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株式会社三井物産戦略研究所

医療データをめぐる最新動向とビジネスチャンス

2017年12月8日


三井物産戦略研究所
知的財産室 宮城康史
新産業・技術室 加藤貴子


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近年、医療現場のIT化が進んできたことに伴い、電子カルテデータ、各種検査画像データ、保険請求データ等、患者の治療履歴や生体情報に関する医療データが膨大に生成されている。これまで個人情報保護規制が医療データの活用に大きなハードルとなっていたが、医療費の増大が世界的な問題となるなか、医療データを活用するための法制度やインフラが先進国を中心に整いつつある。大手コンサルティング会社のフロスト&サリバンによると、医療データの管理・分析サービスの世界市場規模は2015年時点で44億ドルに上り、2020年には75億ドルまで、年率約11%で成長すると予測している。本稿では、医療データをめぐる最新動向と事業機会について述べたい。

医療データの価値

医療データは、主に、以下に挙げる観点から医療の質向上や無駄の削減に資すると期待されている。

個別化医療:同じ病気であっても患者の病態はさまざまであり、個々の患者の病態に適した個別化医療を提供することで治療成果を向上させることが重要になっている。例えば、抗がん剤や抗精神病薬の効き目は患者ごとに異なり、応答率は3割程度と低い(米食品医薬品局)。各種検査データや、医師による所見等、患者個人の病態を詳細に把握し、それに合わせた適切な医薬品を適切なタイミングで投与していくことで治療効果を高めていくことが重要になっている。医療データを蓄積し、分析することは、個別化医療を推進する新たな治療技術の開発につながる。

医療連携:医療機関の機能分化が進むなかで、医療データを複数の医療機関で共有することや、医師、看護師、介護士、理学療法士など、急性期から回復期までのさまざまな段階で異なる役割を担う医療従事者が情報連携することで、患者の病態に合わせたケアの最適化による医療の質向上や重複検査・投薬の削減につながる。

予防医療:医療データを用いて、特定の病気を有する患者集団を重症化リスクに応じて分類し、リスクに応じた医療介入(重症化予防等)を行う集団健康管理と呼ばれるアプローチが注目されている。

以上のように医療データの活用は、医療の質向上と同時に無駄の削減を通じて医療費抑制に大きく貢献する。そのほかにも、製薬産業において、高騰する医薬品開発コストを低減するために医療データを活用することも重要になっている。例えば、医薬品のエビデンスデータ(安全性や費用対効果)の取得、新たな治療方法の開発(医薬品の新処方、最適用量、投薬タイミング等)、治験対象患者の特定等に医療データを活用していくことが期待されている。また、費用対効果を重視した新たな医療評価制度や保険サービスの開発への活用も期待されており、医療データを活用したサービスの提供先として政府機関や保険会社等も対象になる。

医療データを活用したビジネスのアプローチ

医療データを用いたサービスを開発・推進していく上で、統合された医療データをいかに多く保有するかが重要になる。医療機関は医療行為にリソースを集中させる必要があるため、医療データの活用にIT関連企業の果たす役割は大きい。
しかしながら、医療データは厳格な管理が必要な個人情報であるため、IT関連企業にとって個人情報の取り扱いに関する各種規制をクリアする十分なセキュリティ技術を確保し、医療データを厳重に管理している医療機関との信頼関係を構築することが不可欠である。医療データを活用したビジネスのアプローチとして注目すべき事例を以下に紹介したい。

医療機関向けの各種個別化サービスの提供

医療のIT化で先行している米国では、医療データを活用し、患者の病態や各医療機関の業態に即した個別化サービスを提供する事業者が存在している。すでに存在する医療機関へのアクセスを活用した事例としては、電子カルテベンダーの米サーナーや、医療機器メーカーの米GEや蘭フィリップスが、地域医療連携や医療従事者間の情報共有用のクラウドプラットフォーム等を提供し、患者の病態に合わせて医療従事者によるケアを最適化するソリューションを提供している。また、米クリーブランドクリニックを起源とする米エクスプロリス社(2015年にIBMが買収)は、5,000万人分の診療データと保険料データに基づき、糖尿病や喘息などの慢性疾患をリスク度に応じて複数種に分類し、医師の診断を支援するサービスを展開している。
新規参入事業者のアプローチとしては、米プラクティスフュージョン社がクラウド型の電子カルテを医療機関に無償配布し、注目を集めている。同社は、専門医への照会、外部の検査センターや支払いシステムとの接続といった周辺業務もサポートすることで利便性や効率性を高め、手数料収入を得ているほか、医療データに基づいて製薬会社等からの広告をターゲティングし、通常のオンライン広告の価格水準を大幅に上回る広告料収入を得ている。電子カルテシステムには高い機密性が求められるため、システム構築に通常1医療機関当たり数百万~数千万円を要するが、こうした収入源でシステム構築費用を賄っている。プラクティスフュージョンの電子カルテは、資金力の十分でない中・小規模の病院や開業医を中心に支持を得ており、現在月間500万人以上の利用者数を誇るまでに成長している。また、医療データを用いた製薬会社への情報提供サービスや医師への診断支援サービスをすでに展開しているほか、2017年5月に慢性疾患の治療の費用対効果に関する解析結果を国際医薬経済・アウトカム研究学会で発表するなど、二次利用による社会貢献も含め、医療データの活用先が拡大しつつある。

