健康経営とは|企業はそれぞれの最適解を 浅野健一郎先生の視点

2023.06.16

少子高齢化などの社会課題や働き方改革への関心の高まりを受け、企業における健康経営が注目されています。しかし、この「健康経営」、実際のところどのような取り組みであり、企業や個人にはどのようなメリットがあるのでしょうか?
今回は、社会的健康戦略研究所の代表を務める浅野健一郎先生をゲストに迎え、健康経営における本当の意義、そして私たちが取り組む上で大切にすべきポイントを教えていただきました。

浅野 健一郎 代表理事

一般社団法人社会的健康戦略研究所 代表理事

1989年藤倉電線株式会社 (現㈱フジクラ) に入社。光エレクトロニクス研究所 (当時) に配属され光通信システムの研究開発に従事。2011年よりコーポレート企画室ヘルスケア・ソリューショングループを立ち上げ健康経営に取り組む。2019年、㈱フジクラ健康社会研究所を設立し、同社代表取締役CEOに就任。同年、(一社)社会的健康戦略研究所を有志とともに設立し、現在、同社団の代表理事を務める。経済産業省次世代ヘルスケア産業協議会健康投資WG専門委員、厚生労働省日本健康会議健康スコアリングWG委員なども兼任。

「健康」の対義語は「疾患」ではない?

まず、その名の通り「経営の手法である」ということが大前提です。そこに「健康」がついていますね。普段何気なく使っている「健康」という言葉ですが、これは「疾患」の対義語ではありません。
1947年に採択されたWHO憲章では健康について、病気でない、弱っていないということではなく、「肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であること」 と定義しています。つまり、疾患のある人でも、その疾患を持ちながらも、肉体的、精神的及び社会的により良い状態を目指し、生き生きと健康的に生活することができるということです。
これを踏まえると、年齢や性別、個々人が持っている身体的・精神的な事情に関係なく、全ての人は「健康的に生きる」ことができます。そういった、さまざまなバックグラウンドを持った人々がいる中で、全ての従業員が心身ともに満たされながら企業に所属できるような仕組みをつくる。そのために企業のポリシーに根付いた経営手法を模索し、ひいては企業の成長につなげていくことを目指す活動が「健康経営」なのです。

「健康経営」の潮流には、大きく二つの目的が関わっています。
一つは、「日本企業ならではの強み」に立ち返ること。かつての日本における企業の多くが家族経営の商店でした。近代化に伴って企業という枠組みが作られていきますが、所属する人々の心身の安全を保つ家族的な側面が自然と備わっていたため、今でいう「健康経営」が自然とできていました。しかし、合理化が進む中で徐々にそうした家族的経営は限界を迎え、今度は社員を解雇する流れも出てきました。それまで日本企業が持っていた人の結びつき、結束力が損なわれていったのです。そこで、今一度日本由来の組織のあり方に立ち返り、組織を構成する人々の心理的安全性が保たれる経営をしていこうという意志が根底にあると考えています。
もう一つは、健康経営銘柄や健康経営優良法人認定などの発信源である経済産業省からの働きかけですね。人口の年齢構成が変化する中で、医療費の高騰をはじめとする社会保障の課題が挙げられています。高齢になっても健康で過ごすためには、積み重ねる生活習慣から変えていかなければなりません。長年従事する「仕事」は、生活習慣に大きく影響するものです。企業に所属する人々による健康を維持できる環境づくりを進めていこうという動きが広がり、多くの企業が健康経営に取り組むようになりました。

「なぜ」行うのか? その目的を羅針盤に

「社会的」健康研究所という団体名が、私たちの活動目的を端的に表しているといえるかもしれません。先ほども挙げたWHO憲章が掲げる健康の定義は、「身体的・精神的・社会的」の3軸から成り立っています。身体的・精神的well-beingに対するアプローチとしては、それぞれ、風邪をひいたときに何を食べると良いか、気分が落ち込んだときにどうリフレッシュするかなど、イメージしやすいと思います。では、「社会的」well-beingが低下したときはどうでしょうか?具体的な答えを持っている人は少ないと思います。私たちはそこに研究の余地があると考えました。どうすれば個人・集団の社会的well-beingを高め社会的健康を実現することができるのか、そのために必要な企業経営のあり方や、社会課題解決の手法を研究しています。

端的にいえば、「手段の目的化」を避けるためです。「社会的に求められているから」という理由で従業員への積極的な健康管理を取り入れるだけでは、経営的なメリットに直結しない表層的な取り組みで終わってしまいがちです。そうではなく、自社にとってなぜ健康経営が必要であるかに向き合い、最適なやり方を取り入れてほしいと考えています。
「規格をつくる」というと、画一的なルールを押し付けるイメージがあるかもしれませんが、むしろ逆です。健康経営には企業の数だけやり方があって、最適解を示すことはできません。ただ、踏むべきプロセスは共通しています。そのプロセスを規格化することで、各社の経営環境にフィットした健康経営に取り組むためのフレームワークを提示できればと考えました。
国際的な取り組みのため各段階のすり合わせにどうしても時間を要しますが、現在は草案が固まりつつあり、このまま順調に進めば2024年秋頃に策定される予定です。

※ 2021年7月より、ISO/TC314(高齢社会)の枠組みにおける健康経営の国際規格化が合意され、社会的健康戦略研究所と経産省がリードする形で進められています。

