型糖尿病患者さん向けソリューションの提供をめざしてご研究を進められており、薬事承認を取得し、新たな治療の選択肢として治療用アプリを患者さんに届けたいというビジョンや想いが一致しました。脇先生の長年のご研究の成果の一部を治療用アプリとして具現化できることをとても光栄に思っています。

0→1(ゼロイチ)事業の創り方

患者さんに直接接点を持つことができるデジタル技術を活用したソリューション開発に方向性を定めて以降、具体的な取り組みは三井物産のグループ会社であるmoon creative lab.で進めました。そこで、ユーザーの顕在的・潜在的ニーズに関する調査をあらゆる角度から実施しました。

moon creative lab.は、世界的なデザインコンサルティング企業として有名なIDEOを共同パートナーに迎え、立ち上げられたビジネスイノベーションラボで、デザイン思考のデザインサイクル「ユーザーの理解、課題の発見、ソリューションの磨きこみ、プロトタイプを用いた評価・テスト」を活用し、事業化に向けた初期的検討を3カ月間で実施しました。このデザインサイクルにより、患者さんに長く使っていただける製品開発の方向性をつかむことができました。

オンラインインタビュー、Webアンケート調査等、さまざまな方法で患者さんのニーズ調査をしましたが、その中でも、実際に2型糖尿病患者さんのご自宅を訪問し、2時間のインタビューをさせていただいたことが一番印象に残っています。そこで分かったことは、インタビューをさせていただいた患者さんは、糖尿病治療において注意すべきことや改善しなければならないことを、頭ではわかっているけれど行動に移すことができない、ということでした。

日本全国、色々な自宅を訪問して生活の様子も観察させていただき、時には冷蔵庫の中を見せていただくこともありました。例えば「食生活にはとても気を付けています。我慢して節制しています。」とおっしゃいながら、冷凍庫に大量のアイスがあったり、部屋に大量のメロンソーダの空き缶があったりするといった現実を目の当たりにしました。患者さんは2型糖尿病という病に直面して危機感を持ち、注意すべき生活習慣や改善しなければいけないことを頭では理解しているものの、うまく実行できないということでご自身を責め、苦悩しているという実態が分かりました。患者さんの生の声を現場でお聞きしたことによって、ほんの少しのサポートがあれば、そして、その中で小さな成功体験を少しずつ積み上げることさえできれば、行動が伴わずに悩む患者さんの状況を変えられるのではないかという気づきが得られ、治療用アプリの原型となる着想をつかむことができました。この経験は今でも製品開発の際、判断の拠り所になっています。

もう一つ印象に残っているのは、自宅でも歩数を増やせる動画を急遽作成したことです。2型糖尿病治療法は、食事療法、運動療法、薬物療法の3つがあり、私たちが開発している治療用アプリは、外出を促すことで運動療法を支援するものです。しかし、臨床試験を行っていた時期が例年にない猛暑となり、必要性の低い外出は推奨されませんでした。そこで、天候に左右されることなく家でも歩数を増やすことができる運動の紹介動画を複数作成しました。患者さんが適切な動きができるよう、モデルが丁寧に解説を行いながら実践できるように工夫を凝らしました。この動画作成のような活動こそが、患者さんの生活に寄り添うサービスを作ることなのだ、という気づきが得られ、とても印象深い出来事になりました。このような患者さん目線に立った治療用アプリが薬事承認され、保険適用となれば、全国の患者さんにご利用いただけ、地域の特性や患者さんの生活に応じた適切な運動療法の実践が可能になるものと考えています。

苦しい時のよりどころ

吉田さん:私は高校生の時の病院での体験が原点の一つにあります。高校生の時に、家族が胃がんで手術をすることになった際、病状をよく知りたいと思い医療機関に「データを見せてほしい」とお願いしたことがあります。その時「見せることはできない」と断られてしまい、「なぜ自分の家族の大切な情報を知ることができないのか、どのような背景があるのだろう」という素朴な疑問を持ちました。
三井物産に入社する際は、医療やヘルスケアに限らずさまざまな課題をビジネススキームで解決し、社会に貢献したいという想いを持っていました。入社後は化学品業界での業務に従事し、やはりヘルスケア領域の事業に関わりたいと希望を出して異動し、現在に至ります。プロジェクトを進めていく上では思わぬ事態が起こることもありますが、糖尿病患者さんの生の声や、一緒に奮闘しているパートナーの存在が自分を奮い立たせるパワーの源となっています。

橋本さん:病気の治療に貢献したい、世の中に新たな価値を生み出したいという学生時代からの想いが根底にあります。大学では人工肝臓やアルツハイマー病の研究をしていましたが、商社であれば研究分野に関わらず、世界中からあらゆるシーズを探し出し、ゼロから新たな価値を生み出すことができると考え、三井物産に入社しました。入社後は、電力等のインフラ事業を手掛ける部署に配属となり経験を積みつつも、学生時代からの想いは消えず、いつかヘルスケア領域に関わりたいと思っていました。
そんな中で医療インフラに関わる業務に携わったことから、改めて生活習慣病に関わる課題解決をしたいという想いを認識し、三井物産内でRaxi社の元となる2型糖尿病患者さんの課題解決に資する案件を進めていた吉田さんに出会いました。吉田さんの話を聞き、まさに想い描いていたような案件だと思い、すぐに社内の異動制度を利用し、異動することとなりました。Raxi社の仕事で直面するさまざまな困難や苦労も、この強い想いがパワーの源となり乗り越えられています。

ゼロイチって大変?面白い?

