株式会社三井物産戦略研究所
成長を続けるメキシコ自動車産業の課題と展望
2016年5月2日
三井物産戦略研究所
産業調査第一室
西野浩介
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メキシコの自動車産業は高い成長を続け、2015年には生産台数が世界第7位の357万台となった。新興国の自動車産業が停滞するなか、2020年にかけても日系企業を含めた生産拡大の動きが続き、その規模はさらに拡大する見込みである。メキシコの自動車産業に死角はないのだろうか。
増え続ける生産と限定的な国内市場
2015年のメキシコの自動車生産台数は前年同期比5.6%増の356.5万台となって過去最高を更新した(図表1)。リーマンショック時に北米の自動車生産は大きく落ち込んだが、その後の回復過程で、カナダの生産台数が伸び悩んだのに対し、メキシコは2009年から約2.3倍に増加した。
メキシコの自動車生産が増加している最大の理由は、北米地域(NAFTA圏)への自動車供給拠点としての位置付けの高まりによるものである。リーマンショックで米国自動車メーカーの北米での生産台数は一時半減、生産能力は3分の2に減ったが、能力削減の大部分は米国で行われた。一方、メキシコでは、2009年に生産が落ち込んだもののすぐに回復に転じた。上位を占める日産自動車、フォルクスワーゲン(VW)、米国3社(GM、フォード、クライスラー)が、リーマンショック前から計画されていた生産増強投資を次々に行い、2014年には、マツダ、ホンダの工場が相次いで操業を開始したことで、メキシコの自動車生産能力は大きく拡大した。加えて、2019年頃までに起亜自動車、アウディ、BMW、トヨタ自動車などの工場新設計画が目白押しである(図表2)。その背景には、米国北部とカナダの工場労働者がUAW(全米自動車労働組合)やCAW(カナダ自動車労働組合)に加盟していることから賃金水準が両国内の平均から見ても高いのに対して、メキシコの労働者の賃金は米国の平均と比較して6~7分の1と低いために、労働コストが低く抑えられることがある。その結果、メキシコでは、車両単価が低く、採算が厳しい小型車を中心に生産が拡大していった。
生産が順調に拡大していったのに対して、メキシコ国内の新車販売の伸びは限定的である。2015年のメキシコの新車販売台数は、前年比18.8%増の138.8万台と過去最高になったが、新車販売が初めて100万台を超えた2002年から2014年までの年平均成長率は1.3%にすぎない。
この背景には、メキシコの中古車輸入に関わる制度の問題がある。NAFTAの取り決めに従ってメキシコでは2005年から米国およびカナダからの中古車輸入を解禁した。メキシコ国内で流通する中古車の販売に配慮して、当初は車齢10~15年の車のみ輸入できたが、その後徐々に緩和されてきて、2019年には全ての中古車が輸入可能になる。この制度が導入されたことによって、米国からメキシコに大量の中古車が輸入され、今では新車も含めてメキシコ国内で販売される車両の4割が米国からの中古車であるといわれている。メキシコの自動車普及率は人口比約3割で、所得水準から見て決して低くないが、大量の中古車流入が、年間の新車販売台数が保有台数の30分の1と極端に少ない現状につながっている。関税や輸入規制がなく、所得水準が3倍の米国と地続きで接していることの必然的な帰結といえるだろう。
北米主体の輸出市場構成と脆弱な部品調達網
メキシコで生産される自動車のおよそ8割は輸出される。そしてその8割が米国、カナダのNAFTA圏向けである。メキシコの自動車生産台数と輸出台数は過去10年でともに2倍強に増えたが、国内市場が2014年までほぼフラットであったこともあり、北米地域向け輸出主体の構造は基本的に変わっていない。
輸出先については、メキシコは現在、NAFTAをはじめとして、中南米、EU、日本などと2国間FTAを含め45カ国と経済連携協定を結んでおり、自動車・自動車部品の輸出入が行いやすい環境になっている。MERCOSUR(南米南部共同市場)はその代表的なもので、メキシコ・ブラジル間では完成車の輸入自由化協定が結ばれていたが、ブラジルではメキシコからの輸出が増えて不均衡が生じたため、2012年以降はメキシコからの完成車の無関税輸出に制限を設ける措置が続いている。また、欧州向け輸出はVWの一部車種などに限られる。こうしたことで、他地域への輸出が思うように増えてないことも、北米市場への依存度が下がらない要因になっている。
一方、メキシコ国内の供給体制を見ると、リーマンショック以降の完成車生産能力の増強が進むとともに、部品生産能力の拡充が進みつつある。米国3社やVWなどによるエンジンやトランスミッションの生産能力強化が進んでいることに加え、日系企業の相次ぐ完成車工場新設に伴って、日系1次部品メーカーの進出が活発化し、今や主要な企業はほとんどが進出している。2015年末には日系企業のメキシコ拠点数は1,000カ所に迫り、過去5年間で2倍以上に増えたという。
