口腔ケアによるウェルネスをビジネスで支援|米国の歯科医院経営サービスDental Service Organization(DSO)とは[前編]

2024.08.30

口腔の健康は、全身の健康と密接な関係を持つといわれています。三井物産は、2022年に歯科医院の経営実務を代行するDental Service Organization(DSO)事業を行う米国のSignature Dental Partners(SDP)に出資し、歯科医師がより治療に専念できる環境づくりを支援しています。

米国で普及が進むDSO事業は、歯科領域にどのような付加価値をもたらすのでしょうか?SDPに出向中の高橋氏より、米国の歯科市場とDSO事業の動向、そしてウェルネス領域への発展可能性について解説いただきました。

高橋 響 氏

三井物産株式会社
パフォーマンスマテリアルズ事業本部
Signature Dental Partners 出向

2014年に三井物産に入社。旧機能材料事業本部(現パフォーマンスマテリアルズ本部)先端材料事業部にて電子材料領域のトレーディング事業に従事した後、社内研修制度を活用しドイツへ派遣。ドイツでは、自動車材料領域のトレーディング新規開発の他、欧州歯科市場の基礎調査を担当。2019年に帰国後、本店歯科チームに配属、米国DSO案件をはじめとする新規開発を担当。2022年10月にSignature Dental Partners社へ出資実行し、同年11月より米国駐在を開始、現在SDP社にて事業支援を実行中。

最適化・効率化を叶える「餅は餅屋で」スキーム

歯科医院といえば、歯科検診、クリーニング、虫歯治療といった歯科医師や歯科衛生士による施術を思い浮かべる方が多いと思いますが、歯科医院を経営するには、その裏側でさまざまな業務が発生しています。
例えば、医院で使用する施設や機器のメンテナンス、歯科材料の調達、人事管理、さらには医療費の保険請求といった会計・財務など、経営面での業務は多岐に渡ります。
そういった歯科医院の経営に不可欠な非医療業務を、院長やオフィスマネージャーに代わって行うサービス事業がDSO(Dental Service Organization)です。
各医院の経営実務を集約することで歯科医師や歯科衛生士が治療に専念する環境を創出するとともに、人件費や材料費といったコストの効率化を図り、収益を最適化していくことができます。

米国においても、医業経営の非営利性の原則の下、ほぼ全ての州にておいて、民間企業が医療法人を保有することは禁止されているため、DSOが医療行為を行うことはありません。医療法人との間で業務委託契約を結び、経営面をDSOが担う形となります。米国では法整備が進み、多くの民間企業がDSO事業に参入できるようになっています。

DSO事業自体は、遡れば1960年代頃から米国で現れはじめました。背景には歯科医療のニーズの高まりがあります。人口に対する歯科医師数が不足する中で、誰もが望む時に望む場所で診療を受けられるような医療インフラを整えていく必要がありました。その中で、資金力を持った事業者が歯科業界に参入し、歯科医師と連携しながら歯科医院の拡充を図るDSOのスキームが台頭していったと言われています。

また、昨今では歯科医師の「なり手」の変化も、DSOの社会的ニーズの高まりに影響を与えています。近年、米国の女性歯科医師数は増加傾向にあり、歯学部学生の約5割が女性といわれています。出産・育児といったライフイベントなどを考えると、DSOが提供する治療のみに専念できる職場環境や、勤務医の形でライフワークバランスを保ちやすい選択肢へのニーズが高まっているのです。また学費の高額化で卒業後に長い期間、奨学金の返済を継続するケースが多く、ゼロから開業するとなると開業資金の負担が重くのしかかります。こうした変化により、若手歯科医のキャリアの選択肢としても、引退を控えた歯科医の医院売却先としても、DSOが果たす役割が大きくなってきています。

近年では、図らずともコロナ禍によりDSOの真価がより認められるようになりました。個人が経営する医院では、診療をしたくても感染対策で新たに必須となったマスクなどの医療物資が入手できない状況が続いたのです。一方、DSOは規模感を活かした交渉力とネットワークを駆使して物資を調達し、傘下の医院へ供給することができました。こうした状況を受け、現在米国では歯科医院全体の20%前後をDSOが経営しているといわれています。今後も医師側のニーズ拡大により、その数は約40〜60%まで増加していくのではないかと推測されています。

世界的に見ても米国の歯科市場は圧倒的に大きく、米国歯科医師会によると2030年には2,300億ドルにまで伸長するといわれています。市場が大きければおのずと歯科関連のスタートアップなどの新技術開発も活発になりますから、医療レベルとしても世界を先導する一国であることは間違いありません。実際、最先端の技術やイノベーションの多くが米国から生まれています。

