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株式会社三井物産戦略研究所

ブラジル・ルセフ大統領2期目の政策展望

2014年11月10日


三井物産戦略研究所
欧米室
片野 修


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10月26日、ブラジル大統領選の決選投票1が実施され、得票率52%で現職ルセフ大統領がブラジル社会民主党のネベス候補を破って再選を果たした。2015年1月からルセフ政権は2期目に入るが、労働者党政権としては、ルーラ前大統領の2期8年も含め計16年間の「長期政権」となる。そのブラジルの経済は、現在低成長にあえいでいる。果たしてルセフ大統領は再びブラジル経済を成長軌道に乗せることができるだろうか。

ルセフ大統領の実績

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今後を展望する前に、まずは選挙戦に至るまでのルセフ大統領1期目の実績を振り返ってみよう。
最大の功績は、2003年のルーラ大統領時代から続いてきた所得再分配政策を継続し、貧困層を減少させた点である。その代表的な施策が「ボルサ・ファミリア」(家族手当)といわれる、子供の就学や予防接種の実施などを条件に家計に現金を給付する条件付き現金給付制度だが、こうした家計向けの財政支出があったおかげで、資源ブームによる好景気の恩恵が低所得層・中間層消費にも満遍なく及んだと考えられる。ルーラ前大統領就任初年(2003年)からルセフ大統領就任の初年末(2011年末)までの9年間に、ブラジルの低所得層2は人口の54.8%(9,621万人)から33.2%(6,359万人)まで縮小し、中間層は、37.6%(6,588万人)から55.1%(1億547万人)まで拡大、さらにルセフ1期目の最終年である2014年中には60.2%(1億1,801万人)まで増加する見通しとなっている(図表1)。
しかし、良い話ばかりではない。ルセフ時代の実質GDP成長率は年平均1.6%程度となる見通しで、ルーラ時代の同4.0%から急減速している。ルセフ大統領は、構造問題、特にブラジル・コストの是正に十分切り込めず(後述)、資源ブーム一服に伴うブラジル経済の減速を緩和することができなかった。こうした状況の下、2014年の大統領選挙は、ルセフの所得再分配政策を評価した上でその継続を支持するか、それとも、停滞した経済の立て直しに失敗している現職を交代させ、経済政策の重点を所得再分配(消費主導)から、成長(投資主導)へとシフトさせるかが争点となった。

ルセフ再選の主因は低所得層の支持獲得

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大統領選は10月26日の決選投票に持ち込まれたことから分かるように激戦で、有権者は「分配」と「成長」で大いに揺れたことは間違いない。
ルセフとともに決選投票に進んだネベスは、所得再分配政策を維持しつつも、ルセフが失敗した経済成長を実現していくとのメッセージを打ち出し、一時は支持率においてルセフをリードする局面もあった。しかし、ネベスの企業活動重視のスタンスは、ルセフ陣営によって「貧困層切り捨て」と攻撃され、ネベスは十分な反論を展開することができなかった。決選投票直前の世論調査に基づき選挙結果をシミュレーションしたところ、所得上位層でネベスはルセフを上回る支持を受けたものの、全体の4割を占める「月収が最低賃金の2倍未満」の世帯の階層で3,000万人以上がルセフ支持に回っており、ここでネベス(1,780万人)を大きく突き放している(図表2)。結局、決選投票におけるルセフの勝因は、低所得層の支持獲得であったと考えられよう。

ルセフ政権2期目の制約要因

景気を牽引した資源ブームは一服
ルセフにとって、2期目の重要課題は停滞した景気の立て直しである。前述の「ボルサ・ファミリア」などの所得再分配政策の継続には、景気拡大による歳入確保が不可欠だからである。
ブラジルが好景気に沸いたルーラ時代を振り返ると、貿易収支が一次産品輸出により大幅な黒字を記録し、財政のプライマリー・バランスもGDP比3.9%まで上昇した(2008年)。この好況による歳入を財源に所得再分配政策が展開されたのである。
しかし、ルセフ大統領が就任した2011年以降は、輸出の主力品である鉄鉱石価格(中国天津港向け、鉄分62%)が、ほぼ一貫して低下基調で推移した(2011年2月に1トン192ドルのピークをつけたが、2014年10月末では80ドル近辺まで低下した)ように、ルーラ時代のブラジル景気を牽引した資源ブームは一服した。これにより貿易黒字は縮小し、合わせてブラジルの景気は停滞した。今後も資源価格の大幅な上昇は見込みにくい状況を踏まえると、景気回復の道のりは険しいといわざるを得ない。

