アスリート陶芸家 山田翔太氏に教わる、日本の美意識「みたて」が導く調和とは?

2024.03.22

昨今、ビジネスの現場では、「アート思考」や「デザイン思考」といった考え方が取り入れられ、活用されています。そこからさらに発展し、これまでにない発想やアイデアの源泉として、また変化を起こす「きっかけ」として、ビジネスにアートを取り入れる動きもみられます。
今回の記事では、「茶の湯」をビジネスシーンに取り込むなど、新たなスタイルで活動を広げるアスリート陶芸家の山田氏をお迎えし、「みたて」がビジネスの現場で人の心にもたらす効果や固定観念の取り払い方、人と人との調和の取り方について教えていただきました。

山田 翔太 氏

アスリート陶芸家、遠州流茶人

15歳から独学で陶芸を始め、現在は、東京を拠点に作陶に取り組む。茶盌(ちゃわん)を中心とした作品を制作し、銀座の靖山画廊の所属アーティストとして個展も開催。遠州茶道宗家の直門で茶の湯の世界を学び、準師範「宗道」としても活動。茶盌や茶の湯を通して日本の美意識である「みたて」の世界を伝える企業向けの研修やワークショップのほか、海外でも作品の個展や茶会を通して日本文化を世界に伝える活動を行う。また、14年間のラグビー経験を経て、現在はトライアスロン、トレイルランをライフワークとしてレースにも出場するほか、lululemon、Milletなどのブランドアンバサダーとして、「スポーツ×アート×日本文化」を伝えている。

「よくわからない、だけど面白そう。」の引力

陶芸に茶道、スポーツ――これらを掛け合わせた独自のスタイルで活動する現時点での私の肩書きは、「アスリート陶芸家」です。実は、この肩書き自体にあまり想い入れはなくて、自分に関連の深いもので、両極端にある2つを掛け合わせることで生まれるちょっとした引っかかりや違和感がもたらすインパクトを重視しました。2つの関連性のような小難しい話をしたいわけではなく、その肩書きからどんな活動をしているのか想像できないからこそ、「なんだろう?…知りたい!」と、興味をかき立てることが狙いです。その意味で、肩書きは印象を持ってもらうためのフックでしかないのですが、最近、明確化してきた活動の本質より目立ってしまうといったことも生じはじめており、今後の活動に応じて、肩書きは変えていきたいと思っています。
今、「スラッシャー」がトレンドワード化しています。「スラッシャー」は、複数の肩書きや仕事でキャリアを形成していくことを意味しますが、どんな要素をどのように掛け合わせていくかで、持ちうる可能性は無限大になります。「1,000,000人に1人」と聞くと、ものすごい逸材に思えますが、「100×100×100=1,000,000」と因数分解して考えれば、100人に1人の個性を3つ掛け合わせれば実現できるといえます。そう考えると、全く不可能なことでもないように思えてこないでしょうか?私のケースに当てはめてみると、陶芸×茶の湯×スポーツのスラッシャーとして活動していることになりますね。

ビジネス×「みたて」とは?

