非財務情報の開示制度化が本格化する中、多くの企業が陥りがちなのが「開示の目的化」だ。レポート作成そのものがゴールとなり、経営戦略や企業価値の向上に結びついていないと悩む担当者は少なくない。投資家は実際のところ、開示の「何」を見ており、企業はESGをいかにして本業の経営へと接続すべきか。
e-dash代表の山崎冬馬氏が、統合報告書をはじめとした開示支援の第一人者であるエッジ・インターナショナル社長・麻生佳孝氏を迎え、開示現場のリアルな課題と、ESG開示を企業価値向上へつなぐための「次の一手」を紐解く。
目次
「作業負担」と「縦割り組織」に苦しむ開示の現場
山崎:麻生さんは2007年からエッジ・インターナショナルに参画され、数多くのリーディングカンパニーの開示支援を手掛けられてきました。昨今はSSBJ基準の導入など、企業による非財務情報の開示をめぐることについて大きな転換期にあると感じますが、現在の企業を取り巻く環境をどのように捉えていらっしゃいますか。
麻生:IRやサステナビリティ開示をご支援する中で、開示に対する顧客企業の作業負担が年々大きくなっているという声をよく耳にします。SSBJ基準への対応が本格化すれば、監査への対応も含めてさらに負担は増えるでしょう。また、海外企業との取引において、非財務情報の開示を求められるケースも生まれており、大企業だけでなく、地方企業や中堅・中小企業にも直接的な影響が出始めています。

麻生 佳孝 | あそう よしたか
エッジ・インターナショナル 代表取締役社長
三井住友銀行を経て、2006年にエッジ・インターナショナルへ入社。統合報告書・アニュアルレポートの制作支援をはじめ、企業価値向上に資する情報開示コンサルティングに従事し、総合商社・自動車・通信・エネルギー・製鉄など幅広い業界のリーディングカンパニーを支援。2020年に取締役COOに就任後、2021年4月より代表取締役社長。「Integrated Story Co-Creator」というビジョンのもと、投資家視点・ESG視点・PR視点・経営視点を横断しながら、日本企業の企業価値向上に貢献する情報開示・コミュニケーション支援を手掛ける。NPO法人日本IRプランナーズ協会理事、NPO法人日本サステナブル投資フォーラム理事なども務める。
山崎:対応に追われる企業が抱えている本質的な課題はどこにあるのでしょうか。
麻生:大きく2つあると思っています。1つ目は「マテリアリティ(重要課題)の設計」です。本来、マテリアリティは「将来の事業ポートフォリオ」から逆算して考えるべきものです。しかし、現状は外部のメガトレンドから参照しただけで、将来の自社事業と結びついていないケースが散見されます。そのマテリアリティに取り組むことが自社の企業価値向上にどうつながるのかロジカルに説明できないまま、なんとなく開示を進めてしまっている企業が多いのです。
2つ目は「部門の縦割り」です。IR、サステナビリティ、経営企画、広報といった部門が、それぞれの価値観で動いてしまっています。ここを統合させないと「何のための開示か」「それがどう企業価値につながるのか」というロジックが描けません。

