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株式会社三井物産戦略研究所

意味深い軍事派生のビジネス用語

2014年4月11日


三井物産戦略研究所
研究フェロー
鈴木通彦
略歴:1969年防衛大学校、1974年同研究科を卒業。陸上自衛隊入隊後、陸上幕僚監部教育訓練部長、第9師団長を歴任。2000年から三井物産戦略研究所研究主幹、ハーバード大学上席客員研究員などを経て、現職。


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軍事は「壮大な実験場」

軍事は「壮大な実験場」といわれる。因果関係が勝敗という形になって明確に表われ、また、戦略・戦術から軍事装備品に至るまで、概念や用語が広範かつ体系的に使われるからである。孫子の「兵法」やクラウゼヴィッツの「戦争論」などの研究の歴史もある。これらから、米国のビジネス界は、軍事派生の戦略・戦術、情報、兵站などの概念や用語をさかんに使用する。ハーバードなどのビジネススクールが、軍事を事例研究で多用したことも大いに関係している。
一方、戦後日本は、「平和国家」として再出発したこともあり、軍人OBによるビジネス書がいくつか出版されたが定着せず、その意味で米国とは対照的である。にもかかわらず、これらの概念や用語が、米国から日本のビジネス界にかなり流入している。

Strategy(戦略)

米国では、Strategy(戦略)いう言葉がちまたにあふれている。一方、日本では、その言葉が軍事を想起させるためか、強い方向性を感じさせず、全体をゆるやかに取りまとめる意味の「総合」という言葉が好まれた。「総合安全保障」という使われ方はその代表例である。
概念としての「戦略」を最初に使用したのは孫子だが、語源は、将軍や将軍の指揮を意味する、ギリシャ語の「strategos」に由来する。学問的に体系づけたのは、ドイツのクラウゼヴィッツで、彼は、19世紀に著書「戦争論」で「Strategy」を「戦争目的を達成するため、戦闘を組み合わせること」と物理学を応用して定義し、与えられた条件の下で戦闘を指揮する下位概念の「Tactic(戦術)」と区別した。これに対し、同時代のフランスのジョミニは、著書「戦争概論」で、「戦争や戦闘の普遍的な原理を導き出す方法論」と定義し、「学」よりも「術」として捉えた。
これがプラグマティズムの米国に伝わり、最良の選択肢を選択し、それを達成するための目標に至る「方法論」という、戦争や戦闘に限定されない一般化した解釈が定着した。今、「戦略」は、軍事の世界で、国家レベルから作戦レベルに至る戦争および作戦の指導概念とされているものの、「外交戦略」や「ビジネス戦略」、あるいは「戦略性の高いゴルフ場」のように、その使用が拡大している。
米国のビジネス界は、戦略のアプローチ手法に注目した。マイケル・ポーターの「競争の戦略」はその好例で、彼は、企業が市場で一定の地位を確保・維持するため、企業と経営者の特性という内的要因、および業界の機会と脅威、社会からの期待という外的要因の分析を通した目標達成手法を考えた。そして、複雑・流動的な環境において最良を追求する、この軍事派生の手法がビジネス界を席巻した。日本でも野中郁次郎らの「アメリカ海兵隊-非営利型組織の自己革新」「失敗の本質」「戦略の本質」などを通じ、軍事とビジネスがつながり始めたが、引き続き敷居は高い。
ビジネスは、成功への挑戦とリスク回避を両輪にするが、そのあんばいが重要である。成功だけを意識すれば無謀につながり、リスクを意識しすぎれば停滞する。長く続いた欧米流の戦後秩序は、ビジネスのグローバル化とともに、複雑・流動化している。グローバル化には光と陰があり、効率を光とすれば、貧富・強弱の差の拡大やそれによる不安定が陰となって生まれる。冷戦時代や米国一極中心の時代と異なり、いまや国際環境から安定が遠のく可能性もあり、将来予測はますます難しくなる。
不確実性の高い環境においては、選択肢を広く考え、状況にふさわしい最善を選択し、これを具体化するとともに、最大のリスクに対処できる代替案を準備する、「強靭な戦略」の研究が必要になるはずである。

Intelligence(情報)とInformation(情報資料)

日本では、Intelligenceを「諜報」、Informationを「情報」と訳す書物にしばしば出会う。戦時中の暗いイメージ故であろうか。しかし、Intelligenceには諜報だけでなく、知恵や知性に由来する賢い情報という意味があることを忘れるべきでない。米国の、特に軍事分野において「諜報」および「情報」と訳すと意味が通じない。Informationを誤情報も含む情報資料、Intelligenceを分析・精選した情報と定義するからである。情報活動は、収集努力の指向、情報資料の収集、情報資料の処理、情報の使用という4サイクルを繰り返す。つまり、Informationは分析を経なければ使用可能なIntelligenceになり得ない。
現代社会は、情報通信技術(ICT)革命により、多くの情報資料の迅速な入手を可能にした。しかし、正しいかどうか評価し、必要な情報へ転換しなければ、必要性の低い情報資料に埋没してしまう。それゆえ、状況の推移を洞察し、早期に情報要求を決定し、適切な情報活動により必要な時期までに情報を収集・処理する必要がある。それには、センスと研鑽による「眼力」が求められる。そのためには国際や国内社会の動き、あるいはビジネスの未来予測が有効だといわれる。未来予測は外れることが多いが、その原因の究明を繰り返すことで、眼力が磨かれるからである。

