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株式会社三井物産戦略研究所

現実路線に転換するASEAN

2016年9月9日


三井物産戦略研究所
アジア・中国・大洋州室
新谷大輔


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2015年末にASEAN共同体が発足し、ASEANは新たな時代を迎えた。しかし、当初予定していたレベルでの共同体実現はならず、また共同体の理念を揺るがしかねない外交や安全保障面での課題にも直面している。各国とも政治体制をめぐる課題等を抱え、ASEANはその理想の実現に黄信号が灯っている。

ASEAN共同体の現状

共同体の中核となる経済共同体(AEC)では関税撤廃こそ目標どおりだが、サービスや投資分野の自由化は遅れ、非関税障壁は削減どころか新たに設ける国が多発する状況にある。こうした状況が生まれるのは、EU加盟国が通貨発行や租税など国家主権の一部をEUに委譲し、より拘束力の強い共同体を目指したのに比べ、ASEANは内政不干渉が原則であり、各国の自主努力に委ねられている部分が多いためである。そのため、統合という大きな目標よりも、各国の「都合」が優先されることが少なくない。現在、ASEANはミャンマーやフィリピン、タイ、マレーシアなど多くの国が、共同体よりも政治的な問題などから国内事情を優先せざるを得ない状況にある。ASEANでは2015年末に発足した共同体をさらに高度化させるべく、2025年に向けた新たな目標を策定したが、目標達成スケジュールを盛り込まないなど、ASEANの現実に即したものへと後退した(図表1)。

南シナ海問題とテロリスク

共同体の結束を揺るがしかねない問題にも直面する。ASEAN各国は近年、総じて中国との経済関係が強く、例えば輸出で3カ国、輸入で7カ国が中国を最大の貿易相手国とする(2015年1)。また、親中国として知られるカンボジアなどインフラ整備協力を得ている国も少なくない。インドネシアの高速鉄道建設プロジェクトを中国が受注したことは記憶に新しい。その一方、中国との間ではフィリピン、ベトナムなど4カ国2が南シナ海の領有権をめぐる争いの渦中にある(図表2)。
人工島建設や掘削リグの設置といったエスカレートする中国の南シナ海における行動に対しては、ASEANは加盟国全てが一致した対応を取ることはできていない。2016年7月12日に発表された、フィリピンが提起した常設仲裁裁判所の裁定結果は事実上、中国の領有権主張の根拠を否定するものとなり、フィリピンの主張を全面的に認める内容となった。しかし、裁定が出される以前から、カンボジアやラオスはこの裁定を支持しないと表明、さらに7月のASEAN外相会合後に発表された共同声明では同裁定に関する声明は盛り込まれなかった。ASEAN各国とも政経分離原則にあり、中国との経済関係と政治・外交問題は切り分けて考えられている。しかし、中国との関係の強弱がASEANの共同体としての結束を揺るがす大きな要因となっていることは間違いなく、今後もASEAN共同体推進の最大の障害の一つとなっていくだろう。
また、イスラム国(IS)の影響がASEANに及んでいることも大きな課題である。2016年1月にはインドネシア、6月末にはマレーシアでISが関与した爆弾テロ事件が発生、いずれもシリアに渡った自国民戦闘員からの指示を受けたものとされる。マレーシアはかねてより東南アジアにおけるIS戦闘員の勧誘拠点とされ、またISは近年、ジュマ・イスラミア(インドネシア)など各国の過激派組織との関係を強めているとされる。フィリピンではISの支部を名乗る組織が3カ国でのテロ実行を促すメッセージを公開、またシンガポールを狙うテロ計画も明らかになるなど、テロの脅威は拡大している。安全保障面での協力も、ASEAN共同体では「政治・安全保障共同体(APSC)」の枠組みで協調することがうたわれているが、具体的なテロの脅威に対しては各国の個別対応に委ねられている。テロリストの越境、隣国からの直接の攻撃など、越境テロのリスクが高まるなか、ASEANとしての安全保障への対応が急務である。

