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株式会社三井物産戦略研究所

混迷深まる難民問題と問われるEUの結束

2016年4月8日


三井物産戦略研究所
欧州・ロシア室
犬塚陽介


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出口の見えない難民問題に直面し、EUの結束が揺さぶられている。欧州には2015年、難民認定を希望する100万人以上が中東やアフリカ、アジアから押し寄せた。難民認定希望者1は、受け入れ体制の充実するドイツや北欧諸国を目指し、主にギリシャからバルカン半島や中欧諸国を縦断していく。しかし、滞在の長期化や治安の悪化を懸念する関係国は独自の国境管理体制を敷いて「移動の自由」を制限し、EU統合の象徴である「シェンゲン協定2」が一部で有名無実化した。入国制限の影響でギリシャ国内には約5万人が劣悪な環境で足止めされ、難民問題は深刻な「人道危機」へと陥りかねない状況だ。危機の回避に向け、EU28カ国が自国の利益を捨てて「European Solution(欧州の解決策)」で団結できるのか。EUの真価が問われている。

爆発的な流入で揺らぐ「移動の自由」

欧州への難民認定希望者の流入が飛躍的に増大したのは、2015年夏からのことだ(図表1)。2015年3月以降にシリア内戦が激化し、国外に脱出した約480万人の一部がトルコから欧州を目指した。想定を超える規模の流入に中欧諸国は出入国を制限したが、EUの盟主を自負するドイツは難民認定の申請手続きを定めたEUのダブリン規則を緩和するなど、寛容な受け入れ措置を表明したため、ドイツを目指す認定希望者が欧州に殺到した。
EU統計局によると、EU加盟28カ国には2015年、過去最多となる計125万5,640人分の難民認定が申請された。統計にはEU未加盟のアルバニアやコソボからの申請者も含まれるが、それでも爆発的な流入の一端がうかがえる。申請者の内訳は、シリア人が約36万2,800人、アフガニスタン人が約17万8,200人、イラク人が約12万1,500人。申請受理国の1位はドイツの44万1,800人3(前年比155%増)で、ハンガリーが17万4,435人(同323%増)、スウェーデンが15万6,110人(同108%増)で続く。上位3カ国だけで受け入れ総数の約62%を占めている。
爆発的な流入に直面したドイツなどシェンゲン協定に加盟する少なくとも10カ国が2015年9月から順次、出入国管理を導入して移動の自由を制限している。オーストリアは2月17日、流入が「限界に達した」として難民認定申請の受付を1日80人に限定することなどを表明し、「難民の地位に関する条約」に違反するとしてEUが撤回を求める事態となった。スロベニアやクロアチア、EU未加盟のセルビア、マケドニアも難民認定希望者の入国を原則として認めない方針を表明し、西バルカンルートは事実上、閉鎖された(図表2/3月23日現在)。
とりわけ、マケドニアがギリシャとの国境を事実上封鎖したことで、難民問題が本格的な人道危機に陥りかねない危険性が高まっている。出口が塞がれたことで、ギリシャには収容施設が手薄なまま約5万人以上が滞留している。マケドニア国境沿いの収容施設では、滞在者1万5,000人に対してシャワー24個、トイレは140個しかなく、赤痢の発生が報告された。食糧や水不足も深刻で、このまま夏を迎えれば状況はさらに悪化しかねない。しかし、加盟国や周辺国の関心は自国への難民流入を防ぐことに重きが置かれており、支援の足並みは乱れたままだ。

