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株式会社三井物産戦略研究所

欧州が主導するバイオエコノミー政策と世界的なイノベーションの動き

2018年3月9日


ドイツ三井物産
新産業・技術室
吉沢洋一


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バイオエコノミーとは、生物資源(バイオマス)やバイオテクノロジーを活用して、気候変動や食糧問題といった地球規模の課題を解決し、長期的に持続可能な成長を目指す概念である。20世紀の石油経済と対比して、バイオを基盤とする21世紀型の経済概念として用いられることもある。日本では政府が2017年頃から戦略策定に着手しているが、一般的にあまりなじみのない言葉である。一方で、欧州では2000年代半ばからバイオエコノミーの実現に向けた産業育成が政策的取り組みとして進められている。国連が2015年に発表した持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)においてもバイオエコノミーの貢献する分野が多数挙げられた。EUが2015年12月に発表した、リサイクルの促進や廃棄物量削減を柱とする循環経済(サーキュラー・エコノミー)戦略と重複する部分もあり、「サーキュラー・バイオエコノミー(Circular bioeconomy)」と呼ばれることもある。本稿では欧州のこれまでの政策面でのバイオエコノミーの取り組み、バイオエコノミーに影響を及ぼす技術開発・イノベーションや各産業での実用事例と、今後の展望について概説する。

欧州のこれまでの取り組み経緯

EUの取り組みを中心にバイオエコノミーに関する主な動きを表にまとめた。2005年に行われた、EUの2010年までの成長目標を定めたリスボン戦略の中間レビューにて、「知識を基盤としたバイオエコノミー」が提唱された。その後も、半年ごとに輪番制でEU理事会議長国となったドイツ、ベルギー、デンマーク等が同分野をたびたび取り上げるなど、EUでは重要なテーマとなっている。EUは2012年にバイオエコノミー戦略を採択1、2014年にバイオ産業コンソーシアムと共同で官民パートナーシップ「新バイオ産業共同事業(BBI-JU)」を立ち上げた。BBI-JUは、研究開発プログラム「ホライゾン2020」において、2014年から2020年までの7年間に総額37億ユーロ(うち、産業界は27億ユーロ)を投資することを決定した。研究開発が中心で、実用化につながらなかったそれまでの反省を踏まえ、事業化につながるような大規模な旗艦プロジェクトや実証プロジェクトを重視する点が特徴である。BBI-JUでは公募プロジェクトを旗艦、実証、研究イノベーション、コーディネーション、と4分類しており、2015年半ばから2017年までに採択した合計64のプロジェクト(総額約4.1億ユーロ)のうち、5つの旗艦プロジェクトに総額1.2億ユーロ、20の実証プロジェクトに総額1.8億ユーロの予算を割り当てた。例えば、ペットボトル等に利用されるPETよりもバリア性や耐熱性の物理的性質が優れる樹脂であるポリエチレンフラノエート(PEF)の商業生産を実現する旗艦プロジェクトには2,500万ユーロが費やされ、PEF技術を開発したオランダのAvantiumのほか、化学大手の独BASF、オーストリアのパッケージ大手ALPLA、スイスの食品大手Nestlé、デンマークの玩具大手LEGO等が加わっている。また、ナノセルロースの事業化を目指す別の旗艦プロジェクト「EXILVA」は2,700万ユーロの予算で、生産からマーケティングまでを視野に入れており、ノルウェーのパルプ・製紙メーカーBorregaardやオランダの日用品大手のUnilever等が加わっている。このように官民挙げてバイオの産業利用を後押しするため、事業化に向けた大規模生産における技術革新とコスト低減に挑んでいる。今後も旗艦プロジェクトや実証プロジェクトに投資資金が投入され、事業化に向けて着実に進んでいくことが期待される。

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EU加盟国レベルでも産業創出のためのバイオエコノミー戦略が策定されている。ドイツのバイオエコノミー戦略2は、食・エネルギーの安全供給、気候変動対策・環境保護、イノベーションを含む包括的な政策で自国産業の育成を柱としており、さらには自国産業の輸出を視野に入れた国際的な議論、枠組み形成で主導権を握ろうとしている。一方、国土の7割が森林のフィンランドは林業、パルプ・製紙産業の、発展を中心としたバイオエコノミー戦略3を策定しており、2000年代のIT化で苦境に陥ったパルプ・製紙産業の、持続可能な素材産業への発展を図っている。2017年にはMetsä Groupが、化石燃料を一切使用しない次世代のバイオ製品施設を開設した。同国の林業史上最大の投資額となる12億ユーロを投じ、それまでの施設を刷新してパルプ生産能力を50万トンから130万トンに増大した。

