Main

株式会社三井物産戦略研究所

日本の対露制裁の効果について考える

2016年7月7日


三井物産戦略研究所
欧州・ロシア室
北出大介


Main Contents

制裁とは

制裁とは、制裁対象の貿易や投資等の経済活動を妨害し、費用対効果計算に働きかけることにより、政策の変化を促す外交手段と一般に考えられている。1967年に国連による対ローデシア制裁を例に分析を行ったGaltungは、制裁対象に指定された政権は輸入代替等を通じて状況に適応し、国民の間でも外からの脅威に集団で対応しようとする意志が生まれること(「旗の下への結集効果」)により、制裁対象はむしろ強化され得ることを示し、経済的コストを通じた政治的成果の達成という図式は「ナイーブ」であり、制裁は全く効果がないと主張している1。この主張は、本稿で取り上げる対露制裁をめぐる議論でも繰り返されており、米ブルッキングス研究所のGaddyとIckesも、50年前のGaltungの主張を繰り返していることから、現在でも、制裁対象の政策の変化を制裁の成否の判断基準と見なす傾向があるといえる2
しかし、近年、制裁は制裁対象の政策の変化だけを目的としているのではないとの見方が示されるようになってきた。特に分かりやすい例がテロ組織に対する制裁である。テロ実行に存在意義を見いだす過激派組織に制裁を発動しても、行動の変化が期待できないことは明らかであろう。テロ組織に対する制裁は、武器禁輸や資金凍結等の制限措置を通じ武器と資金の調達を妨害し、テロ実行能力を制限することを目的とする、いわば「抑止型」の制裁である。抑止型の制裁では、テロ行為の停止や米国の対キューバ制裁のように政権退陣といった制裁対象が達成できない目標が提示される、または目標が提示されないのが通常である。他方、政策の変化を促す「強制型」の制裁では、人質の解放や民主的選挙の実施といった具体的で達成可能な要求が示される。さらに、制裁対象への経済的コストを伴わない制裁も考えられる。制裁対象の政策に対する反対等のメッセージを制裁対象や国際社会に対して発出する「発信型」の制裁である。Giumelliは、図表1のとおり制裁を3タイプに分類している3。制裁の効果を検討するにあたっては、タイプを見極め、その目的が達成されているかで判断すべきである。この強制、抑止、発信という制裁の分類は、2016年4月に公表された英国財務省の金融制裁に関するガイダンスにも導入されており4、この論理的枠組みを用いて対露制裁の効果を検討することが本稿の目的である。

日本の対露制裁措置とその評価

これまでウクライナ情勢の進展に応じて3段階の対露制裁が発動されてきた(図表2)。2014年2月後半のロシアによるウクライナへの軍事介入を受けて、まず対露制裁の第1段階となる外交上の制裁措置が発動された。同年3月3日、G7は、6月4~5日に予定されていたソチ・サミットの準備作業停止を決定している。日本が独自にロシアに対する外交的制裁措置を発表したのは、クリミアの住民投票実施後の3月18日であり、査証緩和に関する協議の停止、新投資協定、宇宙協定および危険な軍事活動の防止に関する協定の交渉開始を凍結している。この日本の制裁は、高い経済的コストを伴っていないことから、発信型の制裁である。日本は、クリミア住民投票の不承認、ロシアによるクリミア併合への反対のメッセージを発信しているほか、「我が国は、力を背景とした現状変更の試みを決して看過できません」との外務大臣談話を発表している。これらはロシアの例に倣って力による現状変更を試みかねない国に対する警告のメッセージと受け止められよう。日本のメッセージはロシアと国際社会に対してしかるべく発信されていることから、日本の第1段階の制裁は成功と判断できる。
個人および団体に対する渡航禁止と資産凍結を内容とする第2段階の対露制裁については、米国とEUが3月16~17日という早い段階から発動しており、またプーチン大統領のインナーサークルのメンバーも制裁対象としているのに対し、日本が第2段階の対露制裁を発動したのは、4月29日になってからのことである。日本の制裁措置は資産凍結を伴わない査証発給の停止に限られ、対象者23名の氏名も公表されていない。この日本の制裁措置は、経済的なコストをロシアに強いていないことから、典型的な発信型の制裁である。CortlightおよびLopezが指摘するように5、渡航禁止措置は、制裁対象への打撃を高めるために金融制裁と組み合わせることが通例であり、日本が渡航禁止の制裁措置のみにとどめたことは意図的と判断される。また日本が米国とEUから遅れて対露制裁を発動したこと、制裁対象者の氏名を公表しなかったことも意図的であろう。米国とEUが既にセクター制裁を発動している8月5日にも日本は66個人および16団体に対する資産凍結の制裁措置を発表しているが、その対象者は、クリミア関係者とウクライナ東部の分離主義者に限定されており、やはり経済的コストは限定的である。
日本の対露制裁のメッセージの主要な受け手は、対露制裁を発動している米国やEU、そして国際社会であり、国際秩序の維持のため欧米と協力する姿勢を示すことで、良好な関係の維持を意図し、また力による現状変更への反対の姿勢を示していると考えられる。第二の受け手はロシアである。ロシアによるクリミア併合とウクライナ東部における不安定化は受け入れられないとのメッセージと並び、前述したとおり、意図的に制裁措置を限定的なものにとどめたことで、日本がロシアに経済的なダメージを与える意思はなく、ロシアを重視しているとのメッセージを伝えていると考えられよう。ロシアも日本に対する報復措置を発動することになるが、そのタイミングは8月であり、かつ措置は渡航禁止にとどめられ、対象者の氏名も公表されず、日本に対称的に応じている。また、ロシアは、対露制裁を発動した国を原産地とする農産品の輸入を禁止する報復制裁措置を講じているが、日本はこの禁輸措置の対象国には指定されることもなかったことから、ロシアは、日本の対露制裁に込められたメッセージをよく理解しているものと考えられる。日本の対露制裁の第2段階は、成功と評価できる。
第3段階のセクター制裁は、米国とEUは、①ロシアの主要銀行による30日を超える資金調達の制限、②深海、北極における原油、シェールオイルの掘削に関する技術・サービスの提供禁止、③ロシアの防衛企業による30日を超える資金調達の制限と武器禁輸を発表している。ロシアにとって短期的な経済的コストが大きいのが①の金融制裁である。また、ロシアに原油の禁輸措置を講じれば原油価格の上昇をもたらし、ロシアに利することになるとの判断から、中長期的にロシアの原油生産に影響する措置が講じられている。日本がセクター制裁を発動したのは、9月24日で、内容は武器禁輸、ならびにロシアの主要銀行5行による証券の発行の規制、および証券発行に関する役務の提供の規制である。日本はロシアに武器を輸出しておらず、またロシアの主要銀行が日本の証券市場で大規模な資金調達を行うことは考えにくく、日本の制裁が経済的コストを伴わないことは明らかである。日本のセクター制裁も発信型であり、その主要なメッセージは、「国際的な平和及び安全の維持を図るとともに、この問題の解決を目指す国際平和のための国際的な努力に我が国として寄与するため」6とされるとおり、対露制裁を主導する欧米や国際社会との協調にある。ホワイトハウスの日米関係に関するファクトシートでも、対露制裁に関する日米間の協力が言及され7、「日本はG7を通じて我々に加わり、独自の制裁を発動した。(中略)これはロシアが対ウクライナ政策で行っていることに反対し、高まっているグローバルな声である」8と評価されている。またルキヤノフ露高等経済学院教授が「東京は、可能な限りうまく立ち回り、モスクワに対して発動された制裁はできるだけ抑制され、本質的なものというよりもシンボリックなものであった」9と指摘するように、日本がロシアに高い経済的コストを科さないことで、日露関係を重視しているとの安倍政権のメッセージとも捉えられている。