ゼロイチの仕事は、新たな価値を生み出すやりがいのある仕事である一方、自ら市場を創造しなければいけないという難しさがあります。現在治験中の治療用アプリでは、①まだ国内で前例が少ないこと、②どの企業も治療用アプリ事業の成功要因を十分に把握できていないこと、③治療用アプリの認知度が医療従事者、患者さん、医療に関わる企業においても非常に低い、といった難しさがあります。しかし、これらの先駆者ならではの苦労は、キャリアにおいても貴重な経験であり、チャレンジを許容し、支援してくれている関係者の皆さんに感謝しています。引き続きチーム一丸となり、描いたビジョンの実現に向けて一歩一歩進んでいきたいと思います。

もう一つのやりがいは、同じ夢と想いと熱量を持ったパートナーやチームとビジョンの実現に向けて日々切磋琢磨できることです。信頼するパートナーやチームメンバーと時間を過ごせることは、人生がより豊かになるように感じます。仕事が人生に占める時間は大きく、このライフワーク、テーマに出会えたこと、パートナーやチームメンバーのみなさんに出会えたことは、私たちの大きな財産であり感謝しています。

Raxi社が目指す未来

治験を着実に進め、薬事承認と保険適用を目指します。治療用アプリを通じて患者さんの治療に対するモチベーションの低下や自信が持てないといった悩みに寄り添い、適正な血糖コントロールに貢献し、患者さん一人ひとりの生活の質が自然と向上するようなシステムを実現したいと思います。そして医師の現状の診察における、一人ひとりの患者さんに十分な時間を割くことができない、患者さんの普段の生活状態がわからない、治療の空白期間の患者さんの状況がわからない、といった課題に対して解決の糸口を提供したいと思っています。

保険適用後は、治療用アプリに蓄積されるデータ、および構築されるプラットフォームを活用し、2型糖尿病患者さんの日常のニーズを満たすサービスを創出していきたいと考えています。製薬企業、医療機器メーカー、民間保険会社、その他ヘルスケア企業の皆さんのご協力を得ながら独自の事業開発を進めていきたいと考えています。
例えば、製薬企業には治療空白期間の患者さんの様子を把握することで、患者さん向けのサポートプログラム開発に役立てたり、プラットフォームを通じて直接患者さんのニーズに合った啓発活動が行えるなどの活用が想定できます。

民間保険会社による活用も考えられます。現在、民間の医療保険では病気になった方向けの保険商品は多くありませんが、治療用アプリを通じて蓄積される患者さんの連続するデータセットがあれば、2型糖尿病患者さんのニーズを満たす新たな保険商品を開発できるかもしれません。その他にも糖尿病患者さん向けのソリューション開発に関連する企業として、食品、飲料関連、スポーツ関連の企業など多数あると思われます。データやプラットフォームを活用いただくことで、多くのアカデミアや企業との協業が可能であると考えています。

Raxi社には、“患者さんが治療用アプリ(皆保険)で治療しながら、ステークホルダーの課題解決、効率化に貢献する”という経営ビジョンがあります。このビジョンに共感いただき、プラットフォームの構築や実装に向けて、ともに歩んで下さる企業様を探しています。
三井物産は、アジアのウェルビーイング社会の構築も目指しており、日本でプラットフォームの構築が実現できれば、今後、2型糖尿病患者数の増加が予測されているアジア等の海外に積極的に展開していきたいと思っています。

仕事も、自分自身も、ウェルネスに

吉田さん:私はもともと少し健康マニア的なところがありましたが、この事業を手掛けるようになってから、自分自身の体調管理により一層気を配るようになりました。日々食事、運動、睡眠に注意しています。食事面では、極力自炊で栄養バランスが整うよう心がけ、飲み物は無糖のお茶・水・炭酸水を中心とし、嗜好品は食べないようにしています。食品添加物もあまり摂らないようにしているため、多くの食品添加物の摂取につながる外食は控えるようにしています。
運動面では、週に1、2回パーソナルトレーニングをしています。初めは大変でしたが習慣化すると苦ではなくなり生活の一部となりました。睡眠については、体調管理の観点に加え、睡眠不足で翌日のパフォーマンスが落ちることを避けるためにも、7時間程度の睡眠時間は確保するようにしています。

橋本さん:私はこの事業に関わるようになってから、毎日体重を測るようになりました。臨床試験の際に患者さんに毎日体重を測っていただいており、開発者である私が測らないわけにいかない!と思うようになったからです。毎日体重を測っていたら、自然と食事も気を付けるよう意識が変わりました。少し食べすぎてしまった時は翌日から2~3日食事に気を付けて、できる限り元の体重に戻すようにしています。
リフレッシュになっていることは、夜の50mダッシュとピアノです。時々夜にダッシュをするのですが、全速力で走るとストレス解消になるのでおすすめですよ。学生時代から水泳や陸上をやっていたので身体を動かすことが好きなこともあるかもしれませんが。大人の女性がダッシュしていると怖いかなと思って人が少ない夜の時間帯に走っています(笑)。また、小学1年生から同じ先生にピアノを習っており、週に1度はピアノを弾いているのですが、仕事や運動とはまた違う部分の脳を使っている感覚があり、とてもリフレッシュできる大切な時間になっています。
日々、体の健康管理や心のリフレッシュもしつつ、一日でも早く私たちが開発した治療用アプリを必要な患者さんにお届けし、データプラットフォームを構築できるよう歩みを進めていきたいと思っています!