「みたて」とは、簡単にいえば、茶盌を通して自身の持つ美意識と向き合うことです。実際のワークショップの進め方は後述しますが、この「みたて」をビジネスにも取り入れることができたら、多くの方の考え方やモノとの向き合い方に面白い変化が生まれるのではないかと考えたことから始まりました。
かつて、茶の湯は、なぜ戦国武将たちの心を掴んだのでしょうか?その理由の一つとして、茶の湯の世界の「美意識」を介して、互いの心と心を通わせるためのツールになりえたからだと思います。
ビジネスも人と人との間で価値が生まれていくものだと考えてみると、決して茶の湯とビジネスは隔たりのある話ではないように思います。しかし、ビジネスシーンにおいて、心がつながる瞬間は、どれほどあるでしょうか?ファイティングポーズをとっている状態が常で、ガードを下げることはあまりないのではないかと思います。
美意識とは、一人ひとりが直感的に「良い」と感じる心の動きであり、「自分が何を美しいと思うのか」に正面から向き合うことです。審美眼に近いものだと考えています。その基準や感じ方は、個人の経験や知識が影響を受けていることもあるでしょう。しかし、何をもって美しいと決めるかは、個人の自由で、そこに肩書きや制限は存在しえません。
日常生活では、「今日のお昼は蕎麦にしよう」とか、自分の直感で決めることは往々にしてありますが、ビジネスの現場では基本的に論理的な思考を積み上げていくプロセスとなります。一方で、論理的に詰め、二者択一となった場合、「なんとなくビビッときた」から「この人にお願いしたい」といった直感で選択していることも多いのではないでしょうか?つまり、私たちはビジネスにおいて、常に左脳的論理の世界に、右脳的直感を加えて思考していて、この直感をさらに「みたて」によって研ぎ澄ますことで、何かしら変化が生まれるのではないかと感じるのです。
また、「美意識」を介して互いの心と心を通わせることで、自然とファイティングポーズを解き、その時間や機会を増やしていくことで、自由に鎧を脱ぎ着できるようになっていく、そんな体験を「茶の湯」を通して皆さんにお渡しできないだろうかと考えました。

「てのひら」を見せ合うことで生まれる調和

「みたて」は、何かをじっくりみること、といえます。まず、ご自身で気に入った茶盌を選んでいただき、じっくり10分ほど鑑賞いただきます。お茶を飲むための器をひたすらに見つめる、その時点で、なかなかの非日常ではないかと思います。
見終えたら、茶盌の中に見えてきたモノや世界について言語化していただきます。山やキツネ、龍、目の虹彩――ここで出てくる内容は実にさまざまで、当然ですが正解も不正解もありません。最近、気持ちがぐるぐるしているからマグマが見えたのではないか、自分の中にある対立した気持ちを2つの色が表している気がする、というように、どうしてそのように見えたのかも自身の内面を深掘りしていきます。
この時、茶盌の役割は自分の心を写すフィルターにすぎません。茶盌を通して見えた世界は、その人の美意識や経験が集約された、混じり気のないその人の存在そのものともいえるでしょう。
その後、それぞれが見えた世界を、その場にいるメンバーと共有していきます。私は皆さんの言葉に対して、さらに質問しながら内面の深堀りを促す役割です。特に何かを教える講師ということではなく、あくまでファシリテーターのような立ち位置です。
最後に、それぞれが選んだ茶盌で私がお茶を点て、皆さんへ振る舞って飲み終わった後、最後にもう一度茶盌を見ていただきます。そこで、見え方が変わったのであれば、自身の内面に変化があったということになります。

「みたて」の中で、それぞれが見えた世界を共有する際、「それは雲ではなく龍だ!」と否定する人は当然ながらいません。ですから、「みたて」では、全員が自分の心の内を見つめ、それを全員が見せ合っているという安心感が自然に醸成されます。一方で、ビジネスでは、社外に対して「手の内を明かす」ことは、なかなかあり得ないことです。
だからこそ、最初に「みたて」のワークショップを行ってから商談などに入ると、すでに相手の心を認めてしまっていますし、自分の心もさらけ出してしまっていることから、究極のアイスブレークができている状態といえます。人は、一度心がつながった相手のことを打ちのめそうと思いにくいはずです。
自分で定めたはずのルールも、時に自分自身を縛っているかもしれません。「みたて」を通して、自分の鎧も一度手放してみる、それだけで良いのです。自身の意見を発信しつつ、他者の意見にも学び、取り入れていく――そこに調和があります。かつての日本で行われていた商売はこの精神に基づくもののはずで、まさに今、世界で求められているのは、この調和に基づくビジネススタイルなのではないか、と思うのです。

