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株式会社三井物産戦略研究所

「中国(上海)自由貿易試験区」が発足-「改革・開放」路線の未来示せるか-

2013年11月15日


三井物産戦略研究所
アジア室
岸田英明


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「『第2の香港』を建設」、「1980年代の経済特区建設と2001年のWTO加盟に続く改革・開放の第3ステージ入り」、「リコノミクス(景気刺激よりも構造改革を重視する李克強首相の経済政策)の申し子」……。内外の投資家やアナリストから熱い視点を注がれながら、「中国(上海)自由貿易試験区」が9月29日に発足した。既存の4保税区をベースとするわずか28km2あまりの小さな特区だが、「5年後、10年後の中国の在り姿」を写す鏡となり、中国経済全体の構造改革を先導するポテンシャルを秘めている。「試験区」は従来の特区と何が違うのだろうか? 中国の成長戦略においてどのような役割を担っており、投資家にどのような機会をもたらすのか? 本稿はこれらのテーマについて、分析・展望する。
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モノ・カネの流れを自由化

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「試験区」は、中国資本・外資を問わず区内での企業活動、および、区内と海外のモノ・カネの流れを自由化することを目指しており、その制度設計においては、従来の特区とは次元を異にする、中国としては抜本的な措置が採られている。
まず「政府の職能転換」である。これは、国務院(中央政府)が策定した「試験区」の「総合計画」の中で第一の主要任務として位置付けられている。政府の企業活動に対する関与を「事前審査」から「事後監督」方式へ転換する。外資系企業に対しては、投資や定款変更等を行う際の「認可」取得を義務付けた「外資3法」の適用を暫定的に停止し、「届け出(登録)」制とする。これにより、区内の外資系企業はネガティブリスト(投資禁止・制限業種)にある事業を除き、内国民待遇での事業展開が可能となる。
「モノの流れ」に関しては、通関の利便性向上、効率化が図られる。保税区の場合、貨物搬入時に事前の通関申告・登録が必要だが、「試験区」では区内企業が輸入積荷情報の申告によって貨物を受け取り、後に通関申告を行う管理モデルが実施される。通関手続き自体の簡素化、効率化を図っていく方針も示されている。
「カネの流れ」については、区外では制限されている資本勘定での人民元取引が自由化される。これにより、区内企業は海外から低利で融資を受けたり、海外証券投資を自由に行ったりできるようになる。資本勘定の人民元取引の自由化は「人民元の国際化」を目指す中国人民銀行(中央銀行)が2020年までに中国全土で実施するロードマップを発表しており、「試験区」で先行的に実施される形となる。また、区内の金融市場における金利の自由化も目指すべき方向性として示されている。

指導部の危機感「改革の遅れ」

上海市はもともと2005年から政府に対し、既存の保税区を自由貿易区へ昇格させるよう求めていた。上海市が目指す国際金融センターや国際貿易センター建設のためにはソフト面での抜本改革が不可欠だと認識されていた。転機となったのは2013年3月の李克強首相の上海視察である。この時に李首相が「上海市が自由貿易試験区の研究を進めることを奨励する」と発言したことを受けて設置準備が加速、国務院常務会議での「総合計画」の可決(7月)、全人代常務委員会での設置認可(8月)とつながった。
「試験区」は改革・開放の「時計の針」を局地的に一気に進めるリスキーなプロジェクトであり、中国の前指導部は導入に慎重だった。それにもかかわらず、李克強首相ら現指導部がそのリスクを取る判断を下したのは、国内の改革の遅れに対する焦りと、それによって、TPP、TTIPなど協議が進行中の高度な自由貿易・投資ネットワークから中国が取り残されてしまう事態への危機感が背景にあったと考えられる。「総合計画」では冒頭に「試験区を我が国が経済のグローバル化に溶け込むための重要なステップとし……」と記されている。2013年7月にワシントンで行われた米中戦略経済対話の中で、交渉中の米中投資協定に関し、中国側は初めてネガティブリスト方式での市場開放を提案した。米側は歓迎したが、そのハードルは高いと考えられていた。今回限定されたエリアとはいえ、「試験区」でネガティブリスト方式が採用されたことは、中国指導部から米国や国際社会に向けた「中国は必ず開放レベルを深化させていく」というメッセージと見ることができよう。

