睡眠負債とは:睡眠不足による健康リスクと生産性損失リスクついて

2023.04.05

宇宙と脳が人類最後のフロンティアと言われるように、「なぜ眠るのか」といった睡眠の実態は未だ明らかにされていない部分がたくさんあります。睡眠に関連する事柄では、近年、睡眠不足が少しずつ蓄積していく状態を指す「睡眠負債」という言葉が注目を集めています。今回は睡眠研究の第一人者である秋田大学医学部の三島和夫教授にお話を伺い、睡眠負債を紐解いていきます。また、睡眠負債を解消するために個人や企業が取り組めることについても紹介します。

三島 和夫 教授

秋田大学大学院医学系研究科 精神科学講座 教授
医学博士

1987年3月、秋田大学医学部医学科卒業。秋田大学助教授(2000年10月~2006年5月)、バージニア大学全米科学財団時間生物学研究センター研究員(2002年)、スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授(2003年) 、国立精神・神経医療研究センター睡眠・覚醒障害研究部部長(2006年6月~2018年8月)を経て現職。

【所属学会・委員会等】
日本睡眠学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、日本時間生物学会評議員、日本不安症学会評議員、独立行政法人医薬品医療機器総合機構専門委員、日本学術会議第25期連携会員 (第二部) 連携会員、World Psychiatric Association (Section board member)、など

睡眠負債とは?

「睡眠負債」とは、十分に睡眠がとれない日が続き、それが「負債」となって蓄積されて脳や体の機能が低下する状態のことです。

「睡眠負債は『Sleep Debt』といって、研究者の間ではよく使われていた言葉でした。睡眠不足が簡単に解消できず、雪だるま式に積み重なっていく借金のようなイメージを持ってもらうにはキャッチーな名前でしたね」(三島教授)

日本人の睡眠時間の実態

経済協力開発機構(OECD)による2021年の調査*1によると日本人の平均睡眠時間は7時間22分と、加盟30カ国の最下位となっています。さらに厚生労働省の「令和3年度・健康実態調査の報告」*2によると、睡眠時間が7時間以下の人の合計が67.7%に及ぶなど、日本人の睡眠時間が短いことが知られています。
「適正な睡眠時間に人種差や性差はない」(三島教授)ことから、世界で最も睡眠時間の短い日本は睡眠負債大国と言えるでしょう。

また日本では、女性の睡眠不足も深刻な問題になっています。日本人の睡眠時間を男女別に見てみると、男性が7時間28分、女性が7時間15分と女性の方が短くなっています*1
「日本人女性の睡眠時間が短いことに関して、正確なことはまだわかっていないのですが、ベッドルームをシェアしている男女225組を対象とした調査の結果、女性にかかる家事負担が男性より大きいことや、家族の朝食作りを女性が担うケースが多いといった要因が影響していると考えられます*3」(三島教授)

睡眠不足による経済的損失は大きい

出典:Map showing economic costs of insufficient sleep across five OECD countries (Jess Plumridge/RAND Europe)

2016年11月に米国シンクタンク「ランド研究所」が発表した睡眠不足による経済的損失の試算では、日本は、先進国5カ国のなかでGDPあたりワーストトップの年間最大1,380億ドル(GDP 2.92%相当)も損なわれている可能性が指摘されています*4。日本に次いで睡眠不足による損失が大きい米国では、米国疾病センター(CDC)が、睡眠不足は公衆衛生上の重要なリスク要因であり、健康に与える悪影響や公衆衛生に与える甚大な負担へつながると訴え続けています*5

睡眠負債がはらむ健康リスク

無意識のうちに体に少しずつ負担を蓄積していく睡眠負債に、三島教授も警鐘を鳴らします。

「睡眠負債が持続すると糖尿病や高血圧などの生活習慣病、さらには冠動脈疾患や脳卒中、そして死亡のリスクも高まる*6など、これまでにたくさんの報告があります」(三島教授)

これほど健康リスクのある睡眠不足を、なぜ私たちは放置してしまっているのでしょうか。

私たちは睡眠負債を誤魔化して生活している?