実効性が不安視されるEUトルコ合意

問題の根源であるシリア内戦の沈静化が見込めないなか、新たな“ギリシャ危機”を回避するには、トルコからの流入を食い止めるしかない。EUは3月18日、トルコからギリシャに到着した全ての難民認定希望者をトルコに送還する見返りとして、トルコ内に滞在する270万人のシリア難民の中から、7万2,000人を上限に送還人数分だけを審査の上でEUに受け入れることを柱とする新対策でトルコと合意した。
EU側は新合意で、密航による無秩序な流入を抑えこむと同時に、難民認定希望者の約6割に達するとされる認定が困難な入国希望者を排除し、トルコルートを介すことで正規のシリア難民の流入の管理を狙っている。実現すれば、各国が再導入した入国管理も不要となり、シェンゲン協定の原状回復に道が開ける。双方は2015年11月にも30億ユーロの支援と引き換えにトルコが密航取り締まりを強化する対策などで合意したばかりだが、今回の合意はより踏み込んだ内容だ。
ただし、どこまで合意の実効性を担保できるのかは心もとない。そもそもEUは2015年9月までに、計16万人の難民認定希望者を加盟国で分担して受け入れることをドイツ主導で議決したが、中欧諸国が受け入れを拒否し、域内の「東西対立」が先鋭化した。今回の合意でも、加盟国に新たな義務が課されることはないとの条文が明記されており、中欧諸国の強い警戒感がうかがえる。反移民勢力の台頭などもあって他国も負担の共有に消極的で、移送が実現したのは1,100人(3月31日現在)にすぎない。受け入れ分担を加速させなければ、トルコとの合意は「絵に描いた餅」となりかねない。
一部のEU加盟国が抱くトルコへの不信感も根深い。トルコは今回の合意で、合意済みの支援金30億ユーロの倍増を勝ち取った。また、2016年10月までの実現を目指すトルコ国民のEUビザ免除を6月に前倒しすることやEU加盟交渉の加速も求めており、状況次第では、国境警備を緩めて難民認定希望者の流出に目をつむり、EU側に圧力をかけるのではないかとの疑念がくすぶる。
トルコからの流入を水際で阻止するEU域外国境の警備強化も喫緊の課題だ。EUは現在、国境管理に関する加盟国機関の調整役にすぎないFrontex(欧州対外国境管理協力機関)の役割を大幅に強化し、1,500人規模の独自部隊の創設を柱とする改革案を協議している。ギリシャにも域外国境警備の「行動計画」を提出するよう要求しているが、具体的な行動開始は早くても5月になる。現在、NATOの艦船が密航を監視中だが、早期に実効性のある監視態勢を打ち出せるかは不透明だ。

迫られるドイツの負担増と深まる亀裂

それでも、EUはトルコとの合意以外に効果的な流入抑制策を持ち合わせておらず、紆余曲折はあるにしても、最終的には合意の着実な履行を迫られるだろう。このまま無秩序な流入が拡大すれば、いずれは他の加盟国も混乱の渦に引きずり込まれる。人口1,080万人のギリシャが全ての認定希望者を抱え込むことも不可能だ。トルコとの合意は「最良」ではなくとも、一時的な流入の抑制効果が期待できる。
だが、海路を完全に封鎖して流入を阻止するのは不可能であり、難民認定希望者の流入は回避できないだろう。合意により、EUはトルコから同人数のシリア難民を受け入れることになるが、全加盟国が負担を共有する可能性は低く、結局は合意履行のため、経済力もあるドイツを中心とした一部の有志国が負担を背負わされる可能性が高い。「欧州の解決策」を目指したはずの難民問題が、いつの間にか「ドイツによる解決策」に変容していくなかで、ドイツ国民の反発やメルケル首相の求心力低下といった副作用が鮮明になろう。3月13日に実施されたドイツの3州議会選では、反移民の右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進した。また、利害をむき出しにした加盟国の対立が域内の亀裂を深め、EUの求心力がさらに低下する事態を招きかねず、EUが目指す統合の深化は、正念場を迎えることになる。


  1. 「難民」は1951年に締結された「難民の地位に関する条約」に基づき、「人種、宗教、国籍、政治的主張などを理由に迫害を受ける恐れがある人々」と定義される。また、条約上の難民には当たらないが、帰国すれば「重大な危害」が加えられることが予測される該当者の滞在をEUは認めており、「補完的保護の受益者(beneficiary of subsidiary protection)」と位置付けられる。難民に認定されやすいシリア人などを装って就労などの経済的理由で移住を希望する人々は、「経済移民」とも呼ばれる事実上の不法移民になる。
  2. 26カ国が加盟する「人の移動の自由」を定めた協定で、域内の出入国審査が廃止されている。EU加盟28カ国のうち、英国、アイルランドが協定に加盟しておらず、ルーマニア、ブルガリア、クロアチア、キプロスは現段階で参加を認められていない。EU非加盟国からはスイス、ノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインが加わっている。
  3. ドイツ内務省などは、2015年の1年間で109万1,894人の難民認定希望者が入国したと発表した。これは認定希望者を各州に公平に配分するための「EASYシステム」に登録された数字をもとにしているためだが、難民認定希望者が望みの州に振り分けられるようEASYシステムに複数回登録したり、その後に第3国に出国したりする場合も多く、ドイツ国内に滞在する難民認定申請者を示す正確な数字とはいい難い。ドイツ内務省は2016年2月、EASYシステムに登録済みの約110万人のうち、少なくとも13%(約14万人)の所在が不明としており、所在不明者が最大60万人に膨らむ可能性も指摘されている。

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