また、現代のニーズは虫歯や歯周病などの治療だけでなく、ホワイトニングや歯科矯正といった審美領域にも及びます。特に米国では、口元の美しさが重視されており、白くてきれいな歯がステータスとされているのです。歯列矯正は当たり前で、なんとプレナップ(婚前契約書)には、いざという時に子どもの歯の矯正費をどちらが負担するか、という項目が含まれることもあるほどです。米国にいると、歯のきれいさがその人の信頼にも関わるなど、ビジネスの場で影響力をひしひしと感じることもあり、歯をきれいに保つために出費をおしまない国民性も、米国の歯科市場を活発化する一要素と考えられます。

より良い治療につながる環境をいかに創出できるか

この事業を担う先端材料事業部は、化学品セグメントに所属する部署で、主に電子材料や半導体材料を扱う事業部です。一見、歯科業界から遠く思われがちな部署ですが、実はパートナー企業の中には歯科材料を扱う部門も存在するなど、必ずしも遠くない領域であることが見えてきました。そこで、パートナー企業との連携を強化していくべく、歯科業界での事業化検討に向けた独自の調査を進めていく中で、歯科業界の非効率性という課題があることを認識し、この課題の解決策として、私たちも歯科領域に参入できないかと考えたことが始まりでした。歯科医師向けのセミナーや展示会に参加したり、そこでつながりができた先生方とお話しさせていただいたりしながら、当社がどのように付加価値を提供できるか検討してきました。

事業のあり方を検討する中で、米国で普及が進むDSO事業を知り、事業の将来性はもちろん日本でも同様のニーズがあると考えました。ただ、米国でDSOに乗り出すとなると事業・地域ともに初の試みとなるため、まずは国内で事業を検討し、2016年に矯正マウスピース事業会社のSmile True Japan社(Exit済)、2018年に義歯製造や義歯専門クリニック運営事業会社のBitec Global Japan社、2019年に歯周病治療機器の開発・製造事業会社のLuke社に投資し、歯科医療に関する知見を蓄積していきました。

並行して、米国でのDSO事業に関しても研究調査を続けていました。Bitec社への投資を通じてDSO事業者に近しいポジションが取れたこともあり、2018年にDSOの業界団体に加盟できたことは大きな弾みとなりました。そこから業界の方々とのネットワークを拡大していく中で、西部9州(当時8州)にわたってDSO事業を展開しているSDP社とのご縁がありました。私たちの狙う事業モデルとSDP社の事業拡大などのタイミングがうまく合致し、2022年10月に出資参画することができました。

2017年に設立したSDP社は、既存オーナーから歯科医院を買収するモデルで、現在98医院を保有し、歯科医師や歯科衛生士、受付のスタッフを含めた従業員数は600名に及びます。

SDP社では、傘下の歯科医院の経営全般を支援しています。特に重要なのは、資材の調達関連で、材料費や技工費といった主流のものから、院内のインターネット環境やうがい用の飲料水、ユニフォームの洗濯など、歯科医院を経営する上で発生するさまざまなコストに対し、グループの規模を駆使して事業者と交渉することで、リーズナブルな価格で高品質なサービスの提供を実現することです。DSOは数量のコミットメントも大きいため、納入事業者であるパートナーにとってもメリットがあります。歯科医院、パートナー、そして私たちがwin-win-winの関係を築くことを常に意識しながら歯科医院の皆様のサポートをさせて頂いています。

ただ、歯科医師の先生は使用する材料や資材にこだわりもありますし、医療の質に関わる場合もあるので、単にコストカットを図るのではなく、先生方が今まで通りの治療ができ、納得した上で、商品やサービスを適正価格で提供できるよう、安定的に調達することが私たちの役割だと考えています。材料や資材の切り替えを行う際は、現場の先生方のニーズを第一に、SDP社に所属する歯科医師の専門的な分析を混ぜながら、歯科医自身による最終的な意思決定を担保することを徹底しています。

私は、出資の翌月の2022年11月から出向し、現地でSDP社の経営全般をサポートしています。歯科領域に関しては一定の知見はありましたが、歯科医院経営はゼロからのスタートだったため、当社の病院経営チームにノウハウを勉強させてしてもらい、SDPでの業務に活用しています。

また、現場スタッフとの信頼関係の構築は、もっとも重視していることの一つであり、当社の人間であることをいったん忘れ、SDPの社員として、何がベストかを検討し提言するように心掛けています。また、わからないことがあれば、自分がどの状況にあるかを関係者にタイムリーに共有することで、迅速な解決に至れるようにしています。

後編では、口腔の健康が全身の健康に与える影響や、それに伴う医科歯科連携、ウェルネス領域における歯科事業の展望について紹介します。後編はこちらをご覧ください。