「みたて」は相手と自分を受け入れ、つながり合うための手段

はい、フランスで活動する知人であるコーディネーターから誘いを受け、フランスを訪れた際に「みたて」を披露したことをきっかけに海外でのフィールドが広がっていきました。海外における日本文化である「お茶」のへ興味は大きく、それだけ需要も感じています。
海外でも「みたて」でお茶盌の中に見えてくるモノや世界について、実にさまざまな意見が出てきますが、その内容は日本人と比べ特に大きな違いはありません。ただ、求められる部分は異なるため、やり方は海外向けに工夫を凝らしながら展開しています。
例えば、フランス人は日本の神秘的な雰囲気が好きなので、できるだけ私自身は話さず、ミステリアスな存在を演じてみせる、などです。また、日本の精神性や歴史を知りたいという欲求が高く、質問もたくさんいただきます。日本には、茶道、華道、香道など、さまざまな伝統や文化があり、そこには深い精神性があります。そこに興味を持つ外国人も多くいる中で、多くの日本人が自国のルーツや文化をよく知らないことは、とてももったいないと感じます。
日本人は、自然のあらゆるものの中に畏敬の念を感じ、小さなものにも美意識を詰め込み、そこに宇宙のような壮大さを見出す精神性を持っているということです。茶の湯の歴史として、誰がいつお茶の文化を初めて伝えて……といった詳細な説明ができなくても、素晴らしい、美しい、と自分が感じたことを、自分の言葉で説明するだけで十分日本の精神性を伝えられるのではないかと感じます。
道を究めるために数十年が必要という考え方もあります。しかし、美意識は本来、全ての人に開かれた自由なものです。今、必要なのは「みたて」を通して、多くの人に日本文化の素晴らしさを知ってもらい、さまざまな領域との掛け合わせによって、さらなる価値をともに生み出していくことだと考えています。

増加するインバウンド需要に向けた国内での活動はもちろん、これまで以上に自ら世界各地へ赴き、「みたて」の思想を発信していきたいと考えています。
私は、調和することが世界平和につながると信じています。戦争は突き詰めれば、正義のぶつかり合いです。どちらが正義かをめぐって対立し、争いに発展してしまいます。
しかし、美意識の世界には正義も正解もありません。「みたて」が世界の人々にとって身近なものとなり、相手と自分を受け入れ、わかりあう手段として活用されるようになれば、戦争は起こりえないのではないかと思います。非現実的に聞こえるかもしれませんが、戦火の地域に入って行って、お茶会を開くことが実現できればいいなと考えています。

「みたて」のワークショップで掲げている目標は、「ワークショップの帰り道に雲を見たくなる」という心の変化を参加者に起こすことです。
大人になる中で、「無駄なもの」として排除してきてしまったものは、少なからずあるのではないでしょうか?言ってしまえば、茶盌を見る時間に意味など全くありません。しかし、意味のないことに向き合う時間に、心を解きほぐし、発想を活性化させる効果があると感じています。じっくり何かを見る時間は、マインドフルネスにもつながっています。「みたて」の最中、常に心の目は自分自身に向いています。じっと雲の様子を見つめ、そこに思い思いの形を見いだしたり、ひたすら泥団子を磨いたり――皆さんも、子どもの頃の日常にこのようなワクワクする豊かな時間が流れていたと思います。
そう考えると、「みたて」とは、自分の中の童心をよみがえらせることであり、「自分自身との対話力」を高める訓練ともいえます。ディテールへの意識は、訓練する中で磨かれていき、自分の捉えられる世界が広く、深くなっていきます。ものを見ることに抵抗がなくなると、集中力も高まります。なかなか想像ができないかもしれませんが、こうすることで、茶盌を10分間見続けることも、次第に苦ではなく、豊かな時間になっていきます。
日本人は、お茶を点てて出すだけのものを、なぜ「道」にしたのでしょうか。一見すると意味がないと思われることに、徹底的に意味を見出し、「道」として磨き続けることが、日本の精神性だからです。そこから得られる豊かな時間や深い意味は、幸福にほかなりません。まず、今日の帰り道、雲を見上げてみることから始めてみませんか?