製薬業界の課題と今後の動向-医薬品市場の推移やM&A

2024.08.14

2020年、100年に一度と言われる新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行は、その最前線である製薬業界に大きなインパクトを与えました。本来、ワクチンの開発は非常に時間がかかりますが、COVID-19のワクチンが異例の早さで実用化されたことは記憶に新しいです。
今回は、こうした外部環境の製薬業界へのインパクトや医薬品市場の推移、業界動向の現在と未来について、製薬企業にコンサルティングをグローバルに提供するサイトラインの今堀氏に伺いました。

今堀 逸太郎 氏

CFA協会認定証券アナリスト
サイトライン(ノーステラグループ)
コンサルティング&アナリティクス
プリンシパル

カリフォルニア大学バークレー校で心理学(認知神経科学)専攻、学士号取得。その後、L.E.K.コンサルティング、IQVIAでライフサイエンス分野を中心に経営コンサルタントとして活躍。2022年にサイトライン社に入社。コマーシャル・デューデリジェンス/M&A、市場参入/機会評価、価格設定と市場アクセス、ライセンシング、ポートフォリオ最適化などのプロジェクトをリード。

技術の進歩に加え、未曾有の出来事が業界の転換点に

2013年頃からパンデミック頃までの製薬業界は、一言でいうと「Do More With More(大きく投資し大きな利益を)」というテーマがあったように思います。例えば、薬の開発品の数を年次的に見てみると、2013年の前後で、開発品数の成長率が加速しているのがわかります。平均的な成長率は、2001年〜2013年が6%、2013年以降は9%で、2013年以降はそれ以前より1.5倍のスピードで成長していることになります。

この成長率の加速の背景の一つは、製薬企業による積極的な開発投資の潮流があります。そして、成長のドライバーとなったのはイノベーションです。例えば、直接作用型抗ウィルス薬(DAA)、がん免疫療法(PD1/PDL1)、細胞・遺伝子治療などの先端治療が承認され高額な薬価がつきました。これを業界は「イノベーションが評価される」と捉えて、さらに開発投資が積極的に行いました。

イノベーションとは価値の創出と同義です。そして、薬の価値は、患者さんや患者さんの周りにいる人たちの生活の質向上などを通して、総合的にかつ倫理的に社会にどれだけ貢献できるかにあります。そのため、技術が進化しても有効性や安全性が既存薬と同じなら、そこに技術からくる新しい価値がなく、真のイノベーションではありません。つまり、本当に人々に必要とされている薬を世に送り出すことが真のイノベーション(価値)であり、高額な薬価がついたことは賛否両論がありますが、2013年当たりから上市し始めた技術の進化によってもたらされた優れた有効性と安全性を持つ新たな治療が人々の健康に大きく貢献すると評価されたと考えています。

一方で、イノベーションの誤った解釈をして、この同時期には非倫理的な動きをする企業には社会から厳しい目が向けられたり、高額薬価に対しては政府の介入もみられました。米国で、すでに特許が切れている薬の価格をおよそ50倍以上に値上げを試みた企業は、政府や患者団体からの批判にさらされ、またこのような行動がアメリカの政府系の保険に薬価交渉権を与えるIRA(インフレ抑制法)の成立を促しました。日本では画期的な新薬が当初は対象とする患者数が少なく高薬価となりましたが、その後、適用拡大によって対象患者が増加したことで高額な薬価が大問題となり、2年ごとの改定を待たずに薬価が半額に引き下げられました。

製薬企業からすると薬価を最大化したいのは当然のことですが、あまりに行き過ぎた動きは患者や社会への総合的不利益になるためバランスが重要だと思います。薬価算定の不透明な部分(類似する薬のない薬価は必要経費の積み上げによる「原価計算方式」となるが、経費詳細は必ずしも公開ができない)への対策として、日本では政府の介入もあり規制が強化されました。

やはり、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は世界の製薬業界に大きな変化をもたらしたと思います。パンデミック以前の「Do More With More(大きく投資し大きな利益を)」の時代では、時間もそれなりに費やされていました。しかし、コロナ禍においてはワクチンをはじめとした医薬品の迅速な開発を求められ、技術的基盤が絶妙なタイミングで成熟してきたこともありますが、1年で実用化することができました。ワクチン以外の治療薬開発においても、世界中の人々の命を救うために、意思決定も必然的に早くなりました。そして、パンデミックにより、「Do More With Less(少ない投資で大きな利益を)」の時代となり、効率性が重視されるようになりました。