2017年には欧州委員会がEUのバイオエコノミー戦略のレビュー4を公表しており、それに基づき2018年にはバイオエコノミー戦略の改訂版を発表する予定である。リサイクルを含めた持続可能性と経済成長を促すイノベーションの両立に一層重点が置かれることが予想される。

イノベーションの発展と各産業での実用事例

欧州で政策的な取り組みが先行する一方、バイオエコノミーに影響を及ぼすであろう技術開発・イノベーションは欧州のみならずグローバルベースで発展し続けている。例えば、生物学は20世紀後半から目覚ましく発展している。DNAの二重らせん構造の解明によって、生物を分子レベルで解明する分子生物学が幕を明け、遺伝子を操作する遺伝子工学が生まれた。生物のゲノムを解析するシーケンサー技術が飛躍的な向上を遂げ、1990年に始まったヒトゲノムプロジェクトは、当初は解析に13年の月日と30億ドルが費やされたが、現在では米Illuminaの次世代シーケンサーにより解析に必要な期間が1日に短縮され、費用も1,000ドル程度で可能となった。英Oxford Nanopore Technologiesが開発する次々世代シーケンサーは、さらに解読速度が増す。収集された膨大なゲノム情報を分析するバイオインフォマティクスも進展している。スイスの製薬大手Rocheの子会社、米Foundation Medicineが2017年12月、ゲノム解析を利用したがん個別診断で、米食品医薬品局から初の承認を得た。

ゲノム情報の解析とともに遺伝子工学も年々進歩している。遺伝子改変では、特に2012年に発表されたCRISPR/Cas9というゲノム編集技術が、安価に高効率かつ短時間でターゲット遺伝子を改変することを可能にした。これは、ノーベル賞候補に挙げられる革新的な基盤技術で、産業への活用も広範囲に及ぶことが予想される。医薬品の開発では、独BayerがスイスのCRISPR Therapeuticsと合弁会社を設立し、ゲノム編集による血液病や心臓病の治療薬を開発している。養豚、養鶏といった畜産分野では、英ロスリン研究所がウィルス耐性を持つ家畜を開発したり、豪連邦科学産業研究機構(CSIRO)がアレルギーを引き起こさないようにアレルゲンに変異を導入したりする研究を進めている。CRISPR/Cas9のゲノム編集はゲームチェンジャーといわれているが、欧州では遺伝子組み換えと同様な倫理論争に発展する可能性もある。

一方で、医薬品や農業・食品といった高付加価値品以外のエネルギー、化学品、素材等の産業ではそのような倫理的問題は生じにくく、活用事例が増えつつある。具体的には、化学品産業ではより効率的にバイオ化学品を生産できる微生物の改変や、生分解性でない従来のプラスチックを分解できる微生物の開発につながることが考えられる。例えば、英ケンブリッジ大学とスペイン国立研究協議会の研究チームが2017年に報告6した、並外れたポリエチレン分解能力を有する蛾の幼虫の発見において、プラスチックバック等ポリエチレンのゴミを大量処理できる可能性や、ゲノム編集技術の適用によって、超効率的なポリエチレン分解酵素を開発し、廃プラスチック処理に応用できる可能性がある。

さらに近年は、合成生物学という、人為的に生物の機能の一部を生成する新たな学術分野が注目を集めつつある。デオキシリボ核酸(DNA)に代わる核酸や、新規アミノ酸を合成し、新たな機能を持たせた分子を合成する研究が進むなか、2017年11月、世界で初めて人工塩基を導入した大腸菌を作製したという画期的な論文が科学誌Natureに報告された7。生物史上、DNAは4種類の塩基で構成されてきたが、人工塩基を生物に組み込むことに成功したことで、構成塩基が6種類となり、DNAから合成されるアミノ酸の種類を増やすことが可能となった。自然界に存在しない大腸菌であり、安全性や安定性等、実用化の実現に向けた課題は多いが、今回の発明によって大腸菌以外のその他の微生物にも人工塩基が導入可能であることが示唆された。このような合成された微生物を利用して、新たな機能を持つペプチドやタンパク質等の新薬開発、全く新しい素材や化学品の合成に向けた第一歩が踏み出された。この発見を用いた画期的な商品の開発が将来期待される。

