聖マリアンナ医大病院 大坪院長に聞く、PHRアプリが叶える「患者が主役」の医療とは?

2024.01.25

昨今の医療現場では、パーソナルヘルスレコード(以下、PHR)を導入する動きが進みつつあります。PHRとは、各医療機関に保存されている患者個人の医療情報や、個人や患者それぞれが管理している健康や医療に関する情報を集約したデータのことです。
健康や医療、服薬、介護に至るまで、個人データを一元的に管理できることに加えて、これらの情報に患者自身や患者の家族がアクセスできることも特徴です。
このようなPHR機能の拡充は、医療現場、そして患者にどのようなメリットをもたらすのでしょうか。患者向けPHRアプリ「マリアンナアプリ」を2023年よりリリースした聖マリアンナ医科大学病院大坪院長より、PHRがどのように機能しているのか、そして、医療現場におけるデジタル技術活用の展望についてお聞きしました。

大坪 毅人 院長

聖マリアンナ医科大学病院

1986年聖マリアンナ医科大学医学部卒業、東京女子医科大学消化器病センター外科講師などを経て、2004年より同大学外科学教授に就任。2020年4月より現職。

変わりつつある医師と患者の関係

まず、医師と患者さんでは、医学に関する知識量に圧倒的な差があります。通常、車を買うときに、エンジン構造や電気系統といった専門的な部分まで、事細かに説明を求める人は極めて少ないと思います。同じように、医師であればレントゲン写真を一目見て、写っている黒い影や白い斑点が何なのか見当がつきますが、読影について学んでいない患者さんが同じように理解することは困難です。こうしたことから「医療のことは医師に任せておくのが一番」という、ある種のパターナリズムが医師と患者の間では長年定着していました。しかし、車と自分の身体における絶対的な違いは、「替え」がきかないということです。だからこそ、自分の容態は自分で把握したい、という思いを持つ患者さんが年々増えています。
こうしたニーズに伴い、医療機関側も変化する必要が出てきました。これまで、カルテ開示は有料で対応しており、それも苦情や訴訟に発展しそうな場面で、開示請求されることがほとんどでした。今後は、病状や治療方針を決めていく上で、説明を丁寧に行い、患者さんとの対話を大切に、十分に納得した上で治療方針を決めていく、そのために、いつでも簡単に自分の医療情報を共有できるPHRの機能の必要性が高まってくると思われます。

従来、診療記録(カルテ)は、医師本人や病院内のスタッフが理解できればそれで問題ないため、およそ患者さんにわかりやすいようには書かれてきませんでした。紙カルテの時代は、患者さんに極めてわかりにくい略号を用いて記載されることも多かったと思います。電子カルテの導入により、日本語での記載が多くなりましたが、患者さんが見て分かるようにという意識で記載されているものはまだまだ少ないのが現状です。その理由として、「カルテ情報 は医療者のための記録である」という意識が最も大きな課題であると思います。今後は、「カルテ情報は患者さんのものである」という認識を医療者が持つことが最も重要なことだと思います。

「よりよい医療」の実現を目指す、その裏側に潜む課題に向き合いながら

病院の電子カルテシステムとアプリが連携し、患者さん本人のさまざまな医療情報をスマートフォンからいつでも確認することができます。例えば、通院予定や通院履歴、血液検査などの検査結果、薬の処方歴、CTやMRI、X線などの画像などですね。さらにマイナポータルに登録した医療情報と連携することで、予防接種記録や調剤記録、医療費に関する情報なども一元的に管理することができます。
アプリは本人だけでなく家族と共有もできます。ご高齢の親御さんやお子さんに代わって健康状態や医療情報を把握したりすることも可能です。一人で受診できる患者さんの場合には、家族は一緒に病院に行かなくても情報を得ることができます。
加えて、外来診療の待ち状況や、病院駐車場の空車状況などもアプリで確認でき、通院における利便性も高めるようにしていきます。また医療に限らず、1日の歩数など暮らしに基づくライフログデータも管理できるようになっているため、広く健康に向けた自己管理にも役立てていただけます。

マリアンナアプリは、PSP㈱※1が展開するPHRアプリ「NOBORI※2」をベースに開発されました。患者さんの個人情報を扱うPHRの特性上、セキュリティの担保は最重要事項といっても過言ではありません。その点で、大容量の医療情報を安全に保管・利用できるクラウドサービスの優位性がPSP社との協業の決め手となりました。
病院のシステムに情報の通り道を開けることは、外部から攻撃を受けるリスクにもつながりかねません。細心の注意を払いながら電子カルテとの情報連携を進めていきました。
こうした技術的な準備はPSP社に主導いただきましたが、院長の立場で骨が折れたことは各診療科への説明です。医師の中には、経験値に関係なく「治療のことは全面的に医者に任せてほしい」と考える人も少なからずいます。冒頭で触れたように、いわゆる「由らしむべし、知らしむべからず」のスタンスですね。聖マリアンナ医大病院には30を超える診療科がありますが、全ての診療科が開示に前向きというわけではありませんでした。
最も多かった懸念の声は、「患者さんが医療情報を得ることで不安要素が増え、病院への問い合わせが増加するのではないか、ただでさえ多忙な業務の中でさらにどうやって説明のための時間を作っていくのか」というものでした。
2023年4月にマリアンナアプリをリリースしましたが、アプリに対するクレームは今のところありません。アプリのリリース後、アプリに対応していない診療科には患者さんからアプリ対応を求める声が上がったことで、今は全科でマリアンナアプリが利用できるようになっています。