そして、パンデミックから4年たった今、業界は「Do Longer(持続性)」の時代を迎えつつあると思います。パンデミックが起きた頃は、打ち上げ花火的に巨額かつ臨時的な収益を得ていましたが、持続性を重視し始めたというところですね。

日本の製薬業界の特徴と課題、そして世界から見た評価

まず、この質問を答える前に言いたいことは、そもそも日本の医療は世界的にもトップクラスで、平均寿命が世界一という結果があります。本当に素晴らしい産業の一つです。ただ、COVID-19に対する対応の面では、日本は海外に比べて緊急事態への統制がとれておらず、意思決定も遅く、先行して動く海外勢の後塵を拝していたような印象です。コロナ禍のような事態に直面したことで、これまで気づかなかったワクチン開発やデジタル化など特定の領域で遅れをとっているという課題を認識するきっかけになったのではないかと感じています。

そして、その気づきによってもたらされた変化もありました。よく言われるのは、製薬企業の活動のデジタル化や効率性向上です。これまでMR(医薬情報担当者)は、医療従事者に医薬品に関する情報提供や医薬品を取り扱ってもらうための提案の説明をするために、数時間病院で先生を待ち続け対面で行うのが常識でした。しかし、COVID-19が発生し病院が訪問禁止となったことで、オンラインでの面談が新しいビジネス慣習として受け入れられていきました。今も完全に元の状態に戻るのではなく、対面とオンラインを使い分けることがノーマルになり、対面の廃止を検討している企業も増えています。

そして、何よりも変化したのは、各企業のマインドセットではないでしょうか?コロナ禍を振り返り、自社がどれだけ貢献できたか、強みやリスク耐性、柔軟性はどうだったか、不十分であれば、なぜそうなのかについて評価・分析を行った企業は多かったはずです。パンデミックは100年に一度の危機と言われていますが、どの程度満足に対応できたか見つめ直すマインドが生まれたことは、国内産業に与えた大きな変化だと思います。

今は日本では数十年ぶりの「金利の引き上げ」と「インフレの進行」という特殊な状況にあります。このような状況においては、割引率が高く、時間がかかるオーガニックな成長プロジェクトを創出することは難しいかもしれません。では、どのような成長戦略があるのかというと、例えば製薬ベンチャーの開発品を大手製薬企業が購入するといった、ディール(取引・契約)による成長が選択肢の一つとしてあげられます。

2023年のディールには、完成品ではないが十分な有効性が確認されている状態の開発品が取引される傾向がみられます。有効性が十分確認されていることから、低リスクで近い将来に高確率でキャッシュを得られる点に勝機が見出され、開発後期のものが買われている状況です。

今後、米国では金利は下がる見通しです。金利が下がれば取得する開発プロジェクトの現在価値があがり、成長プロジェクトはどんどん出てくると同時に、開発品の評価額が高騰する可能性があります。金利が下がる前の今であれば割安で買える可能性もあると思います。

M&Aは市場シェアの拡大、新規参入、技術やノウハウの獲得など特定の戦略を実行する手段として用いられています。今後、M&Aがより活発化すると予測される中、今話題になっているキーワードはやはり「AI」です。AIは必ずしも、薬の製造やバイオロジーに直接的な作用に限定されない「オペレーション効率化の手段」として注目されるのではないかと思っています。

これまでのM&Aは、薬の創出に直結する開発品を取得することが主な目的でしたが、今後は製薬企業のあらゆる活動の効率を高める資産を持っている企業の買収が増えてくるのではないかと予想しています。具体的には、固定費の削減や効率性の向上を図りながら、持続的に利益を創出するための仕組み作りにAIが活用され、そのようなAI技術を保有する企業を獲得のためのM&Aが活発化するのではないかと考えています。

まず、日本はイノベーティブな薬を開発できる数少ない国の一つです。その上、規制や薬価の算定ルールも成熟しており、かつオープンアクセスで薬を必要としている人たちにしっかり届けられる環境も整っており、これは世界的に見て他国に劣らず高い水準にあると思います。その中で、課題をあげるとしたら「ドラッグ・ロス(海外の新薬が日本で手に入らないこと)」「ドラッグ・ラグ(海外で承認された治療薬の承認が大幅に遅れること)」があげられます。