今後の展望

ここまで説明してきた、バイオエコノミーの政策的取り組みと、ゲノム編集や合成生物学といった技術開発・イノベーションの事象は別々に捉えられていた感がある。しかし今後は、ゲノム編集やICTを活用した技術開発・イノベーションの活用と、国際間・各国の諸政策の連携が伴って、さまざまな産業でバイオエコノミーの事業化が増加するだろう。

戦略・政策面で欧州が先んじた取り組みが、世界各国にも伝播しつつあり、米国をはじめ、中国、インド、ロシア、ブラジル、マレーシア等40カ国以上が産業政策を柱としたバイオエコノミー戦略や関連するイノベーション戦略を策定している。2015年に開催された第一回グローバル・バイオエコノミー・サミットでは、各国のバイオエコノミー政策が報告され情報共有が図られた。2018年4月にドイツで開催される第二回サミットでは、それより一歩先に進んで国際的な政策枠組みや国際協力に向けたアジェンダが議論される予定である。近い将来、持続可能性を考慮した国際的なバイオエコノミー認証といった規格(例えば、持続可能性に配慮したことを示す第三者認証による規格)の策定等で標準化争いが起こるかもしれないが、国際協力が図られることが望ましい。世界的な枠組みの議論の動向を意識しつつも、バイオエコノミー戦略の重点領域はドイツやフィンランドのように各国によって異なるので、自国産業の強みを踏まえた各国政府のバイオエコノミー戦略を理解することが企業としても重要となろう。

技術開発・イノベーション面では、ICTの発展によって産業の垣根が低くなっており、データを武器にリテール、金融、自動車、電力といった他業界に参入したICT企業がバイオ分野にも参入し始めている。例えば、Googleの親会社である米Alphabetは、事業化実現のスピードを加速させるため、ライフサイエンス部門を別会社化してVerily Life Sciencesを設立し、ヘルスケア分野でのデータ活用事業を主導する。さらに長寿の実現に狙いを絞った研究開発企業Calicoを設立した。また、2017年にはIBMとIlluminaが提携し、ワトソンを利用したゲノムデータの解析とIlluminaの腫瘍遺伝子解析キットを統合して、共同でがん研究を進めることを発表した。今後、AIの活用によって、DNA配列とその機能の関係性が明らかになれば、新たな機能の発見から製品の実用化までの期間の短縮やコスト低減、個別化した医薬品開発等が進む可能性もある。また、一つの技術革新が他分野のアプリケーションへつながるスピルオーバー効果8もあり得る。例えば、デンソーは微細藻類を使ったバイオ燃料の研究過程で発見したオイルを配合し、保湿効果の高いハンドクリームの開発に成功した。このような事例からも、いち早く事業化につなげるには、一つの分野にとらわれず広い視野を持ち、業界を超えた情報共有が大切である。

社会ニーズを反映した政策的な取り組みが世界へ広がり、新しい技術やイノベーションと融合し、いろいろな実例が増えるとともにコスト低減を実現することで、さまざまな産業でバイオエコノミーの事業化が増加・加速することが期待される。


  1. European Commission. Innovating for sustainable growth. A bioeconomy for Europe.(2012).
  2. German Federal Ministry of Food and Agriculture. National policy strategy on bioeconomy. Renewable resources and biotechnological processes as a basis for food, industry and energy.(2014).
  3. Finnish Ministry of Employment and the Economy. Sustainable growth from bioeconomy:The Finnish bioeconomy strategy.(2014).
  4. European Commission. Review of the 2012 European bioeconomy strategy. (2017).
  5. Hetemäki,L.,et al. Leading the way to a European circular bioeconomy strategy. From Science to Policy 5. European Forest Institute.(2017).
  6. Bombell,P.,et al. Polyethylene bio-degradation by caterpillars of the wax moth Galleria mellonella. Current Biology 27(8) 292-293.(2017).
  7. Zhang,Y.,et al. A semi-synthetic organism that stores and retrieves increased genetic information. Nature 551,644-647.(2017).
  8. OECD. The Bioeconomy to 2030:designing a policy agenda. Main findings and policy conclusions.(2009).

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