※1 PSP㈱:医用画像システムや放射線分野の業務支援システム、また医療関連のクラウドサービスの開発提供といった医療情報インフラの構築を行う。2022年4月に㈱NOBORIと合併
※2 PHRアプリ「NOBORI」:詳細はこちらをご覧ください(https://nobori.me

地域医療連携にも ―広がる活用の場

これまで紙で管理していたような情報が、手元のスマートフォン一つに集約されることで利便性が向上します。お薬手帳を常備している人は多くはないと思いますが、スマートフォンは大体の人が常に携帯していますよね。
当院以外のかかりつけ医が診察する際、一定時間ではありますが、患者さんの了承を経てPHRアプリ上の個人コード(QRコード)を読み取るだけで、当院での診療内容をかかりつけ医のパソコン上で瞬時に把握することができます。実際に、大学病院周辺の医師会の先生方からも、前向きな反応をいただくことができました。また、万が一、災害に見舞われた時にも、当人の持病や服薬に関する情報をアプリを通して医療関係者に共有することができます。
さらには、セカンドオピニオンの際にも有効で、他の医療機関で治療を行う際の再検査や再撮影などが不要となります。患者さんにとっては、再検査の身体的・金銭的な負担が軽減でき、データ共有による複数の医療機関での効率的な診療に役立つものとなります。

2024年4月より、医師の働き方改革が実施されます。働き方改革が始まると、中・小規模病院では夜間の救急医療に医師を夜間勤務として常に配置することが難しくなり、救急医療は医師数やベッド数の多い病院に集中すると思われます。
当院は、特定機能病院かつ地域の中核病院として、夜間も積極的に救急患者を受け入れていきますが、この機能を維持するためには、治療方針の決まった患者さんに 、近隣の医療機関に転院していただくといった連携がとても重要となってきます。すなわち、病状に応じて急性期病院、回復期病院、慢性期病院が有機的に連携する、いわゆる地域包括ケアが働き方改革の鍵になるといえます。
これまでは患者さんの転院の際、紹介状や画像コピーなど煩雑な業務を伴っていました。それでも情報が不足するために、問い合わせを受けることも少なくありませんでした。マリアンナアプリを利用することで、医療機関が異なっても医療情報を共有することが可能となります。このことは患者さんを送る側、送られる側の双方にとって極めて利便性が高く、なにより患者さんご自身が他院に移った後も安心して医療を受けられることにつながります。現在、医療連携における機能をさらに拡大するため、同意書をマリアンナアプリに搭載する準備を進めています。

チーム医療の主役はあなた

情報開示の最たる目的は不安の膨張ではなく、安心を提供することです。得られる情報が多ければ、それだけで心配の種も増えてしまうのでは?と心配してしまいがちですが、患者さんに提供されるデータは、医師がしっかり説明をしたデータであり、そのデータをいつでも見返せることで、安心が提供できるのです。
ただ、医師も人であり、万能ではありません。常に最良の判断ができるとも、見落としがないとも限りません。万が一、伝えるべき情報、特にバッドニュースを伝えることができなかった場合にも、患者さんが自分の受けた説明と異なることが記載された場合には、再度問い合わせることで、いわゆるダイアグノスティック・エラーを最小限にすることができます。
すなわち、患者 さんご自身が自分の健康を守る「チーム医療」の一員として、ヘルスリテラシー向上に意識を向けていただくことが、皆さんのウェルビーイングへとつながっていきます。マリアンナアプリは、そのためのツールとして機能しうるものだと考えています。

リリースから半年以上経過していますが、利用者からは「こんな情報までスマホでみることができるなんて!」と喜びの声を多くいただいています。
PHR機能のさらなる期待としては、患者さんからの情報を医療者側に伝える“双方向性の利用”ができれば良いと考えています。医療機関受診前や受診時にあらかじめ、ご自分のバイタルサインや病態、質問事項などを伝えることができれば、患者さんが医師に聞き忘れることがなくなるだけでなく、診察時間の短縮など効率的な運用が実現されます。さらに、将来、国を主体としたクラウド化が実現されれば、全ての医療機関でシームレスな医療情報の共有が可能となると考えています。