景気停滞による財政収支悪化
資源ブーム一服による景気減速は、ブラジルの財政収支を悪化させている。近年のプライマリー・バランスを見ると、2008年はGDP比で3.9%だったものが、2013年には同1.9%まで低下している。さらに2014年は、1-8月の段階で0.3%と、政府目標1.9%を大幅に下回っている。こうした財政状況の悪化により、所得再分配政策の継続や、景気減速に対応するための機動的な財政支出には制約が出てこよう。
またプライマリー・バランスの黒字縮小は、ブラジル国債の格付に影響する可能性がある。現時点でブラジルの格付は投資適格級でも最低の水準となっている(S&Pで「BBB-」、2014年10月時点)が、今後、財政状況の改善が見込まれないようであれば、投資不適格級への格下げも視野に入ってこよう。経常収支赤字のファイナンスを対内直接投資・証券投資に頼るブラジルでは、格下げによる投資資金流入の鈍化は懸念すべき事態といえる。

今後の展望:構造改革進展は期待薄

こうした状況でルセフ政権はどのような政策運営を行っていくか。現時点では1期目の継続路線が強調されているが(図表3)、ポイントは財政健全化と新たな経済成長に向けた政策の推進となろう。

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まず財政については、格下げ回避のための歳出抑制を通じた健全化策を、2015年中には打ち出さざるを得なくなろう。例えば、自動車・家電向け工業製品税(IPI)減税の縮減や再延長の停止(2014年6月末までだった同減税は2014年末まで延長された)、ガソリンの市場価格引き下げのための補助金の縮減、公務員退職年金の増加抑制(現在は退職時の高額な賃金水準と同額の年金支給)、連邦歳出による公共事業の抑制などが俎上に上るのではないか。一方で、ボルサ・ファミリアや低所得層向け住宅融資プログラムといった象徴的な政策は維持されよう。
もっとも、財政健全化策だけでは経済成長を抑制するため、新たな成長促進策が打ち出される必要がある。第一に「ブラジル・コスト」の是正が挙げられる。ブラジル・コストとは、ブラジル特有の重い税負担、高金利、非効率な物流インフラ、高い労働賃金、煩雑な税務手続き・行政手続き等の総称であり、企業活動のコスト要因となっているもので、ルセフ大統領もその一部是正を公約に盛り込んでいる。しかし、重税の是正や税制簡素化は財政健全化路線とは矛盾するため、実現には困難が伴うだろう。インフラ整備の進捗も財政制約の中では期待しにくい。
新たな成長促進策の第二には、保護主義策の是正、開放政策へのシフトが挙げられる。ブラジル政府は国内産業保護のための高関税設定や輸入制限措置を実施している。典型例は、2012年3月に発動されたメキシコからの自動車輸入無関税枠への上限設定である(2015年3月までの時限措置。同措置によってブラジルの自動車市場における輸入車の割合は、2011年12月に27%まで上昇したものが、輸入制限開始から半年で急低下し、現在は20%弱の水準で推移している)。しかし、こうした措置がかえって労働生産性向上や産業高付加価値化のインセンティブを阻害し、国内産業弱体化、投資減退を招いている。よってブラジル経済が過度の資源依存から脱却し、国内投資主導での成長を実現するためには、開放路線へのシフトが不可欠である。ただ、性急な開放政策導入は輸入品急増による国内企業・雇用への打撃となろう。労働者への手厚い配慮を旨とするルセフ政権が積極的な開放路線に打って出る可能性は小さいだろう。
以上のように、ルセフ大統領は2期目も低所得層を重視した所得再分配政策の継続に努めると予想されるものの、成長力を高める構造改革への本格着手は期待しにくい。よって、ブラジル経済の停滞はルセフ政権の2期目も続くこととなろう。
ただ、景気停滞が長期化の様相を見せれば、現状からの変化を求める声が強まり、(3選禁止の憲法規定により)再々選を目指す必要がないルセフ大統領が開放政策導入といった構造改革に着手する可能性も、わずかではあるが残る。経済立て直しに不可欠な大統領の指導力発揮が期待される。(2014年11月4日記)


  1. ブラジル大統領選は10月5日に本選が実施されたが、過半数を獲得した候補者がいなかったため、得票率上位2名(ルセフ大統領とブラジル社会民主党のネベス上院議員)による決選投票が10月26日に実施された。
  2. ジェトゥリオ・ヴァルガス財団の定義によると、低所得層は世帯年収約100万円未満、中間層は同約100万円から420万円の層としている(2011年7月価格)。

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