「睡眠負債の辛さを実感しているなら、そんな生活を続けるはずはありません。自分の睡眠不足に慣れてしまって眠気やパフォーマンスの低下に気づくことができないのです」(三島教授)

例えば、一晩の徹夜明けには強い眠気を感じます。しかし、1日5時間程度の睡眠状態を1週間続けるとパフォーマンスは徹夜と同じ程度まで低下しますが、眠気はそれに比較して軽度に留まることが知られているそうです*7
「コンピューターのプログラムを書いている人などは、作業効率が落ちていることを自身で体感し、それによって睡眠不足に気づくことはあるでしょう。一方で、特に営業職など顧客と対面する仕事では、自然と緊張し覚醒度が高まるので睡眠負債に気づきにくい傾向にあります」(三島教授)

さらに、睡眠負債はある程度誤魔化せてしまうようです。休日にソファーでくつろいでいるときに数分「寝落ち」したり、通勤電車のなかで10分程ウトウトしたりする状態を「マイクロスリープ」、休日に寝だめして平日の睡眠不足を補うことを「キャッチアップスリープ」といいますが、こうした状況で眠気がすっきりした経験のある方も多いのではないでしょうか。これについて三島教授は「たしかに眠気は解消するが、睡眠負債は解消されていない状態」と言います。

「昼寝の効能は日中の短期的な眠気解消にとどまり、根本的な睡眠不足による生活習慣病・認知症・うつ病といった健康リスクを軽減するというデータはありません。高齢者の血圧を安定化させる効果を示唆する研究も一部ありますが、基本的に睡眠不足の解消には夜間の睡眠時間を確保するしか方法がありません。浅いノンレム睡眠と深いレム睡眠などのセットからなる一連の睡眠サイクルを十分確保することで、初めて体が回復するわけです」(三島教授)

「マイクロスリープ」や「キャッチアップスリープ」に心当たりがある人は、「自分には睡眠負債があるのでは」と考えてみるとよいかもしれません。

睡眠負債の軽減を阻む2つの個人差

前述の通り健康リスクをはらむ睡眠負債ですが、三島教授は「個人の努力ですべての睡眠負債に対処するのは難しい」と強調します。その背景には、適正な睡眠時間(必要睡眠時間)と良質な睡眠を得られるタイミングに個人差があることが挙げられます。

適正な睡眠時間は個人によって大きく異なります。「20代の必要睡眠時間を測定したところ、7時間程度で十分な人もいれば、9時間以上必要な人もいるなど、2時間以上の差がありました。研究対象を広げていくと、もっと大きな差が見つかるかもしれません」(三島教授)

睡眠のタイミングにも個人差があります。「クロノタイプ」は、朝型夜型ともいわれ、一日の中で示す活動の時間的指向性を意味しますが、この「クロノタイプ」も個人の体質によって決まっています。例えば、目覚めが早く活動のピークが日中の早い時間帯にきて、夜の早い時間帯に疲労を感じて早々に眠りについている人は「朝型」のクロノタイプです。朝なかなか起きられず午前中は調子が上がらないまま過ごし、夕方から夜間にかけて元気になり、夜遅い時間帯まで眠気を感じない人は「夜型」のクロノタイプとなります。

「フレックスタイム制の勤務時間やリモートワークが普及しつつありますが、それでもまだ日本では朝型の勤務スタイルが多いのが実情です。朝型タイプはそれに適応しやすいですが、夜型の人にとっては辛い環境であると言えるでしょう」(三島教授)

夜型のクロノタイプを示す人が日中の眠気に対して昼寝をしたり、夜間のブルーライトを遮断したり、起床時に太陽光のような強い光を浴びたりすることで、自身の体内時計を「ある程度」自己調整することは可能です。しかし、それを持続させるのは簡単なことではないようです。そのため三島教授は、環境が整うことがより理想的と考えています。

「夜型のクロノタイプは体質的なものです。例えば平日に体内時計の自己調整を続けても、週末に寝だめをしてしまうと簡単に元の状態に戻ってしまうことも多く、自身のクロノタイプに抗って求められている社会スケジュールに自身の睡眠や体内時計を適応させるには、不断の努力が必要です。このように個人レベルで苦しい思いをさせるよりは、個人がそれぞれの体質にあった起床時間、勤務時間を選べるフレックスタイム制が社会に広がるのが理想的だと感じています」(三島教授)

近年は働き方の選択肢が増えてきています。必要な睡眠時間やクロノタイプには個人差があるため、ビジネスパーソンにとって働き方の選択肢が増えることは、睡眠不足の解決策のひとつと言えるでしょう。

睡眠の「質」で睡眠負債は軽減できるのか

自分の必要睡眠時間やクロノタイプにあった睡眠が取れない人にとって、対策はあるのでしょうか。
短時間でも深い睡眠を取ることができれば、眠りの質が高まり睡眠負債が解消されるのか?という問いに対して、「効果は懐疑的である」と三島教授は言います。