そのなかで、自動車車体部品の材料となる鋼板やアルミ、樹脂やゴムなどの材料、アルミ鋳物、鍛造品、プレス部品などの金属加工品、プラスチック射出成型品などの現地調達先の不足が指摘されている(図表3)。これらは産業の裾野に位置する素材や基礎的な加工部品で、自動車メーカーから見ると2次、3次サプライヤーがこの部分を担っている。素材メーカーは多額の設備投資を行うため、投資回収のためには一定の需要量を必要とする。また、電力、水などのインフラが整っていることも必要だが、メキシコでは電力供給が十分でなく、日系企業の進出が相次ぐ中央高原地帯では水の供給も限られている。一方、2次以下の部品メーカーは中小企業が多く、資金と人員が限られているため、日系企業に限らず海外進出は容易ではない。マツダやホンダの工場が位置するグアナファト州などは、もともと産業基盤が乏しく、進出した企業が労働力を確保するのも容易でないという。
こうした背景から、1次部品メーカーは、材料や部品の多くを、米国や日本など国外からの輸入に依存している。現状では、完成車メーカーの現地調達率が7割程度に達していても、部品・材料を含めた正味の現地調達率は3~4割という場合が多い。NAFTAはもとより、日本やEUともFTAが結ばれており、部材輸入の障壁が少ないことが、現地調達の拡大を妨げている面もある。加えて、メキシコの港湾やトラックなどの輸送インフラは、既存事業者の寡占状態にあることもあって輸送費は割高である。その結果、部品の調達コストは日本や米国と比較しても割高になり、労働コストが低くても新しく進出した企業がメキシコでの自動車生産でコストメリットを見いだすのは容易ではないようだ。例外は、アグアスカリエンテス州の日産自動車、プエブラ州のVWの拠点などで、これらの地域では生産量が多く、数十年にわたる人材と周辺産業集積の結果、米国と比較して低コストでの操業ができているものと考えられる。
産業高度化への展望と課題
メキシコの自動車産業は今後どのような発展を遂げるのであろうか。メキシコで自動車生産を行う上での最大のメリットは、良質で低廉な工場労働力の供給である。もともと米国との賃金水準が違うことに加え、過去10年間の賃金上昇率は年率1%台と、米国の3%台と比較して低く、労働コストのメリットが保たれている。その一方、自動車生産の運営管理の中核を担う技術者やマネージャーは人材供給が限られており、給与水準も米国と比較して10%程度の差しかない。そのため、労働者を多く使う組立工程ではメリットを出しやすいが、付加価値を上げるための部品の現地調達化や、工場での新モデルの生産立ち上げ、さらには新車の設計・開発といった、自動車産業の頭脳ともいえる部分ではコストメリットが出ない上に、能力の構築もあまり進んでいない。
これまでのメキシコの自動車産業は、安価な労働力を利用して組み立てた完成車を近接する米国という大市場に届けることを主体としてきた。国全体で見た場合、メキシコは2030年代半ばまで人口ボーナス期にあり、若年労働力の供給が豊富にあるため、労働コストは今後も上がらないといわれる。生産規模が大きくなっても、このような労働力供給が続く限り、メキシコの自動車産業は北米向けの組み立て拠点としての地位を保っていくだろう。しかし、ここ数年で日本企業の進出が相次いだ中部高原地帯では、急速な労働力需要増に伴う賃金水準の上昇が懸念されている。仮に今後、労働生産性の伸びを上回る賃金上昇が起きた場合、メキシコでの自動車生産のメリットが薄れていく可能性がある。メキシコに進出している部品企業の中には、国外から輸入する部材が割高なことに加えて為替水準によって調達コストが不安定なことから、自力での内製化を進めている企業もある。メキシコの自動車産業が将来にわたって安定的な収益を上げ続けるためには、部材の現地調達化を進め、国内での付加価値を広げて為替の動向に左右されにくい収益基盤を構築する必要がある。そのためには、裾野産業の集積を促進する税制支援などの誘致策や企業の操業環境を整えるためのインフラ整備が求められる。
また、これまでは国内市場が小さいこともあって、メキシコでの新車開発やそれに付随する機能は限定的であったが、設計・開発や生産立ち上げ、部品の現地調達化などを担うマネージャーや技術者を育成・強化することも重要である。こうした自動車産業の中核を担う人材層を増強することは、自動車産業の付加価値を上げるだけでなく、自動車の購買者となる中間層の形成にもつながり、それがさらに国内自動車市場の拡大につながるという好循環を導くことが期待できる。それは、メキシコの自動車産業が他国に依存しすぎず、自立性を持った産業に変わっていく道筋にもなるであろう。