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株式会社三井物産戦略研究所

混迷のブラジル政局を追う

2016年5月2日


三井物産戦略研究所
北米・中南米室
片野 修


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ルセフ大統領の進退問題

ブラジルの政治・経済が混迷を極めている。資源ブーム終焉でブラジル経済の成長ペースは鈍化し、ブラジル人は先の見えない不況に苦しんでいる。これに加え、苦しむ庶民は汚職で私腹を肥やす政治家に怒り心頭に発しており、3月中旬には全土合計で史上最大の300万人以上が抗議デモに参加するなど事態は緊迫している。
怒りの矛先は、事態を改善できないルセフ大統領に向かい、その支持率は10%台と低迷している。ルセフは、2015年に入って、選挙公約になかった財政再建を開始し世論の政治不信を高めたことで一部の与党議員からも見放され、2018年12月まで2年8カ月余りの任期を残しながら、弾劾裁判にかけられようとしている。2014年秋の選挙で世論の支持を得て再選を果たしたはずの大統領が、当選後1年強でその進退を問われる事態は異常である。
2015年12月に下院議長が開始した弾劾手続きに対し、大統領側はあらゆる手を尽くして抵抗している。問題なのは、こうした政争の結果、中長期的な視野に立った財政再建策や経済活性化策の議会審議が完全に停止し、先行き不透明感に拍車を掛けている点である。事態はどのように収束していくか、現状は全く予断を許さない状況にある。

ルセフ大統領が退任に追い込まれる二つの可能性

(1)政府の「会計操作」を理由とする弾劾は成立するか

今後のルセフ大統領の進退を考える上での焦点は2つある。第一に、2015年12月に開始された会計操作を理由とする大統領弾劾手続きである。
ルセフ政権は2014年の連邦政府の財政収支を黒字に見せかけるために「会計操作」を行っていたことが2015年4月に明らかになった。即ち、ボルサ・ファミリア(低所得層向け給付金)やミーヤカーザ・ミーヤヴィーダ(住宅取得支援)等の社会政策における必要経費を公的銀行(連邦貯蓄銀行やブラジル銀行)に肩代わりさせた問題である。連邦会計検査院は、これが財政責任法で禁止されている公的銀行の国庫に対する貸し付けに相当するとした。
ブラジル憲法は財政責任法違反が弾劾裁判の対象になるとしている。この会計操作が、不況下で財政再建を実施したことに不満を持つ与野党議員がルセフを引きずり下ろすための大統領弾劾動議に結びつき、政局を混迷させる要因となったのである。
弾劾裁判は上院において開かれるが、その前に、まずは下院において3分の2(342名)以上の賛成で、弾劾裁判の実施が承認されねばならない。これは既に、4月17日の下院での採決により367名の議員の賛成で可決した(図表1)。
今後、弾劾審議は上院に移る。弾劾成立までのプロセスは、まず、①上院議員が弾劾裁判所の設置を採決、ここで過半数(41名)以上の賛成があれば弾劾裁判所が設置される。次に、②最高裁長官を「裁判長」とする弾劾裁判において、上院議員の3分の2(54名)以上が弾劾に賛成すれば、ルセフ大統領は罷免され、副大統領が昇格して、2018年12月末までの任期を務める。逆に①、②の採決が定足数未満なら弾劾審議は終了し、ルセフは大統領にとどまることになる。
上院での弾劾裁判所設置(①)の採決の時期は5月中旬とみられている。4月19日時点の現地紙調査によれば、上院議員81名のうち過半数が弾劾賛成を表明しており(図表2)、これを前提とすれば上院での弾劾裁判所の設置は必至の情勢である。
弾劾裁判所が設置されればルセフ大統領は最大180日の職務停止となり、テメル副大統領が大統領権限を代行することとなるため、この時点でブラジルの政治は大きな転換点を迎える。
テメル率いるブラジル民主運動党(PMDB)は、連立政権の一角として、左派・労働者党(PT)のルセフ政権を支えてきた。しかしPMDBは3月29日に、支持率が10%台に沈むルセフは世論の支持を失ったとして連立を解消している。テメル政権が発足するなら、PTではなく、中道右派のブラジル社会民主党(PSDB)と新たに連立を組むといわれており、重要閣僚の入れ替えが実施されるとみられる(一説には市場が好感するような閣僚人事の構想があるともいわれている)。よって、大統領の正式な罷免の前に、事実上政権交代が実現することになる。
ただ、②の弾劾裁判の票読みは難しい。上記のとおり、現時点で弾劾賛成を表明しているのはいまだ3分の2(54名)に満たない47~48名である。20名程度は弾劾に反対だが、残りは態度を保留している。ブラジルでは日本のように党議拘束がないため、党として弾劾に賛成であっても、個々の議員は、基本的に自身の信条に従って行動できる。ここにルセフ派の付け入る隙がある。今後、ルセフ派のなりふり構わぬ攻勢により、態度を保留している議員が弾劾反対、あるいは投票欠席(消極的反対)を決断する可能性もある。
もし大統領弾劾が成立しなければルセフは大統領に復職することとなる。そうなった際には、ブラジルの政治は再び混乱に陥るだろう。

