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株式会社三井物産戦略研究所

経済改革が進むアルゼンチン

2018年4月23日


三井物産戦略研究所
北米・中南米室
片野修


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いま注目されるアルゼンチンとマクリ大統領

アルゼンチンといえば、世界有数の農業国である。国土面積の53%が農用地(耕作地や牧草地)であり、温暖で湿潤な気候帯に位置する「パンパ」と呼ばれる肥沃な土壌から生産される農・畜産品は高い競争力を持っている。また、同国は資源国としても広く認知され、中でも原油、天然ガス、再生可能エネルギーの潜在的な生産能力に注目が集まっている。

一方で、アルゼンチンは、ポテンシャルは魅力的だがビジネスを展開するには難しい国、とのイメージも長く定着してきた。それは、1930年代から80年代にかけてはクーデターが頻発し、経済が大きな打撃を受け続けたためである1。1983年以降は一貫して文民政権だが、労働者階層を支持基盤とする政治の伝統が残ったことからバラマキともいえる極端な所得再分配政策が繰り返され、民間企業の投資促進といった成長戦略は持続しなかった2

しかし、こうした状況は2015年12月のマクリ政権発足を機に過去のものとなりつつある。

マクリ大統領は、1959年生まれの59歳。2005年に下院議員に当選し、2007年から2015年までブエノスアイレス市長を務めた。大統領になるまでの政治経験は約10年であり、それ以前はマクリ家経営のソクマグループの役員などを歴任している3。2015年の大統領選挙では、デフォルト解消への取り組み、為替取引や国外送金の自由化など、前大統領の路線とは異なる市場重視の政策を訴えて当選を果たした。

マクリ氏の登場は、経済危機を繰り返し、世界有数の農業国でありながら国民生活を改善できなかったアルゼンチンの政治が経済改革に向けて舵を切ったことを示している。

マクリ政権が変えるアルゼンチン経済

(1)アルゼンチンで始まった諸改革

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マクリ大統領は2015年12月の就任から約半年間に矢継ぎ早に改革を行った。主なものは、穀物輸出税の撤廃(大豆を除く)、為替取引や外貨の国外送金規制の大幅緩和、15年ぶりの国際金融市場への復帰によるデフォルト状態の解消である(図表1)。

穀物輸出税は歳入の1割を占め、前政権時に実施された「バラマキ政策4」を支えた重要な財源の一つだ。しかし、重い税負担を嫌った農業事業者は自家保留を積み上げ、意図的に輸出を抑制した。つまり、同税はアルゼンチンの経済発展には貢献しないものだった。

また前政権は、外貨準備高の減少要因となる外資系企業の利益・配当の国外送金を事実上禁止し、デフォルトに陥った際にも、財政資金は債務返済ではなくアルゼンチン内の貧困層に充てるべきと主張していた。こうした措置は国外からの投資意欲を委縮させ、雇用創出を阻み、結果的に、低所得層にも負の効果をもたらしていた。マクリ大統領の取り組みは、これまでの政策の矛盾を是正し、経済成長のための事業環境を整備していくものである。

(2)改革の要諦は「漸進」

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マクリ大統領の姿勢は決して「改革ありき」ではなく、制度改編のもたらす痛みを最小限とするための配慮を怠っていない点に特徴がある。例えば輸入規制策においては、事実上の許可制だった運用を事前申告制に変更して政策の透明性を高めつつも、国内産業の保護のために規制自体は残した。市場の価格決定メカニズムを歪める価格統制 Precios Cuidados も、現段階ではインフレ抑制のために撤廃していない(図表2)。また、大豆の輸出税については即時には撤廃せず、段階的に引き下げるとしたが、これは歳入への影響を考慮したものだ。