山崎 冬馬|やまさき とうま
e-dash株式会社 代表取締役社長
三井物産株式会社に入社後、主に電力等のインフラ事業の新規案件開発及びM&Aを担当。2015年に米シリコンバレーに駐在し、エネルギーやモビリティ等のクリーンテック分野でのベンチャー投資・事業開発を担当。帰国後、e-dashの事業を企画・立案し、2022年のe-dash株式会社の設立と同時に代表取締役社長に就任。
山崎:なるほど。マテリアリティの落とし込みも、縦割り組織の打破も、まさに「経営課題」そのものですね。
麻生:おっしゃる通りです。だからこそ、統合報告書が不可欠です。私は「統合報告はガバナンスの鏡」だと思っています。統合報告書が充実しているということは、それだけ社内を巻き込めるガバナンスが効いている証拠なのです。
ただ、今はまだとにかくデータを集めて可視化する段階の企業も多いでしょう。可視化なくして、優れた開示は実現できません。実際、海外機関投資家との対話強化というニーズに対し、まずは開示をしっかりと整理することがスタートだとお話しています。
データが揃い、開示のサイクルが定着してくれば、次は「それをどう企業価値につなげるか」という本来のフェーズに移っていくはずです。
投資家が見ているのは「生データ」と「企業のDNA」
山崎:次に、「投資家目線」について伺いたいです。統合報告書などは機関投資家に向けたメッセージという側面が強いですが、今、投資家は開示情報のどこを見ているのでしょうか。
麻生:最近の大きな変化として、AIの登場が挙げられます。投資家もAIを使って企業分析をするようになってきているため、財務情報と同様、非財務情報についても企業に対し、必要以上に加工されていない「生データ」の開示を求めるようになってきていると、ある投資家の方にお聞きしました。外部評価機関のレポートだけに頼るのではなく、企業の生データを自前で分析するサイクルに変わろうとしています。
そして対話(エンゲージメント)の内容も変わってきました。単に業績目標を達成できるかという話よりも、「なぜその事業をやるのか?」という「企業のDNA」や「哲学」を問うようなテーマが増えています。
山崎:それは非常に興味深いですね。投資家が求めるテーマに具体的な傾向はありますか。
麻生:今のエンゲージメントの主なテーマとして「レジリエンス(回復力)」と「イノベーション」の2つが挙げられます。例えば、有事(サイバー攻撃や自然災害、地政学リスクなど)でサプライチェーンが寸断されたとき、速やかな復旧に向けた仕組みがどれほど整備されているのか、押し寄せる課題に解決策を次々と講ずることができる現場かどうか。
そういった企業のレジリエンスは、財務情報だけでは測れず、ガバナンスや企業風土といった、まさに非財務情報でしか推し量ることはできないはずです。イノベーションも同様ではないでしょうか。
山崎:投資家がAIを活用してデータを分析する一方で、企業の「DNA」や経営者の「哲学」といったナラティブ(物語)を求めているというのは、一見相反するようにも感じます。今後、開示はどうあるべきなのでしょうか。
麻生:これからは「AIもステークホルダーの一つ」と捉えるべきです。現在、AIが日本企業を分析する際、情報の出所が企業の公式サイトではなく外部サイトになってしまっているケースが多々あります。つまり、企業の発信がAIに正しく「活用されていない」のです。まずはAIにも正確に伝わるようなインターフェースや発信の工夫(マークダウンの活用など)が求められます。
ただ、最終的に人を動かすのは、AIが弾き出したデータではなく、ロジカルでありながらも「人としてのぬくもりや共感」を呼ぶナラティブです。正解か不正解かで判断するのではなく、どんな選択肢も正解にすることができる時代だと認識した上で、その選択肢が持つ可能性と実現への道筋を、熱量を持って伝えるからこそ、人から共感を得られるのではないでしょうか。
投資家が経営者の人となりを知ろうとするのもそうした証左だと思います。私がお会いしてきた多くの企業経営者の皆様には、ご自身の視座から描くロジックと内に秘めた熱量がありました。
昨今の企業経営は、統合報告が示すように、さまざまな戦略を策定しておく必要があり、経営者には非常に高度な情報処理能力が求められます。AIをうまく使うことで、この情報処理にかかる負担を軽減できれば、企業経営を通じて、もっと大きな社会価値や産業価値を生み出せるようになるのではないかと感じます。
サステナビリティ担当者は、経営陣をどう巻き込むべきか

山崎:現場のサステナビリティ担当者の中には、「良い取り組みをしているのに、経営陣が予算やリソースを割いてくれない」と葛藤している方も多いと思います。経営層を巻き込み、動かしていくためのアドバイスはありますか。
麻生:立場は違っても、サステナビリティ担当者も経営陣も「会社を良くしたい」という想いをお持ちのはずです。ただ、サステナビリティ部門の取り組みが「企業価値向上」にどうつながるのか、十分に言語化できていないケースが少なくありません。サステナビリティに限ったことではありませんが、経営者からすれば、どのくらいのリターンがいつ顕在化するのかはっきりしないのに、漫然と投資することはできません。決してリターンにつながらなければダメだというわけではなく、企業価値にどうつながるのか、経営と現場の双方で描き、擦り合わせていくことが必要なのではないでしょうか。
まだ自分が現場担当だった頃、ある企業のCSR担当者との打ち合わせでお聞きした「私たちは会社の最後の砦として仕事をしている」という話を、自分が経営者になった時に改めて思い出したことがあります。
正直、当時の私は、リターンにつながらないCSR活動に意味があるのかと思っていましたが、経営者として、企業価値の向上においては、リターンを生み出す施策ばかりでなく、リターンを継続させる施策や、リターンを毀損させない施策も重要なのだと気づきました。しかもそうした覚悟や熱量を持った人材がいる会社は、実に信頼できる会社だと思います。
山崎:コストではなく、「投資」としてどう意味があるのかを提示するということですね。
麻生:その通りです。例えば脱炭素にしても、「みんながやっているから」「環境規制があるから」という理由では経営者は首を縦に振りません。「これだけ気候変動が進む中で、イノベーションを起こし、自社の将来の事業ポートフォリオをどう強くしていくのか」という文脈で語れるかどうか。これからのビジネスがどうあるべきか、会社をどう生き残らせるのか。日夜そればかりを考えている経営者と「同じ熱量」でサステナビリティを語れるかどうかが問われているのだと思います。
志 ―― 開示を「経営を鍛え直す機会」に
山崎:最後に、麻生さんのこの領域に対する「志」をお聞かせください。
麻生:私たちはビジョンとして「Integrated Story Co-Creator」という言葉を掲げています。かつては、より良い統合報告書を共につくる「編集者」としての意味合いが強かったのですが、今私たちがやるべきことはそこにとどまりません。統合思考を持ちながら、お客様の経営課題をあぶり出し、開示やコミュニケーションの領域で多様なソリューションをゼロから開発し、提供していく存在にならなければいけないと考えています。
開示対応は、企業にとって非常に負荷の大きい作業になっているのは事実です。しかし、それを単なる「作業」で終わらせるのではなく、「経営を鍛え直す良き機会」として捉えてほしい。そうしたポジティブな機会に変えていくための伴走をすることが、私たちの原動力であり、志です。
山崎:単なるレポート制作ではなく、統合思考によるコミュニケーションで企業の経営そのものを強くしていく。まさに「次の一手」ですね。