その通りです。日本の企業は真っ先に「答え」を知りたがる傾向があります。「これをやれば結果が出る」という明確な正解があるものだと思い込み、自分自身で探求していこうという発想を持たない傾向があります。この認識をまず変えていくべきだと思っています。各企業それぞれに風土やカラーがありますし、そもそも自社の経営課題を健康で解決するものでなければ、経営的なメリットはありません。
理想的なアプローチは、経営のポリシーやパーパスに根付いた活動に経営者自らが投資して、従業員を巻き込むことです。その一つにGoogle社があります。同社は、プレイルームや朝食の提供などさまざまな取り組みをする中で失敗も多く経験しましたが、すばらしいのは「正解はない」ことへの気づきを新たなスタートに、最適解が見つかるまでPDCAを回し続け、実際に組織を変えているところです。企業経営の中に「健康経営」が一つの体系として組み込まれているからこそ、その力があるのだと考えています。

そうですよね。一方で、何もないまっさらな視野を持っていることは、現状を見つめて問題提起をしていく上でとても重要であると思います。というのも、もともと私は光通信システムの研究開発に従事する研究者で、法律にも経営にも触れたことはありませんでした。遡ること2009年、リーマンショック直後で世界がどう動いていくか検討もつかない中、当時所属していた㈱フジクラで中期経営計画の策定プロジェクトに関わりました。
当時の環境では、前例踏襲でないチャレンジングな経営計画を掲げる必要があるにもかかわらず、職場の仲間には元気がなかった。当時は会社や人生が今後どうなっていくか分からない状況だったので当然です。そこで、経営計画の実行と並行して、組織を活気づけるために「元気プロジェクト」を提案しました。同社の健康経営の契機となる取り組みですが、これを発案メンバー自ら実行することになりました。誰一人として領域知識を持たない中でのスタートでした。だからこそ、なぜ法律がそうなっているのか、なぜその人事施策がなされているのかなど、いくつもの純粋な疑問が生まれました。ありのままの現状を吸収して課題に気づくことができたのです。
これから健康経営事業に取り組む方々も同様で、自分たちの健康経営は自分たちでつくっていけば良いと思います。その上で、迷ったときはもう一度目的に立ち返ってみてください。何のために、どこをゴールとして、経営や個人にはどのようなメリットがあるのか。常に目的に立ち返りながら試行錯誤を継続していくことができれば、おのずと効果的な手法が見えてきて、経営の中に根付いていくはずです。

より良い明日のために、今日できることは何か

日本では現在、人的資本における情報開示の潮流がありますが 、人的資本強化のために健康経営をどう生かすことができるのか、その観点を念頭に置きながら取り入れ方を模索してほしいと思います。
そもそも、なぜ人的資本を開示する必要があるのでしょう? 答えは単純で、それが企業の価値に直結しているからです。かつて企業の競争優位性を左右していたのは、優れた製造機器や素材などの有形資産でした。しかし、今やそうした形あるものは簡単に真似できてしまいます。だからこそ、注目すべきは「人」と「組織」の力である。そうなれば、人的資本による経営インパクトがどれほどであるのか、さらに価値を高めていくためにどのような措置をとっているのか、投資家が開示を求めるのは当然です。
しかし、日本では人的資本が経営に及ぼすインパクトを重視する経営者の視点がまだ発展途上にあります。ゆえに、何を開示すればいいのだろう? というところに陥ってしまいがちです。人的資本強化の視点から、自分の会社らしい健康経営をぜひ考えてみていたきたいと思います。

「ウェルビーイング」に日本語の対訳がないことからも、この概念を捉えることの難しさが表れています。簡単にいうと「ヘルス」は健康、「ハピネス」は幸福、では「ウェルビーイング」とは何でしょうか。
私は、「ハピネス」を過去・現在地点の認知的感情としての幸福と表現すると、「ウェルビーイング」はより良い人生に向かって、明日も、1カ月後も「生きていたい」と思えることだと思っています。そう考えると、一人ひとりが「ウェルビーイング」について考えることは、未来に希望を持つことなのです。
今、明日に、または将来に希望を持てる生き方ができていますか? それぞれの心に問いかけてみてください。
自身のより良い未来を主体的に考えていくことが、健康経営やウェルネス社会につながっていきます。同様に、企業は従業員がより良く生きていけるような経営を模索していかなければなりません。全員がより良い未来を志向する組織ならば、業績もおのずと上がっていきそうな力を感じますよね。

社会は人と人との関係性によって成り立っているという意識を、今一度持っていただきたいと思います。現代において、課題とは「個人」に落ちてくるもので、自身で解決すべきものだという考え方が定着しているのではないでしょうか。これを、「みんなで変えていくもの」という意識にシフトしていくことができれば、社会的健康を高めるヒントにもつながっていくはずです。ひいては、ダイバーシティとは、組織とは、仲間とは何なのか――そのあり方を考える上での力になっていくと思います。
私がこれまでポリシーとしてきたのは、「明日は自分たちで作るしかない」ということです。明日は勝手にやって来るわけではなく、私たちが今日やったことの結果が反映されるのです。ですから、常に「変えられないことない」という思いで行動していけば、必ず社会は良い方向へ向かうと信じています。