マクリ大統領が性急な改革を避ける背景には歴史の教訓がある。アルゼンチンは、インフレや不況に対する労働者の不満が政情不安に発展し5、事態収拾のために成立した軍事政権や大衆迎合的な政権が弥縫策を継ぎはぎしてきたことが次なる経済混乱を引き起こした、という苦難の歴史を歩んできた。マクリ大統領は、輸出税撤廃や為替取引の自由化などの諸改革により、就任半年で企業の事業環境の改善を実現し、市場から歓迎された。しかし、労働者の強い反発が予想された補助金カットや年金改革などのバラマキ政策の是正、すなわち財政緊縮策には、2017年10月の中間選挙において勝利を収めるまでは手を付けなかった。労働者の反発を抑えながら、漸進的な手法をとること(現地報道等では“Gradualismo”と呼ばれる)がマクリ大統領の改革の要諦である。

(3)大統領就任から2年で出した成果

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マクリ政権が発足して2年が経過し、アルゼンチンの事業環境は着実に改善しているようだ。JETRO調査によれば、「現地政府の不透明な政策運営」を同国事業における問題点・リスク要因と回答した現地日系企業は、政権交代以前には全体の9割超だったが、2018年1月発表の同調査では、それが3割未満に減少している(図表3)。

また、2017年10月に実施された議会中間選挙において、大統領が率いる与党「カンビエモス」は上下両院ともに議席数を大きく増加させた(図表4)。一部では、マクリ政権が実施した公共料金の引き上げ、依然として厳しいインフレ、マクリ氏自身が富裕層の出身であることなどへの反発がくすぶっているといわれるが、中間選挙での躍進は、有権者の大半がマクリ改革の方向性を評価したことの証左といえる。この結果を受け、2019年の大統領選挙での再選も現実味を帯びてきたとの見方もある。

中間選挙を終えた2017年10月末、マクリ政権は早速「税制改革」、「労働改革」、「年金改革」につき政府案を発表した。年金改革案は、支給開始年齢の引き上げや支給額算定方法の変更(実質減額)など、痛みを伴う措置を盛り込みながらも、2017年12月19日までに上下両院とも賛成多数で可決している。

今後は財政状況と国民生活に直結する指標に注目

(1)ウオッチすべきポイント

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中間選挙で躍進したとはいえ、マクリ大統領が直面するアルゼンチンの政治情勢は依然として予断を許さない。例えば、上記年金改革では反対派の抗議デモにより議会審議が一時中断を余儀なくされた。また政府・中銀が17%とした2017年末のインフレ目標は未達に終わり(実績は25.4%)、国民の生活苦の緩和には想定以上の時間がかかっていることが明らかとなった。事業環境好転の兆しが見え、実質GDP成長率は2年ぶりのプラス転換(前年比2.9%)となるなど、2017年のアルゼンチン経済には明るさが見られた。しかし、それでもバラマキ財政への回帰やデフォルト再発、ひいてはマクリ政権による構造改革路線の持続性に対する企業や投資家の警戒感は根強い。

マクリ政権が、有権者、企業、市場の信頼をつなぎとめるには、無理のない漸進的な方法で財政再建を推進しながら、インフレなき経済成長と雇用拡大を実現し、人々の生活を安定させていくほかに道はない。では、今後のアルゼンチンを見ていく上で、我々は何をウオッチすべきか。

第一に、脱大衆迎合、脱バラマキを進め、持続可能な財政基盤の構築が進展しているかを確認するための「財政収支」の動きである。政府は財政赤字6の将来目標を、2018年はGDP比3.2%、2019年は同2.2%と置き、2022年までに黒字化するとの目標を掲げている(図表5)。政府予算によれば、2018年の財政再建は主に歳出削減によって実現する計画であり、例えば、バラマキの一類型である燃料補助金等でGDP比0.6%分、公務員給与等の諸経費で0.3%分が削減される見通しだ。

なお、2018年に入ってからの財政赤字(プライマリーバランス)は2月までの累計で163億ペソだった。同232億ペソだった前年同期から財政赤字は縮小しており、財政再建の着実な進展がうかがえる。

第二に、財政再建という痛みを伴う改革に有権者が付いてきているかを、政権に対する「支持率」の動きで確認していく必要がある。トルクアト・ディテーラ大学が発表する「政府信頼感指数」によれば、大衆迎合的とされた前政権よりも、政権への信頼は高水準で推移しており、改革を進めるマクリ政権に対する有権者の支持は底堅いことが分かる(図表6)。

