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株式会社三井物産戦略研究所

英国議会選を制したキャメロン政権の課題

2015年6月4日


三井物産戦略研究所
欧州・ロシア室
犬塚陽介


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5月7日に投開票された英国議会選(定数650)は、どの政党も過半数を獲得できず「ハング・パーラメント(宙ぶらりん議会)」に陥るとの大方の予想を覆し、保守党が331議席を獲得して単独政権を樹立した。2大政党の一角を担う労働党は24減の232議席、自民党も48議席を失って8議席にとどまる大敗を喫した(図表1)。一方、スコットランド独立を党是とするスコットランド民族党(SNP)が、労働党の牙城だったスコットランド(全59議席)で56議席を奪取して躍進し、英国政界の勢力図は大きく塗り替えられた。保守党の勝利で、EU離脱の是非を問う国民投票の2017年までの実施が確実となり、スコットランド独立の気運が再燃する懸念も拭えなくなったことで、キャメロン政権は「スコットランド独立」と「EU離脱」という2つの活断層を抱えながら、「連合王国」を維持する政権運営を迫られることになった。

脅し戦術が奏功

「2大政党制の終焉」との観測まであった選挙情勢が一転したのは、労働党とSNPを同一視する保守党の選挙戦術が、土壇場で功を奏したためだ。各種世論調査で保守、労働両党の支持率が均衡し、労働党とSNPの連立や閣外協力が現実的な選択肢として取り沙汰され始めると、保守党は、英国からの独立を目指すSNPが「キングメーカー」となって労働党政権が樹立されれば、英国の内政はスコットランドの独立に都合がいいようにかき回されかねないと主張した。
労働党のミリバンド党首は、英国からの独立を目指す政党とは「相いれない」と連携を強く否定したが、SNPのスタージョン党首は、労働党との政策面での違いは保守党に比べればわずかであり、何よりも保守党政権の打倒という「チャンスに背を向けてはならない」と訴え、ミリバンド党首に連携を強く迫った。これを逆手に取った保守党は、スタージョン党首の胸ポケットに労働党のミリバンド党首が収まる写真まで使って「労働党=SNP」の構図を執拗にあおった。
結局、労働党は人的・物的資源を大量投入した重点選挙区で、ことごとく保守党候補に競り負け、最終的に99議席の大差がついた。2014年9月のスコットランド独立投票を経験した多くのイングランド住民の脳裏に悪夢の再来がかすめ、土壇場で保守党に雪崩を打ったことは想像に難くない。
保守党の選挙陣営は、豪州でハワード元首相の4選を主導した選挙戦略家のリントン・クロスビー氏が取り仕切り、2012年米大統領選でオバマ大統領再選の立役者となったジム・メッシーナ氏も加わった。「勝利の方程式」を知り尽くした2人の登用で盤石の体制を敷いたことがうかがわれ、短期的な視点で見れば、保守党のしたたかな戦略が優っていたというほかない。