アジア太平洋のオペレーション/イノベーションセンター

設立初日の9月29日には金融機関11社をはじめ、貿易、物流、通信、メディアサービス企業など計36社が営業ライセンスを得た。このうち、外資系はシティバンク、マイクロソフト子会社、ポルシェ販売子会社など11社に上る。その後、営業初日の10月8日には一気に577社が登記申請を行った。現地報道によると、10月中旬にかけて「一日平均500~600人」が営業登記に関する照会や申請に訪れているという。
「試験区」側が誘致に力を注いでいるのは、金融をはじめとするサービス業だ。「試験区」では銀行、医療保険、ファイナンスリース、海洋貨物運輸、ゲーム機製造・販売、旅行代理業など、特にサービス業6分野18業種に対する投資規制緩和措置が採られている。例えば銀行業では、中国の民間資本と外資系金融機関による合弁銀行の設立や、中国資本の金融機関によるオフショア業務の実施が許可されている。銀行を所管する中国銀行業監督管理委員会は「試験区」設立の当日に通知を出し、区内での「ノンバンク金融企業の設立」や「クロスボーダー投融資サービスの展開」を奨励する、と呼びかけている。
中国経済が投資・輸出主導の成長構造から脱却する上で、サービス業の振興は最重要の課題の一つだ。「試験区」は規制緩和により、内外の多様な事業者を呼び込み、競争を喚起することで、中国サービス業の多様化と高付加価値化を図ろうとしている。中でも金融業の振興は、ビジネスを呼び込み、イノベーションを生み出す土壌を提供する。「試験区」は、上海、長江デルタという巨大な経済圏を後背地に持つ強みを生かしながら、可能な限りオープンな金融市場と貿易環境を創出することで、カネ・モノ・技術が集まり、新たなビジネスが生まれる「アジア太平洋ビジネスのオペレーションセンター兼イノベーションセンター」化を目指しているように見える。「試験区」の取り組みが深化・拡大すれば、長期的には香港やシンガポールと競合するようになっていくだろう。

許されない失敗

このように鳴り物入りで発足した「試験区」だが、失望や疑念を呈する声がないわけではない。
その理由はまず、現時点での開放レベルの低さにある。外資向けネガティブリストは190業種に及び、開放が期待されていた投資銀行、メディア、オークション、小売(例えば免税店)、独資での自動車製造などはいずれも規制対象となっている。一部メディアが報じていたインターネットのアクセス規制(FacebookやYouTubeなど)も解除されなかった。
また、「総合計画」に記された改革・開発措置に「留保」規定が多い点も、投資家らの疑念を招く原因となっている。例えば、資本勘定での人民元取引や金利自由化を含む金融改革は「『コントロールが可能』という前提の下で実施する」とされている。「総合計画」がいうところの「二線=試験区と区外の境界線」をまたぐカネの動きをコントロールするメカニズムが必要だという意味であろうが、「二線」管理を過度に厳格化すれば、区内-区外経済の連結が弱まり、投資家にとって「試験区」の魅力は減じざるを得ない。この意味で「二線」管理の在り方は「試験区」の成否を握るポイントとなろう。なお、当初「試験区」で導入される、とのうわさがあった為替の自由化については、「総合計画」で言及すらされていない。金利と比べて為替に対する政府規制は強く、自由化した場合、区内外の為替レート差が拡大した際に生じる混乱などのリスクが「コントロール不可能」と判断された可能性がある。
「試験区」はひとまず立ち上げを果たしたが、許認可業務や規制産業に関わる人々を中心に反対勢力も存在する。推進派と反対派との折衝はなお水面下で続いている。とはいえ、「試験区」は「中国(上海)~」の名前が示すとおり、国家マターであり、首相マターでもある。「先行先試(まず試し)」、「可複製(その経験を他所に移植する)」を旨としている以上、上海の失敗は、中国全体の改革・開放の行き詰まりを意味することになる。そうした意味で、「試験区」は慎重でありながらも「総合計画」に記された取り組みを着実に実施していくと考えられる。今後、個別の開放措置に係る細目や通知が順次出されていくことになる。ネガティブリストの更新や市場開放・規制緩和の拡大措置も行われることになろう。企業から見ると、「試験区」は「改革のボーナス」がもたらされる中国ビジネスの最前線となる。そこでは、「試験区」における改革の深化と拡大の動きを見極めた上での、大局的かつ機動的な対応が求められる。

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