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株式会社三井物産戦略研究所

マテリアルズ・インフォマティクスが変える材料開発

2015年12月7日


三井物産戦略研究所
技術第三室
大楠恵美


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材料開発は新局面を迎えた

イノベーションの原動力、分野横断の基盤技術、産業競争力の源泉。これらは全て「材料」に付く枕詞だ。私達は優れた「機能」を持つ材料を追い求め、さまざまな分野の推進力としてきた。光触媒、リチウムイオン電池、永久磁石、青色LED、ハードディスクの媒体、磁気ヘッドなど、日本が開発に深く関わったものは数多い。材料開発は、研究者が経験と勘に基づいて実験的に物質を合成し構造や物性などを評価するプロセスを繰り返す「材料探索」を要とし、実用化までに10~30年の長い時間を要している。日本は、他の産業が世界市場で地位を低下させるなか、材料開発先進国の座を保ってきたが、求められる材料が複雑化し、開発がより困難になっている状況下、効率的な材料探索の手法が世界中で模索され始めている。時間のかかる職人技に頼らずともできる、材料探索の近道があるのではないか、ということだ。これまでは、そのような都合のよい方法はあり得なかったが、諸条件が整い、今や可能になりつつある。

高度な科学を統合せよ

その条件とは、研究開発に必要な、実験、計算、データといった各領域がいずれも高次元のレベルでそろうことだ。日本を例に取るなら、「京」に代表されるスパコンが開発され計算機の性能が飛躍的に向上したこと、SPring-8、SACLA、J-PARKなど大型の最先端設備により非常に緻密な実験・観察が可能となったこと、飛躍的に増えつつあるセンサーから多様で大量のデータがリアルタイムに得られるようになったことなどが挙げられる。数理的手法やアルゴリズム構築の有用性が強く認識されるようになったことや、コンピューターが、データ上の意味ある部分(特徴量)を自ら選び出し、データに接する過程で賢くなっていく「機械学習/人工知能」で著しい進展があったことも重要な要素だ。
従来からあった実験科学や計算科学が飛躍的に高度化し、そこに大量のデータと人工知能が加わることで展開される新たな局面は「データ科学」と呼ばれ、これまでにないスピードで、複雑な現象の理解や社会的課題の解決をもたらすと考えられている。

データ科学の威力

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材料分野ではこれまでデータ科学に必要なデータベースの構築からして困難であった。形式がバラバラでデータ交換できなかったり、開発者ごとに抱え込んでいたり、同じ組成の物質でも追求する特性が異なると、合成手法や蓄積されるデータが異なったりしていたためである。しかし、物質の諸性質を電子状態に基づいて計算する「第一原理計算」の導入によりコンピューター上で基本的なデータベースを構築することが可能となった。これと経験に基づくデータを合わせ、そこに人工知能のような情報科学手法を投入して未知の材料の機能を推定し、さらにそれらについて多数の化合物群を一度に実験的に自動合成する「コンビナトリアル合成」や、研究の各段階で自動的に特性を計測しデータとして蓄積する「高速材料評価」等を組み合わせることで、合理的かつ高速に、求める特性を持つ未知の物質へと近づいていくことができる。この最先端のアプローチは「マテリアルズ(材料)・インフォマティクス」(図表1)と呼ばれ、一般には“実験なしに材料探索できる”と紹介されている。多少の誤謬はあるが、経験と勘をはるかに凌ぐ速度で物質探索を行う有力な方法であるのは確かだ。データに基づいて論理的かつ網羅的に候補物質を絞り込み、それについてだけ実験による確認や計算の補正を行えばよく、効率的材料開発の決め手になるとして期待されている。

動き出したマテリアルズ・インフォマティクス

材料開発競争で優位に立つべく、世界中でインフォマティクス戦略が立ち上っている。最も先進的なのは米国だ。ホワイトハウスは、2011年6月、材料の持つ基礎的要素を“ゲノム(遺伝子)”になぞらえた「Materials Genome Initiative(MGI)~for Global Competitiveness」を発表し、材料探索から商品化までの期間を半分に短縮するとしている。その取り組みの中で顕著な事例となっているのがMITと韓国サムスンの共同研究だ。2012年10月に、リチウムイオン電池で、過熱や発火の恐れのある従来の液体の電解質に代わり、安全かつ長寿命の固体電解質を開発したと発表したのだが、それは日本の企業が以前より取り組み、2011年5月に特許出願(2012年11月公開)したと同じ物質で、米韓チームの短期間での成果は驚きと脅威を与えるものとなっている。
他国も取り組みを活発化させている。欧州は特に計算科学に力を入れ、中国は100億円規模の予算を付けて中国版MGIを立ち上げ、韓国も10年プロジェクトであるCreative Materials Discovery Projectを開始している(図表2)。