(2)2014年の大統領選挙結果が無効となり再選挙実施の可能性も

第二に、弾劾裁判とは別に、大統領再選を目指した2014年の大統領選挙当時の与党・労働者党(PT)によるペトロブラスからの不正資金取得疑惑である。仮に同不正が証明されれば選挙高等裁判所によって当該選挙は無効とされ、大統領候補のルセフのみならず、彼女と組み、副大統領候補として出馬して当選したテメルも失職する。その後は、90日以内に再選挙が実施され、選出された大統領が残された任期を務めると憲法において規定されている(ただし現大統領の任期が2年を切ると再選挙ではなく30日以内に議員の表決によって新大統領が選出される)。
当疑惑では既に与党の選挙参謀が逮捕されるなど捜査は佳境にあるとみられるため、仮にルセフが会計操作を理由とした弾劾の危機を乗り切ったとしても安閑とはしていられない。

政治混乱の「意義」

(1)弾劾の「法的」根拠は曖昧?

4月17日の下院での採決で3分の2超の議員が弾劾に賛成したことで、ルセフ政権が窮地に陥ったことは間違いない。ただ、今回の弾劾においては、その法的根拠が曖昧である点には留意したい。
下院に設置された特別委員会から4月6日に提出された弾劾事由の主たるものは、2014年に会計操作を行い、それが2015年にも継続していたことである。しかし、2014年分については、政府は未払いだった724億レアルを2015年12月に公的銀行に支払い、「精算」を済ませている(それでも財政法に違反した事実は消えないが)。また2015年分については、会計操作が行われた直接的な証拠は提示されておらず、あくまでも「疑惑」にとどまっている。本来であれば、これらが大統領弾劾のために正当な事由か、議論の余地があるところだ。
このように法的根拠が曖昧にもかかわらず、弾劾手続きが進められているのは、前述のとおり不況下での財政再建を推進し、世論にも見放されたルセフへの反発が大きいためであり、その意味で今回の混乱はもはや、反ルセフ陣営によるルセフ降ろしという「政争」といえよう。

(2)経済再生への道筋は見えるか?

では、ルセフが退任すれば政治混乱は収束し、経済再生に動き出せるようになるだろうか。事はそう簡単ではない。
問題は、ルセフ弾劾成立で大統領に昇格するテメルも、あるいは再選挙の際には有力な候補者となり得るブラジル社会民主党(PSDB)のネベス上院議員も、ともに汚職の疑惑がある点だ。両者のいずれが新大統領でも、汚職を拒絶する国民から支持が得られるかは不透明といわざるを得ず、指導力を必要とする経済再生策に乗り出せるかは未知数である。さらに、両者のみならず、300人以上の政治家に収賄の疑いがある。ルセフが退任したところで、議会を舞台とする汚職捜査が収束する保証はない。その間は政治混乱が続き、経済再生に向けた審議は滞るだろう。
資源ブームが一服したことで成長エンジンを失っているブラジル経済にとって、過度の資源依存脱却のための構造改革は本来待ったなしの政策課題のはずである。しかし、ルセフが2015年1月から着手した財政再建のような国民に痛みを強いる改革の推進は、仮に好況時であっても、強固な政権基盤なくして困難である。ましてや、資源ブームを前提とする成長が期待しにくくなっている今後においては、なおのこと政治の安定性は改革推進に不可欠な条件となろう。よって、時間は掛かっても、現在進められている汚職の摘発を通じて、徹底的に政財界の「膿を出す」ことが必要である。
現在のブラジル政治は混乱を極めているが、これはブラジルが再び大国としての輝きを取り戻すためには避けて通れない道であり、その推移を辛抱強く見守ることが肝要である。

(2016年4月20日記)

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