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株式会社三井物産戦略研究所

3つの「戦い」を始めたオバマ大統領

2014年12月8日


三井物産戦略研究所
研究フェロー
鈴木通彦
略歴:1969年防衛大学校、1974年同研究科を卒業。陸上自衛隊入隊後、陸上幕僚監部教育訓練部長、第9師団長を歴任。2000年から三井物産戦略研究所研究主幹、ハーバード大学上席客員研究員などを経て、現職。


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予期せぬ3つの「戦い」

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オバマ大統領は、イスラム国、ウクライナ、そして中国と3つの「戦い」を始めた。戦火を交える戦い、さらなる侵攻抑止の戦い、そして覇権を懸けた軍事力建設の戦いと性質は異なるのだが。
2014年3月、米国防省は「4年ごとの国防計画見直し(QDR2014)」を発刊した。しかし、イスラム国やウクライナの記述はそこにない1(図表1)。脅威の出現を予期できなかったことはオバマ外交の失敗であった。
イスラム国が強く認識されたのは、イラク政府軍や治安部隊を圧倒し、主要都市を勢力下に置いた6月ころ、ウクライナは2月のヤヌコビッチ大統領解任から3月のロシアのクリミア侵攻に至るころであった。発刊前後に状況は急変した。財政の制約から「1.5正面対処戦略」2に縮小を余儀なくされたQDR2014からすれば、「3正面対処」は手に余り、いずれも中途半端になりかねない。
そのようななか、オバマ大統領は9月、イスラム国に対し、ヘーゲル国防長官やデンプシー統合参謀本部議長の「喫緊の脅威」宣言を受け、空爆限定の介入を始めた。
ウクライナ問題に対しては、反政府勢力を操りつつも公式関与を否定するロシアへの経済制裁を7月に始めた。軍事介入はせず、ウクライナ西部で小規模演習を行い、モルドバやバルト三国防衛の緊急即応部隊を準備した。冷戦後態勢や旧ソ連圏諸国の民主革命扇動への不満からロシアの反米感情が強く、プーチン大統領の「強いロシア政策」を受けた本格対立の懸念もあって、「ロシアのこれ以上の介入は許さない」という抑止の戦いになった。
アジア・太平洋リバランスの要の中国との「戦い」は複雑である。QDR2014は、他地域への介入を控え、将来に向け戦力を蓄えるとともに、中国を責任大国へ誘うためのエアシーバトル(ASB)構想で圧力をかけることを狙いにしている。しかし、予算の制約と前二者の出現でASBにも影響が出始めた。
総じて、イスラム国時期的優先、ウクライナ非軍事対応、アジア・太平洋当面棚上げの様相である。これらに対処できなければ、世界は「対米挑戦リスク」が低くなったと見る。今を軽視すれば警察官不在で世界は不安定化し、今だけに注目すれば将来向け資源の今への過剰使用で対中優位を失う、まさに「超大国か、一大国か」という、米国にとって世界におけるリーダーシップを懸けた挑戦である。

オバマ大統領の軍事・外交戦略

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オバマ大統領は、Light Footprint、つまり軍事介入を避け、外交による解決を目指している。ブッシュ前大統領が、「自由主義国同士は戦争しない。自由主義を拡大すれば、世界は平和になる」と価値観優先でイラクに介入し、国力を失った反省である。
それは、現実主義的なオフショアバランス論に立脚している。つまり、米国は、世界の警察官としての安定維持から、直接関与を避け地域諸国の力の均衡による抑止支援に移行すべきという考え方である(図表2)。これは、米国が単独で安定を維持できなくなったとの認識の下「大国の地域出現を許容するが、覇権国になるのは許容しない」という、従来に比べれば一歩退いた戦略である。
5月28日の陸軍士官学校の卒業式で、オバマ大統領は「米国は孤立主義をとるべきでない」「平和や自由の追求は重要だがその実現に軍事力行使は必ずしも必要でない」と演説した。軍事力行使の条件は、①軍事介入は、米国の安全への脅威が明白で国民の支持がある時の最後の手段、②軍事力行使の際には、戦略目標を明確にし、圧倒的な兵力を投入し、早期終結を図る、③軍事力行使前に出口戦略を策定する、④米国への脅威が不明確な場合、同盟国や友好国と共に行動する、と抑制的ながら明確である。しかし、イスラム国という非国家主体への軍事力行使の抑制は、「弱者の恫喝」を許し安定を損ないかねない。それが、軍事手段を封じ、しかも早期に公表するオバマ大統領への「最高の法学者だが、司令官としてはゼロ」の揶揄につながる。