ただし、今後も求心力を維持していくためには、痛みを伴う構造改革を進め、市場の評価を得ていくだけでなく、経済成長を通じて、有権者にもメリットを提供していかなくてはならない。

その意味で、第三に、実体経済の動き、中でも「失業率」と「インフレ率」という有権者の生活状態に直結する指標を確認していく必要がある。

まずインフレ率は、当初の思惑どおりの推移となっていない。2017年12月時点で前年比25%上昇と、政府が目標とした12%から17%を大きく上回ったことから、政府はインフレ目標の上方修正を余儀なくされた(図表7)。インフレ率が40%超を記録した2016年の最悪期は脱しているとはいえ、今後も燃料補助金の削減による燃料小売価格の上昇がインフレ圧力となる可能性がある。インフレ収束が遅れれば、有権者の不満が高まり、財政再建を推進するのに必要な支持率にも響くこととなろう。マクリ政権は、インフレ抑制効果も期待できる財政再建を継続し、市場の信頼をつなぎとめることで為替相場を安定化させ、輸入インフラ圧力を抑制していくことが重要と考えられる。

次に失業率は、マクリ政権発足後の2016年は8.5%、2017年は8.4%となった(図表8)。年平均で見れば改善は緩やかだが、2017年10-12月の失業率は前年同期比0.4%ポイント改善している。産業活動が上向いたことで実質GDP成長率が2年ぶりのプラス成長を達成したのに連動して、雇用情勢にも光が見えてきたといえる。インフレ収束が遅れるなか、有権者の不満を抑制するためにも、産業振興策を通じた雇用の拡大がマクリ政権にとって喫緊の課題である。

(2)アルゼンチンの実体経済を浮揚させる産業振興策

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マクリ政権は、アルゼンチンの信頼回復の道筋を確かなものとするために、各種構造改革と並行して、産業振興による実体経済の浮揚を目指している。中でも注目すべき分野は、地下資源開発とりわけシェールガス、雇用創出力のある自動車、そして元来より競争力のある農産品である(図表9)。

これら3分野の振興策の主眼は輸出拡大と考えられる。短期的には、競争力のある農産品の輸出拡大が、外貨獲得や財政基盤強化の観点で重要となるだろう。他方、シェールガス開発や自動車増産には時間を要するが、シェールガスは2021年までの輸出(天然ガス輸出)の再開を、自動車は2008年から2016年まで全体の3割未満だった「メルコスール域外」への輸出の拡大を目標として掲げている。両分野は、増産による経済成長への貢献に加え、雇用創出への期待も大きい。

このように、マクリ政権は公共事業や補助金のような一過性の政策に依存した前政権とは一線を画し、産業振興策による輸出拡大を通じて経済を持続的な成長軌道に乗せようとしている。これが実現すれば、税収増を通じて財政収支は改善に向かい、それにより為替相場も安定することで、デフォルトの記憶が残る市場の懸念は払拭されていくだろう。


  1. アルゼンチンでは1930年から1983年の間に5つの軍事政権が成立。この間の経済は4.2年に1回はマイナス成長に陥っていた。同じ期間のブラジルでのマイナス成長は8.3年に1回のペース。
  2. 1989年のメネム政権では市場開放、外資優遇、緊縮財政を推進したが、労働組合を支持基盤とする与党「正義党」(通称ペロン党)内の反発から、改革は中途半端に終わった。
  3. 1995年から2007年までプロサッカーチーム「ボカ・ジュニアーズ」の会長を務めたことでも知られる。
  4. 全国の高校の生徒や教師へのパソコン(ネットブック)の配布、燃料価格据え置きのための補助金などがバラマキの典型。
  5. アルゼンチンで初のクーデターの発端となったのは格差解消を訴える労働者の抗議デモ。労働者の支持を得て1943年に成立したペロン政権では、労働者寄りの政策を導入し、これ以来アルゼンチンの政治は労働者の利益を重視するものとなった。
  6. 歳出から公債の元利払いを、歳入から公債金収入を、それぞれ除いたプライマリーバランス(基礎的財政収支)のGDP比。

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