Logistics(兵站)

Logisticsとは、「兵站」のことである。兵は軍事、站は駅舎(町づくり)、つまり、補給、整備、回収、輸送、衛生、建設、不動産、ならびに労務・役務を含む、あらゆる物的な支援機能の総称である。軍事は、作戦を核として、情報をリード役に人事と兵站がこれを支援する形で運営される。例えば、米軍は、世界中に展開する6個の戦域軍および、特殊作戦軍、戦略軍、輸送軍という3個の機能軍により任務を遂行する。そして、輸送軍は、世界中に兵力と物資を迅速に届けるだけでなく、何もない不毛な場所に兵站を構築する。
1990年代から2000年代のビジネス界は、世界が安定したこともあって、「物流」をLogisticsの代表と捉える方向に変化した。ICT革命により、顧客の嗜好という川下の情報が、川上の原材料や製造方法に反映できるようになって、戦後長く続いた大量生産による製造コスト低減という考えから、顧客の求める製品を素早く届ける考えに変化したからである。川上と川下の接近で、倉庫や卸問屋などの中間の必要性も減り、非効率を大幅に減らすことも可能になった。
しかし、これには、物流基盤が整備され、その効率化に特化できるという前提が必要である。ビジネスは、継続的な進化とともに、非連続的なイノベーション、すなわちパラダイムシフトを求めている。それに呼応するためには、物流をはるかに超えた、駅舎をつくるような大きな意味の兵站が必要になる。それによって初めて新たなビジネスシステムが完成するからである。

Agility(敏捷性)

Agilityという言葉が軍事で使われたのは、朝鮮戦争で機敏な戦闘機開発が求められたことに起因する。その後の冷戦末期に、米軍は、ソ連軍の圧倒的な機甲戦力の反復攻撃に対抗するため、ソ連軍の前方から後方に至る部隊や施設を、特に後方を重視し精密射撃で同時撃破する空地一体の作戦を構想した。1982年の国防白書で、それを成り立たせるAgilityの必要性を訴えたことで、これが広く使われるようになった。
冷戦終了後、軍事が抱えていたIT、GPSなどがビジネス界にスピンオフし、ICT革命が起きた。米軍は、ビジネス界で熟成されたこれを逆にスピンインさせ、1998年に「ネットワーク中心の戦争」を再定義した。戦場の霧の中で状況を解明する「情報の優越」と、敵を打撃して戦闘に勝利する「戦場の支配」の能力に注目し、敵を観測(Observe)し、識別努力を指向(Orient)し、目標を決定(Decide)し、打撃を実行(Act)するOODAサイクルの確立とこれを機敏に繰り返す能力をAgilityに求めた。そして、センサー、指揮統制システムおよび高精密兵器のシステム・オブ・システムズという軍事装備の概念も完成させた。
1980年代末から1990年代にかけ、Agilityは米国の製造業において人気の高い概念となった。1991年のアイアコッカ研究所報告「21世紀の製造業戦略」は、従来の「大量生産方式」とは異なる「機敏な製造」が、変化と不確実性を克服して顧客需要を満たし、人的資源を活用して競争に勝つ概念であると提案した。ジャストインタイム製造、柔軟な製造システム、コンピュータと通信ネットワークがその手段とされた。1990年代半ばにはICTの一般化によってAgilityが頻繁に使われるようになり、2000年代に入ると、学問の複雑適応系と一体化して、環境の「複雑」さに「機敏」に「適応」することが、組織と人材に必要な能力とされた。
機敏な企業は、環境適応に邪魔な要因を排除するため、業務のルーティンを変え、非官僚的でボトムアップ容易なフラット化を組織に求めた。個人は、経営者の包括的なビジョンと個人の具体的な目標を意義付け、相互作用しつつ自律的に機能してなすべき仕事を遂行する、そんなイメージである。それを通じAgilityが確保できるとされ、そして今、複雑・流動化する環境において機敏に対応する組織や人材の保有すべき能力、「Agility」が定着しつつある。

軍事用語とビジネス用語の違い

軍事用語は、国家の巨大なシステムの中で、概念から軍事装備に至る上下一貫した教義やマニュアルで定義される。用語の統一そのものが、巨大システムの統合、すなわち戦力発揮につながると考えるからである。
ビジネスの世界は、業種や業態の特性に応じ、あるいは単独企業の優位性をもって競争に勝ち抜くことを求める。企業体も軍事ほど巨大ではないが、個性の極めて強い一つのシステムである。故に、アカデミズムの定義する一般的な概念や用語に加え、個別企業にふさわしい再定義が必要である。社是や社訓は、軍事における教義のようなもので、それが明確であればあるほど、組織は強くなる。軍事派生語は、意外と身近な企業戦略の教科(強化)書かもしれない。

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