2つの連合の危機

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しかし、より長期的な視点で見れば、保守党の選挙戦略は、イングランドとスコットランドの対立を深刻化させる土壌を醸成したともいえる。イングランドの富裕層を中心に支持される保守党と、スコットランドの労働者層が支持基盤であり、反保守党を鮮明にするSNPという「2人の勝者」が今回の選挙で生まれたことで、対立が先鋭化する危険は高まった。
スコットランド政府が3月に発表した調査によると、全人口の1割に当たる51万人が「重度の貧困」にあえいでおり、英国平均を5割も下回る年収1万1,500ポンド(約215万円)以下での生活を余儀なくされている。SNPの支持層には、保守党が喧伝する経済成長の恩恵が届いておらず、都市部との格差が拡大していることへの怒りがある。
スコットランド情勢での注目点は、さらなる自治権移譲を求めるであろうSNPに対し、キャメロン政権がどのように対応していくかだろう。保守党の指導層もSNPの台頭を深刻に捉えており、さらなる財政や税徴収権限の委譲など、より連邦制に近い体制も視野に入れた交渉を模索する可能性に選挙直後から言及している。
一方で、2016年5月にスコットランド議会選を控えるSNPは、支持基盤を固めた上で、スコットランドでは反対派の多いEU離脱問題を足掛かりに保守党に攻勢をかける戦略を描いているとされる。キャメロン政権が対応を誤り、さらに反保守党感情が強まれば、EU離脱をめぐる国民投票の前後で新たな独立機運が高まる可能性は捨てきれない。
今回の選挙では、EUと英国の分断を現実化しかねない状況も、より明確になった。EU離脱や移民制限を掲げる英国独立党(UKIP)は約390万票を獲得し、得票率は保守党、労働党に次いで3位となる12.6%(2010年議会選は3.1%)を記録した(図表2)。小選挙区制のあおりを受け、獲得したのは1議席のみだが、その発言力には引き続き、保守党も配慮が必要だ。
SNP支持者と同様、UKIP支持者にとっても、格差への不満は、2大政党に反発する原動力となっている。チャタムハウス(英王立国際問題研究所)のマシュー・グッドウィン博士が英紙フィナンシャル・タイムズに寄稿した論文によると、UKIP支持者は「中年以上で、概して公的な資格に乏しく、年2万5,000ポンド(約460万円)以上を稼げる見込みがほとんどない」という労働者であり、SNP支持者の姿とも部分的に重なる。
英国には東欧諸国を中心に移民が押し寄せており、過去10年間での延べ人数は100万人を超えた。こうした状況で「移民が職を奪い、海外の富裕層からの投資が住宅バブルを生んで、マイホーム購入を阻んでいる」とのUKIPの主張が、「取り残された英国人」には魅力的に響いたことは想像に難くない。
キャメロン首相は反EU、反移民の世論にも配慮し、人の自由な移動の制限や金融規制の緩和などの加盟条件をEU側と再交渉した上で、2017年までに国民投票を実施すると公約している。ただ、EU側は英国の求める「自由な移動の制限」など、基本理念にかかわる変更には応じないとしており、交渉の方向性は定まらない。EUへの拠点となることで繁栄してきた金融街シティでも離脱への反対論は根強い。英調査会社YouGovが5月3~4日に実施した世論調査によると、国民投票では45%が「残留」、33%が「離脱」に投票すると回答しており、現状では残留派が優勢だ。しかし、EUとの交渉が不調に陥り、離脱論が高まるような事態になれば、英通貨ポンドの下落など、好調な経済にも悪影響が及ぶ可能性は拭えない。

緊縮は継続、防衛費にメスも

保守党が打ち出した国民投票以外の政策に目を向けると、キャメロン政権は財政赤字を引き続き削減し、2018年度に黒字化することを掲げている。一方で、VAT(付加価値税)や所得税の増税、国民保険料の引き上げは、2020年5月まで行わないと公約し、経済成長の恩恵が十分に行き届かない国民にも配慮を示した。原則無料で医療サービスを提供する国家医療サービス(NHS)にも2020年までに年間80億ポンドを追加注入し、週7日の医療サービス提供を目指すことも提唱しているほか、道路や鉄道などのインフラ整備にも今後5年間で約1,000億ポンドを投入する方針を示した。
ただ、こうした政策は選挙戦でも批判にさらされてきた。税収面での政府歳入の6割はVATと所得税、国民保険料で成り立っており、主要財源の増税凍結は、何らかの要因で景気刺激策などが必要となった場合に政府の手足を縛ることになりかねない。保守党は緊縮財政の継続を宣言しており、地方交付金や福祉支出などが削減されれば労働党やSNP支持者の反発が強まるのも確実だ。NHSに投じると公約した年間80億ポンドも財源の裏付けに乏しく、その実現性は疑問視されている。
歳出削減の圧力は防衛費にも及んでおり、北大西洋条約機構(NATO)が掲げるGDP比で2%以上の国防費を維持できるかは微妙になってきた。保守党は唯一の核戦力となる潜水艦発射型の弾道ミサイル「トライデント」を保持する方針だが、2028年に予定される原潜4隻の退役後の防衛戦略は定まっていない。システムの更新には200億ポンド以上が必要との試算もあり、今後予想される核抑止力の維持に関する議論は、英国の国際的な立場の将来像を占う上で試金石となるだろう。
外交面でも存在感の低下が浮き彫りになっており、ドイツとフランスが仲介したロシアとウクライナの停戦交渉で、英国は蚊帳の外に置かれた。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)にも米国の反対を事実上黙殺して参加するなど、米英の「特別な関係」にもすきま風が吹いている。
ここまで見てきたように、キャメロン首相はスコットランドとEUという2つの分断の危機に直面しながら「一つの国民、一つの大英帝国」を維持し、英国の威信を回復する課題に直面している。今回の選挙で保守党は単独政権を樹立したが、議席は改選前の連立政権の計358より格段に少なく、過半数をわずかに6議席超えているにすぎない。保守党は1993年、マーストリヒト条約の批准をめぐって欧州懐疑派の大量造反を招き、当時のメージャー政権が弱体化した過去もあり、今後の保守党の党内情勢についても、英国を不安定化させるリスク要因の一つとして、注視していく必要があるだろう。

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