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遅れはしたものの、日本でも国を挙げてのプロジェクトが始まっている。2015年7月、(国研)物質・材料研究機構(NIMS)を拠点に、14大学、7研究機関のほか、トヨタ自動車、日立製作所、新日鉄住金、東レ等の企業17社が参画する「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ(“Materials research by Information Integration”Initiative:MI2I)」が発足し、データベース構築、機械学習、統計解析、シミュレーションなどのツール開発と、それらの統合による革新的な磁性材料、蓄電池材料、伝熱制御材料等の探索を目指している。個々の研究においても、シャープと京都大学の共同研究がリチウムイオン電池の正極材で、元素を置換して充放電の際の体積変化を抑制し、電池寿命を6倍以上に延ばす材料を、また、豊田中央研究所が17万種類以上の物質から太陽電池と熱電変換の材料となる18種類の新物質を、いずれも従来にない短期間で発見するなど、近年、成果が続いている。
構造材料においても、国レベルのCross-ministerial Strategic Innovation Promotion Program(SIP)革新的構造材料研究開発が開始されているほか、鉄鋼業界でも「鉄鋼ゲノムの解明フォーラム」や、新日鉄住金、JFEスチール、神戸製鋼らが参加する「鉄鋼インフォマティクス研究会」が立ち上がるなど、国、業界、企業のそれぞれのレベルで動きが加速している。

マテリアルズ・インフォマティクス構築のための課題

従来にないスピードで新たな発見に導くマテリアルズ・インフォマティクスは明らかに今後の大きな潮流だが、実現までには多くの課題がある。まず、データベース構築のために、フォーマットの標準化やルール作りが必要となる。またデータベースの充実が望まれる一方、企業が独自のデータを提供するとは考え難く、企業の壁は最初の課題となるだろう。計算機から導き出された候補物質が、製造技術やコストなどの点で商業生産に適さなかったり、なぜ、その機能を発揮するのかメカニズムが解明されない可能性もある。計算機からの出力結果は、そこに至る式が添えられずにいきなり書かれた答えのようなものだからだ。また、現在は、リチウムイオン電池のようにベースとなる構造が既にあって、第一原理計算が有効な材料が多いが、そうした条件が整っていない領域へいかに拡張するかも課題となるであろう。さらに、計算結果とその検証というループは、当面、人間が回すことになるが、将来、人工知能がそれさえも行うことも予想され、材料開発競争は数理開発競争となる可能性もある。これまで日本は材料分野で大きな成果を挙げてきたものの、用いる計測機器や計算機、ソフト等は外国製が多い。これらの改善も検討されるべきであろう。そして、最も重要な問題は人材だ。研究分野と情報科学の両方に通じる人材は少なく、データサイエンティスト不足が懸念されている。他国ではデータ科学に関わる統計学などに既に力を入れているのだが、日本にはそうした場がわずかで、危機感が強まっている。

産業競争力の源泉

問われているのは、マテリアルズ・インフォマティクスを具現化できるかどうかだ。データベース一つ取ってみても、国レベルの大きなものが構築できるのか、親和性の高い企業間だけでチームを組んで、結果、小さな複数のデータベースが立ち上がることになるのか、まだ実体は見えてこない。しかし、他国に遅れることなく構築せねば、日本の材料開発の優位性が脅かされかねないことは共通の認識で、化学品業界等でも危機感が高まっている。日本には、信頼に足る計算機出力につながる、質の高いデータが蓄積しており、基盤は十分にある。激しい開発競争のなかで、マテリアルズ・インフォマティクスを現実のものとし、国際的優位性を死守せねばならない。
構築の取り組みはまだ緒に就いたばかりであり、また、構築されても、材料開発の全てがインフォマティクスでなされるものでもなかろう。しかし、非常に強力な手法となるのは確実だ。「材料」は、医薬・創薬、地球環境、宇宙・天文、エネルギー等、幅広い分野の礎であり、その開発力は産業競争力の維持発展に大きく関わる。マテリアルズ・インフォマティクスの早期構築により材料開発が飛躍的に発展し、他産業の牽引役となることを待ち望むものである。

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