Personal Health Recordとの融合

今後は在宅医療の重要性が高まることから、患者宅で生成する医療データ(Personal Health Record、PHR)を医療機関で生成する医療データと統合するソリューションを提供することも有望視される。
日本のメディカルデータビジョン社は、病院の経営支援サービスを通じて確立した医療機関へのアクセスを活かし、電子カルテデータや検査データを患者自身で保有することが可能なサービス「カルテコ」を新たに展開している。このサービスは医療機関の電子カルテとリンクしており、患者がスマホアプリから医療データの一部にアクセスすることが可能になっている。これにより、患者が他の医療機関を受診した場合でも検査データの共有や、それまでの治療履歴、服薬状況の確認が可能となっている。また、患者はスマホアプリ上に日々の病状を記録することが可能であるため、医師による診断・治療の質向上につながる。十分な利用者数を確保できれば、モニタリング機器を活用した遠隔診療や疾患管理等のサービス、医薬品開発へのデータの活用等、医療データを活用した新たなビジネスの展開も可能になろう。なお、前述のプラクティスフュージョンも、2014年に遠隔診療サービスを展開する米リンガドック社を買収し、PHRを活用したサービスを強化しており、その動向が注目される。

ビジネスの注意点と狙い目

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医療データを用いたサービスには、上述のように、個人情報保護や情報セキュリティに十分に配慮しつつ、統合されたデータをいかに多く収集し、有用な知見を抽出していくかがポイントになる。各国の個人情報保護法制やデータの取り扱いに関する各種規制の十分な理解は不可欠である。
日本では、2017年4月に成立した次世代医療基盤法により、医療データを扱う事業者の認定制度が導入され、2018年5月までに施行される予定だ。本制度は、情報セキュリティ技術と匿名化技術を保有する事業者を政府が認定するもので、医療機関による認定事業者への医療データ提供の要件が緩和される。施行後は、創薬支援等、二次利用を含めて医療データの利用環境が整い、新たなビジネスチャンスが広がると見込まれる。
日本国内の市場環境に着目すると、地域医療連携を目的とした医療機関のネットワーク化が進められており、こうしたネットワークを支えるための情報連携プラットフォーム等へのIT投資が活発化し、医療データを活用したサービスへの参入機会も増加する見通しだ。他方で、診療報酬の抑制に伴い、病院経営の難易度は上がってきている。比較的大きな規模の病院では診療報酬の高い高度医療への集中や、専門領域への特化によるオペレーションの効率化で経営改善が可能であるが、中小規模の病院では必ずしもこうした戦略が取れない場合も多い。こうした病院をターゲットとして、クラウド型の業務支援ソリューションやPHRとの融合を目的としたソリューションを、導入やメンテナンスの費用を抑えて提供することで医療の効率化や質向上に貢献しつつ、医療データを活用したサービスを展開していくというアプローチも有望であろう。
また、先進国を起点として広がりつつある潮流として、病院のグループ化が挙げられる。グループ化により患者の情報を共有し、シームレスな医療連携を実現することで、医療の質向上と医療費適正化を同時に推進することができるためである(図)。モデルケースとしては、米民間医療保険大手のカイザーパーマネンテが挙げられる。同社は、米国8州において、38の病院、626の診療所を運営し、独自の電子カルテデータベースを展開し、傘下の医療機関で医療データを共有・活用している。医療の費用対効果改善や無駄の削減は保険事業のコスト削減にも寄与し、他社比較15〜20%程度低い保険料を設定することが可能になっている。こうした病院のグループ化は、今後ヘルスケア市場の拡大が期待されているアジア諸国でも進むと考えられ、特に、中間所得者層の増大に伴い、民間医療保険も含めた医療インフラの急速な発展が見込まれるタイおよびマレーシアに注目したい。グループ化に伴うITニーズをいち早く捉え、電子カルテ等の基幹システムを導入していくことは、規模感があり、かつ、統合された医療データへのアクセス確保や、在宅医療や遠隔医療など予防から予後・介護も含めた一連の流れのなかで医療データを活用したサービスを展開する切り口として、大きなビジネスチャンスにつながり得るだろう。

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