「若者と高齢者の睡眠の比較研究において、若者に深い睡眠がより多く観察されたことから、一般的に深い睡眠は質が高い睡眠と言われるようになりましたが、実は科学的根拠はありません。どうしても仕事が忙しくて連日短い時間しか眠れていない場合、人間の脳は『休養させないといけない』『冷却しないといけない』という反応を起こします。実際、睡眠不足の人では総睡眠時間は短いにもかかわらず深い睡眠(深いノンレム睡眠)は増加し、睡眠時間に占める割合はむしろ増加します。その結果、一見、質の高い睡眠に見えます。ところが深いノンレム睡眠は確保されても、代謝や免疫、認知機能の維持には浅いノンレム睡眠やレム睡眠も大事であるため、先にお話ししたような健康リスクが生じるのです。つまり、質の高い睡眠がとれているというより、自己防衛策としてやむを得ず深い睡眠が増えているということなのです」(三島教授)

なお、平均的な必要睡眠時間が約7.5時間として、5.5時間未満(平均マイナス2時間)睡眠でも健康的な生活を送れる人をショートスリーパー、9.5時間以上(平均プラス2時間)の睡眠が必要な人をロングスリーパーと呼ぶこともあります。

しかし、それらは全人口のうち数%の稀なケースで「真のショートスリーパーだと思われる方に今までほんの数名しか出会ったことはありません。睡眠時間が短い人を調査するとパフォーマンスの低下がある場合が多いのです」と三島教授は話します。

また、近年、長時間睡眠の死亡リスクの高さを示す観察研究もありますが、短時間睡眠と比べて長時間睡眠の健康リスクはよくわかっていないのが実情です。三島教授によると、それらの研究には、研究時点では把握されていない何らかの疾患をかかえている人が結果として長時間睡眠になっている、という可能性も考えられるため、さらなる研究が必要とのことです。
最適な睡眠時間に関しては、三島教授のこちら↓のコラムもぜひご参照ください。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20230220-OYTET50037/

睡眠負債と労働生産性の関係性

社員のパフォーマンスや労働生産性が低下する状態を「プレゼンティズム」と言いますが、プレゼンティズムに陥る背景のひとつに睡眠負債が挙げられています。

睡眠負債がもたらすプレゼンティズムを改善するため、オフィス内に「お昼寝」スペースを設けている企業もあります。特に交通事故や作業中の事故など、眠気がもたらすインシデント(重大な事件や事故・危機的な状況に発展する可能性やリスクを持つ出来事・事例)を減らすことを目的としていますが、これはあくまで次善の策であると三島教授は語ります。

究極的な理想は、社員一人ひとりに最適な睡眠をとってもらい、パフォーマンスを最大化できる時間帯に働けるような社会です。三島教授は「50人程度の組織であれば、必要睡眠時間に3時間程度、クロノタイプには6時間程度の個人差が出ることが予想されます。したがって、すべての人が効率的にパフォーマンスを発揮できる時間帯は、おそらく昼から夕方の4時間ぐらいだと考えられます」と解説します。

実際、社員の最適な睡眠を考慮した制度を導入する企業も出てきています。
世界各国で音楽事業を展開する米ユニバーサル・ミュージックグループ日本法人の社長が、自らの短時間睡眠を改善し効果を実感したことから、2018年に働く時間を自由に選べるフルフレックス制を導入しています*8
また、オリジナルウェディングなどを手がける株式会社CRAZYでは、従業員に寝る時間を確保してもらうため、インセンティブを設定した「睡眠報酬制度」を2018年に導入しています。この睡眠報酬制度では、スマートフォンアプリで社員の睡眠時間を計測し、1週間のうち6時間を超える睡眠をとった日が5日間ある従業員にボーナスが支給されるというものです*9

こういった事例の有効性やフレックスタイム制、リモートワークの効果検証が進めば、新たな「健康経営の手段」や「社会の姿」が見えてくるかもしれません。

なお、若年層の例ではあるものの、米国では2019年にカリフォルニア州が生徒の睡眠不足対策のために中学高校の開始時間を遅らせる法律を施行しています*10

進化するスリープテックにも注目

近年、睡眠を軸にした技術開発である「スリープテック」に注目が集まっています。

株式会社矢野経済研究所が2022年に行った調査では、スリープテック市場規模は2022年時点で60億円、2025年には105億円に達することが予測されています*11
また、この調査では、スリープテックを活用した睡眠関連ビジネスの中でも、光や音、温度などの観点から睡眠環境を整えるサービスや、それらの睡眠計測をベースとして睡眠改善および生活改善を促すソリューション型のサービスが広がりを見せており、また対象も個人から法人へ変化しつつあることが明らかになっています。