この根本的な原因は、海外からの日本市場の見られ方に問題があるのではないかと思っています。実際、当社に海外の製薬メーカーやバイオテックから相談を受ける中で「自社製品を日本でも売り出すべきか?」と度々尋ねられます。日本の医薬品市場は世界第3位でで、GDPも高く、医療制度も成熟しているので、私にとって当然「イエス」の問いです。なので、質問されるのがすごく不思議でした。詳しく話をお伺いすると、どうやら海外に日本の医薬品市場の魅力が伝わっていないようなのです。

その理由として、言語の壁があって薬価算定のルールが深く理解できていないということもありますが、それ以上に「毎年の薬価改定」というキーワードが独り歩きしているようです。

海外の製薬企業やバイオテックなどの企業は一番大きな市場である米国市場を見据えています。米国では、政府が薬価算定を主導することはなく、製薬企業が薬価を決める主導権をもっています。それと比べると、政府が介入し価格が毎年下げる方向で改定される「日本の改定ルール」がネガティブなものに映っているようです。

日本には、一定の条件を満たした新薬に加算される新薬創出加算※ルールもあるのですが、海外企業に伝わっていません。こうした日本の制度の現状と海外企業の認識のギャップを埋めるためには、制度に関する事実を伝えるコミュニケーションを活発化させていくべきではないかと感じています。

※ 新薬創出加算(新薬創出・適応外薬解消等促進加算):薬価改定時に一定の条件を満たした新薬に与えられる加算のこと。特許が切れるまで薬価を維持したり、下がりにくくしたりすることで、革新的新薬の創出を加速させることを目的とした制度。

これからのテーマは「生活の質」「人生の質」の向上

超高齢社会は世界の歴史上初めてのことです。これまで人は高齢になる前に亡くなっていたわけですが、医療の進歩や社会保障の発達によって長生きできるようになった日本の社会を、私は本来誇るべきものだと思っています。

超高齢社会は労働人口の減少や経済成長の鈍化など、経済的な負の側面が課題としてよく取り上げられますが、私は機会と捉えることもできると思っています。年を重ねると資産が増え、潜在的な自由裁量所得(比較的自由に支出に回せる所得)が増えるという事実があります。これを論理的に考えると、消費が全体的に増えることが可能性としてあげられると思います。その中で製薬企業は、この機会を逃さずに社会に貢献することが求められると思います。

これまでは、健康状態を「健康」か「病気」の白か黒かの世界で捉え、病気を治療することがミッションとなっていました。しかし、この考え方は過去のものだと思っています。これから製薬業界は、命と向き合う産業であることを再認識し、健康状態を白から黒のグラデーションで捉えなおし、人生や生活の質を向上させることを新たなミッションとする必要があります。そのためには、これまでの病気を治す考え方から脱却し、新しい概念を持つ必要があり、それにはバイオロジーへの深い理解はもちろん、患者や生活者一人ひとりの自らの意思による行動をサポートすることが求められていると思います。

実際、デジタルセラピューティクスやデジタルアプリを通じて薬を定められたとおりに飲んでもらうことで治療効果を最大化するといった取り組みも進められています。これがさらに進化すれば、アプリを通じて睡眠の質を向上させたり、食事や運動といった規則的な生活習慣をサポートするようなものが出てくるのではないかと思います。どんな人にとっても、こういったサポートがあった方が生活の質が上がるはずで、今後、あらゆる健康状態を対象に生活の質を上げる製品・サービスの開発が製薬企業に求められるようになると考えています。

製薬業界は、人の命、生活の質、そして人生そのものに深く関わる業界です。命ほど神秘的で価値があるものはなく、その命を救うために倫理的な行動や意思決定が求められます。命と向き合うビジネスだからこそ、高い倫理観を持つことが重要です。その上で各社が明確な価値観を持つことで、どんな課題に直面しても正しい選択が可能となります。

業界に携わられている皆さまは、これからも倫理観、価値観を大事にしながら命と向き合い、誇りを持って価値を創出されていくと思います。その歩みの中で、世界を次のステージに導いていただきたいと思います。