イスラム国

イスラム国問題の本質は、反主流のスンニー派が、イラク崩壊とシリアの混乱に乗じ、両国にまたがり、テロ組織以上の「国に準じた力」になったことである。サイクス・ピコ協定3反対の大義もあり、住民政策も成果をあげているので厄介である。ブッシュ前大統領のイラク攻撃を否定するあまり、安定を十分確保せず撤退を強行したことの負の遺産になった。
対イスラム国戦略は、テロリストに対する空爆の継続、(クルド系イラク人やイラク政府、シリアの反アサド勢力など)現地勢力に対する軍事援助の提供、(資金凍結や人の流れを止めるなどの)対テロ措置の継続的強化、人道支援の継続、の4点である。この流れで、475人の軍事顧問を追加派遣し、英仏豪に加え、サウジアラビア、ヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタールの参加およびトルコの協力を確保した。
しかし、前述の軍事力行使の条件②と③、つまり戦略目標を達成できる圧倒的な兵力の投入および出口戦略の策定については疑問である。空爆の一方で地上兵力不介入を早々に表明したため、統合参謀本部のメイビル作戦部長も「確実かつ継続的な粘り強い作戦の始まりで目的達成には数年を要す」と答える羽目になった。地上と連携した精密な目標評定のない空爆は成果が少ないのである。
米国人ジャーナリスト斬首への国民の怒りを受け、オバマ大統領も軍事行動抑制方針を翻したが、イスラム国打倒が年100億ドルもかかる空爆で実現せず、出口戦略も見えなければ、国民は長期の泥沼化を懸念する。イスラム国の問題は、シリアを落ち着かせない限り解決できず、そのためには、隣国トルコと背後のロシアとの協調が必須であろう。

ウクライナ

ウクライナ対応で、西欧と米国には温度差があった。西欧は、ウクライナの接近を歓迎しつつも、EUやNATO加入によるロシアへの刺激を懸念した。一方、米国は対露協調よりNATOの東方拡大を優先し、民主革命もあおった。結果、資源で自信回復したロシアの自尊心に火をつけ、クリミア侵攻とウクライナ東部の混乱を招いた。ロシアのウクライナに対する価値認識を見誤ったというほかない。
ロシアの行動は、公式介入を否定する正規軍兵士らの奇襲・隠密侵攻、親露勢力による反乱および外交によるかく乱を交えたハイブリッド戦争である。オバマ大統領は、西欧諸国の結束強化と対露経済制裁を進めたが、軍事対応はNATOと欧州軍による小規模演習や緊急即応部隊創設に限定した。そして、9月3日にエストニアで「NATO加盟国が、前大戦のパリやロンドン、そしてソ連によるベルリン封鎖のようになれば、必ず守る」と約束する一方、サブテキストで「ウクライナはNATOの外」と演説し、枠外に置いた。ハイブリッド戦争に対し、手段限定を宣言しての解決は難しい。
これら対露経済制裁と反ウクライナ政府勢力への軍事不介入政策は、外交重視の点で一理あるが、中露を接近させ、中国の存在感を高めることにもつながる。さらなる中露協調が、新たな対立構造を生んでは悲劇になる。

中国/アジア・太平洋へのリバランス

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2012年に米情報コミュニティが発刊した「Global Trends 2030」は、10-15年後の世界について4つのシナリオを提示し、公文書として初めて米中協調型世界を最良と結論付けた(図表3)。
オバマ大統領のアジア基軸政策は、将来の成長が見込まれるアジア・太平洋への優先投資を通じ、イラク侵攻で弱まった米国力の復活を狙うもので、対中協調路線と一貫する。しかし、中国を政治的宥和に誘う一方、ASBで軍事優位を確保し続けようとする点で、単なる協調とも異なる。最重要の対中戦略は、膨大な資金と地道な努力を必要とする長期課題で、これに専念するためには、イスラム国の打倒とウクライナの安定が欠かせない。

日本の対応

オバマ大統領の3つの「戦い」に対する答えは、イスラム国とウクライナの段階的鎮静化および軍事優位を背景に中国の責任大国への転換を促す以外にない。しかし、「Global Trends 2030」のいう米中協調型シナリオは基本的に好ましいにしても、日本として手放しで喜べるシナリオではない。米国が、10-15年後の単独覇権終焉を認めた今、日本の経済的・軍事的な努力なくしては米中間に埋没してしまうからである。
冷戦時代やその後の米国一極時代、結果として世界は安定し、日本は経済に専念できた。米軍事力を補完する意味で日本の経済力も世界の安定に大いに機能した。しかし今、アジアの安定はおぼつかない。日本は、米国の対中政策と連携、不安定化を回避できる防衛態勢の構築と経済発展を両立させる困難な自助努力を通じて、今を確保し将来向けの米中協調型シナリオにも積極関与できる態勢を作らなければならない。
世界に目を転じれば、米国の政治的・軍事的負担を3正面から2正面、さらには1正面へ減らす工夫が必要である。最優先は、欧米対中露という対立構造を作らないこと。米国が、ウクライナ問題でロシアと妥協できれば、イスラム国の問題に対しても協力できる。そうすれば、中国を責任大国へ誘う準備もできる。日本は、そうした構図を認識した上で動くべきだろう。


  1. QDRに登場する国名は、脅威対象国または同盟国・友好国で、その頻度は戦略方向変化の指標になる。
  2. 冷戦時代、米国は欧州、アジアの2正面と中東など0.5正面に対処する戦略をとっていた。QDR2014になって、欧州正面の安定と財政の制約により1.5正面に戦略を縮小した。
  3. 英国人サイクスとフランス人ピコが起案、英仏露が1916年に締結し、中東の現国境線画定につながった秘密協定。

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