結び

以上をまとめると、日本の対露制裁は、米国やEUとの協調と日露間の対話の維持を可能とすべく、各段階で発動のタイミングから措置の選定、対象者に至るまで注意深く企画されたものと考えられ、そのメッセージもしかるべく伝わっており成功と評価される。本稿は制裁という外交手段の評価にとどめたが、制裁は単独で存在するのではなく、その他の外交手段と共により広い安全保障戦略へ寄与することが重要である。対露制裁は、日米同盟の強化、国際秩序の強化、およびロシアも含む各国との関係強化という複数の戦略目標の追求に寄与し、その障害とはなっていない。また、本稿では制裁分類の基準として経済的コストに注目したが、実際には、対露制裁を発動したことで、プーチン大統領の訪日が延期され、平和条約交渉が滞るなどの政治的コストも発生している。日本は、このコストを最小に抑え、微妙なバランスを保ちながら複数の戦略目標の追求を行っているのが現状であろう。欧米との協調を主要な目的とする日本の対露制裁は、日本が主体的に解除することは困難である。米国とEUは、停戦からウクライナによる国境管理の回復に至るまでのウクライナ紛争解決の道筋を定めたミンスクIIの完全履行を対露制裁の解除要件としている。EUの一部加盟国からはミンスクIIの履行に応じて対露制裁を緩和していくとの案も出てきており、日本の対露制裁にも影響を与え得ることから、欧米の制裁の動向も注目される。


  1. Galtung,J.,“On the effects of international economic sanctions:with examples from the case of Rhodesia”World Politics,(19)3,pp.378-416.
  2. Gaddy C.G.,Ickes B.W.,“Can Sanctions Stop Putin?”「制裁の動機は、行動を変化させるために困難を強いることである。しかし、これがロシアに当てはまる可能性は非常に低い。制裁は結果としてプーチン大統領の経済に対する管理を強化することにつながる。(中略)制裁はまたプーチン大統領の政治権力も強化することになる。制裁は、一般国民をプーチン大統領の下に結集させる。」
  3. Giumelli F., “How EU Sanctions Work:A New Narrative” Chaillot Papers May 2013,EU Institute for Security Studies
  4. Office of Financial Sanctions Implementation HM Treasury,Financial Sanctions: Guidance,April 2016
  5. Cortlight D.and Lopez G.A.,Smart Sanctions:Targeting Economic Statecraft,p.13
  6. 2014年9月24日付外務省報道発表
  7. The White House,FACT SHEET:U.S.-Japan Bilateral Cooperation,April 25,2014
  8. The White House,Background Conference Call on Ukraine,July 29,2014
  9. Лукьянов Ф.Приоритеты и жизнь// Российская газета. №6962 (94)

Information