「医療の分野では、最近、プログラム医療機器として不眠症を改善するアプリが厚生労働省に認可されました*12*13。一方で、健康な人を対象とした睡眠改善のためのソリューションには、測定精度や効果においてさまざまなレベルのものがあり、現在は玉石混淆の状態とも言えます」(三島教授)

一方で、三島教授はAI(人工知能)などの技術の進歩に期待していると言います。

「より有用なフィードバックを行うには、マルチディメンショナルな(多次元の)システムが有用だと思います。生活環境や仕事の状況、健診結果などもデータ化し、利用者にとって問題となっていることは何なのか、その問題は睡眠負債によるものか、それとも病気としての睡眠障害なのか、といった判断材料をデータとして提供するということです。ソファーに座っている時間にどんなテレビ番組を見ているのかなどの情報すべてをDX化すれば、それぞれの体質・生活環境・習慣に合わせたテーラーメイドな提案ができるようになるでしょう」(三島教授)

睡眠負債のリスクを認識した上で、価値観に応じた睡眠習慣を

ここまで、睡眠負債のリスクや睡眠における個人差、企業が提供可能な選択肢について紹介しました。しかし三島教授は「それらを否定し全く反対のことをいうわけではありませんが、人は寝るためだけに生きているわけではありません」と切り出します。

「人生の中での価値観は年代とともに変わっていきます。若いときには、自分の夢を実現するために寝る時間を惜しんで働くときもあります。睡眠負債には健康リスクがあり、それは年齢とともに高まってくることを知識として持ちつつ、睡眠習慣を自分で選択し、年代ごとに生活習慣を振り返りながら生きていくことが重要だと思うのです」(三島教授)

健康のリスクが高まる年齢にさしかかったとき、日中の眠気からパフォーマンスがフルに発揮できていないと気づけたときには、睡眠負債のリスクを認識した上で自分自身の価値観と向き合い、睡眠習慣を振り返る機会を持ってみてはいかがでしょうか。

*1 Gender Data Portal 2021. https://www.oecd.org/gender/data/(参照2023-03-31)

*2 厚生労働省医薬・生活衛生局生活衛生・食品安全企画課. “令和3年度 健康実態調査結果の報告” 厚生労働省webサイト. https://www.mhlw.go.jp/content/11131500/000904748.pdf (参照2023-03-31)

*3 Chronobiol Int . 2012 Mar;29(2):220-6. Individual traits and environmental factors influencing sleep timing: a study of 225 Japanese couples. Akiko Hida et al.

*4 “Why Sleep Matters: Quantifying the Economic Costs of Insufficient Sleep” RAND. https://www.rand.org/randeurope/research/projects/the-value-of-the-sleep-economy.html(参照2023-03-31)

*5 Raising Awareness of Sleep as a Healthy Behavior(https://www.cdc.gov/pcd/issues/2013/13_0081.htm)

*6 Circulation. 2016 Nov 1;134(18):e367-e386. Sleep Duration and Quality: Impact on Lifestyle Behaviors and Cardiometabolic Health: A Scientific Statement From the American Heart Association., Marie-Pierre St-Onge et al.

*7 Van Dongen HP, Maislin G, Mullington JM, Dinges DF. The cumulative cost of additional wakefulness: dose-response effects on neurobehavioral functions and sleep physiology from chronic sleep restriction and total sleep deprivation. Sleep. 2003;26:117-126.

*8 “寝不足日本が失う15兆円 睡眠時間はOECD最下位、「寝ないと渡り合えない」” 日本経済新聞Webサイト. https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75949090R20C21A9CT0000/ (参照2023-03-31)

*9 “「意識変わった」「風邪が減った」 しっかり寝ると報酬がもらえる「睡眠報酬制度」を導入した企業の“その後”” ITmedia NEWS. https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1903/13/news133.html (参照2023-03-31)

*10 TARYN LUNA. “California becomes first state in the country to push back school start times” Los Angeles Times. https://www.latimes.com/california/story/2019-10-13/california-first-state-country-later-school-start-times-new-law (参照2023-03-31)

*11 “スリープテック市場に関する調査を実施(2022年)” 株式会社矢野経済研究所. https://www.yano.co.jp/press-release/show/press_id/3092 (参照2023-03-31)

*12 厚生労働省医薬・生活衛生局医療機器審査管理課 “新医療機器として承認された医療機器について” 厚生労働省Webサイト. https://www.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T230217I0020.pdf

*13 医薬・生活衛生局 医療機器審査管理課. “審議結果報告書” 独立行政法人 医薬品医療機器総合機構webサイト. https://www.pmda.go.jp/medical_devices/2023/M20230217001/331621000_30500BZX00033_A100_1.pdf (参照2023-03-28)

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