人材不足問題が表面化するミャンマー

各国に目を転じると、国内問題を抱える国は少なくない。例えば、ミャンマーは3月末に54年ぶりとなる文民政権が発足したが、総選挙後から懸念されていた問題が表面化し始めている。政権発足早々、改革推進のために必要な課題の洗い出しを進めるべく「100日計画」を実行し、その成果の一つとして、7月29日には、新政権として初めてとなる12項目から成る経済政策がようやく発表された(図表3)。ところが、その内容は具体性に乏しく、失望感が広がった。ロードマップを含む詳細に踏み込んだ基本計画の策定が経済界から強く求められている。
国民民主連盟(NLD)政権が直面する課題として挙げられていたのが、前政権下で停戦合意に至っていない少数民族武装勢力との和解、外相に就任したアウン・サン・スー・チー氏の外交能力、各種政策の立案・実行能力などである。そして特に大きく影響すると考えられたのが二つの人材不足問題であった。第一の問題が、NLD自身に政権を牽引する人材が絶対的に不足しているという点である。4カ月経っても総花的な経済政策しか発表されなかった現実を考えれば、経済政策を立案し実行する人材が不足している可能性が高い。第二の問題が、教育システムの崩壊に起因する人材不足である。軍政下のヤンゴン大学解体などにより、高等人材を育成する機関が崩壊したことで、30~40歳代の中堅世代が育っていない。そのため、政治はもとより、産業を牽引する役割を担う人材が絶対的に不足している。工業省は7月22日に経済回廊計画を含む産業政策を発表したが、こちらも実行計画は策定されておらず、こうした産業を担う人材の育成戦略も乏しい。人材不足の問題はNLD政権の持続性にも疑問を投げかけることになりかねない。ミャンマーは民主化という大転換期を迎えたものの、国造りという点においては大きな課題を抱えている。

内政問題が重く圧し掛かるタイ・マレーシア

内政問題で揺れる国々もある。タイは2014年のクーデター以降、軍政下にあるが、民政移管後も軍が政治に関わる体制が構築されつつある。軍政は新憲法案の是非を問う国民投票を8月6日に実施(投票率59.4%)、その結果、賛成61.35%と過半数の同意を得て承認された。2017年中の総選挙実施を経て民政移管が行われる。しかし、新憲法では上院議員は事実上、軍政による選出となり、また上院の権限強化が進められているため、下院選挙で総選挙に強いタクシン派が勝利しようとも、その権限は限定的なものとなる。さらに、新政権は憲法上、軍政が策定する改革計画に沿って政策を進めなければならない。国民は軍政による「安定」を選択したが、民主主義の後退は避けられない。こうした状況下にあるタイがASEAN共同体を牽引するリーダー国とは到底なり得ない。
マレーシアは2013年の総選挙で野党が躍進し、独立以来続く与党・統一マレー国民組織(UMNO)による統治体制に陰りが見え始めていたが、政府系投資会社1MDBの不正疑惑に端を発し、ナジブ首相の責任を問う声が強まっている。マハティール元首相らが「ナジブ降ろし」を推し進めているものの、現時点ではUMNO内のナジブ首相の権力基盤は強く、2016年5月に行われたサラワク州の地方選でも与党が70%の得票で圧勝、またマハティール氏の影響力も限定的なものにとどまっている。ナジブ首相は自身の体制を固めるべく、早期の解散総選挙に踏み切る可能性もあり3、混乱も予想される。

議長国フィリピンへの期待と不安

転換期にあるASEANの今後を占う試金石となるのは、2017年にASEANの議長国に就任するフィリピンであろう。5月9日に大統領に就任したドゥテルテ氏は政権公約の中心である犯罪対策にまず注力しており、麻薬犯罪者らを次々に逮捕、時には犯罪現場で殺害すら進めている。その手法への国内外からの批判は強いものの、直近の世論調査4では大統領支持率が91%に達しており、国民から支持されている。また、外国直接投資拡大等、アキノ政権を踏襲する経済政策も発表され、GDP比5%(将来的に7%へ拡大)規模にインフラ投資を拡大する旨も示された。経済界も歓迎の意を表明しており、概ね順調な船出となっている。
ASEANは南シナ海問題への対応で足並みがそろわない状態が続く。そうしたなか、国内支持を固めたドゥテルテ大統領が中国との外交関係をどのように再構築するのか、注目される。それは議長国としての方向性にも大きな影響を与えるからである。ドゥテルテ大統領は仲裁裁判所の裁定支持を表明したことから、フィリピンが裁定を棚上げし、中国に歩み寄る可能性は遠のいたが、中国への接近は国内での反発を招くリスクも抱える。ドゥテルテ大統領の対中政策の行方はASEAN共同体の方向性にも影響を及ぼすことになろう。


  1. IMF,Direction of Trade Statisticsデータ。
  2. 中国、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイの計6カ国・地域が領有権を主張している。
  3. 任期満了に伴う次期総選挙は2018年の予定。
  4. 現地民間調査会社パルス・アジアが7月初旬に行った意識調査。

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