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株式会社三井物産戦略研究所

欧州の産業デジタル化をめぐる潮流-スタートアップの成長と老舗企業の変革-

2017年10月4日


三井物産戦略研究所
産業調査第二室
酒井三千代


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2000年以降にグーグルなど米国のIT大手が世界的に台頭し、それらが自動車など多彩な産業領域に進出しているほか、米国では製造業回帰の流れもあり革新的な技術と融合した製品・サービス創出を目指す動きが加速している。加えて中国企業の技術力も近年急速に向上している。欧州でも、最大の経済規模を持つドイツでは産業政策「Industrie 4.0」を打ち出したのを機とし、製造業における競争力の強化に取り組んでおり、活力の源泉ともなるデジタル分野での起業活動が活発化している。フランスでも、マクロン新大統領が、経済・産業・デジタル大臣時代から、経済的価値と雇用創出への貢献に資するとして進めてきた起業支援プロジェクト「la French Tech(フレンチテック)」の後押しで、これまでになく起業活動が活発化している。そして両国ともに、老舗企業が停滞への危機感からスタートアップの活用により変革を模索する動きが顕著となっている。本稿はこうした大陸欧州の二大経済国ドイツ、フランスの政策と企業の動きを概観し、日本企業の戦略への示唆を考察していきたい。

独仏産業構造の特徴

ドイツとフランスの産業構造に共通しているのが、世界的に見ても歴史ある老舗企業の存在が大きい点である(図表1)が、両国の産業構造は、企業総数、中小企業の割合、産業別構成比などで大きく異なる。企業総数はドイツがフランスの約25倍で、隠れたチャンピオンとも称される収益性の高い中堅・中小企業(ミッテルシュタンド)の数が多いのが特徴だ。逆にフランスは巨大企業のプレゼンスが大きく、世界の時価総額上位5,000社に入る企業数は、経済規模の大きいドイツとほぼ同水準である。またドイツは特に機械産業が強いのに対し、フランスは、消費財関連の企業の存在感が大きい(図表2)。
2000年以降に設立されたIT企業で、2016年末時点で世界の時価総額上位5,000社にランクインしているのは、ドイツではインターネット・サービスに特化したインキュベーター企業のRocket Internetと旅行予約サイトのTrivago、フランスではデジタル広告のCriteoのみと限定的である。

製造業からサービスへの拡張と、ドライバーとなるドイツのスタートアップ

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ドイツはIndustrie 4.0の打ち出しを機に、生産工場を起点としたIoT化の促進、世界標準化を目指し、産学官連携の全国的なプロジェクトを推進している。製造業の領域を主とした同政策を軸としながら、デジタル時代における産業・社会の変革に関わる多様な施策を発表しているが、2016年にはシリコンバレーをモデルとした「デジタル・ハブ・イニシアティブ」を立ち上げ、現在は12都市がモデル都市として指定されている。これに付随して起業支援も積極化しており、産学官連携のネットワークの形成を強化している。ドイツでは、R&Dは大学やフラウンホーファー研究機構、マックス・プランク協会、ヘルムホルツ協会など独立研究機関で行われているが、近年ではこれらがスタートアップを創出するケースも増えている。
最も起業が盛んなベルリンでは、家賃や人件費の安さ、英語でビジネスがしやすい環境であることなどから外国人起業家も増加している。ベルリンは、第二次世界大戦前はドイツの中心であり、戦後は東西陣営の狭間にあったという歴史的背景から、国際的で自由な風土が醸成されていることも外国人を引きつける要因となっている。ベルリンでは、ドイツの強みである製造業が発展していないため、Eコマース等サービス系のスタートアップの成長が目立つのが特徴で、年に10社以上の企業を立ち上げるインキュベーター企業Rocket Internet(2007年設立、2014年上場、2017年9月21日現在の時価総額41億ドル)をはじめ、欧州最大のEコマースZalandoやフードデリバリー・プラットフォームDelivery Heroなどユニコーン企業も相次ぎ誕生している。2015年にはベルリン本拠のスタートアップへのベンチャーキャピタルの投資額が21億ユーロと初めてロンドンを超えている(Ernst & Young「Start-up-Barometer」)。資金調達や情報収集に有利なことから、有力な中小企業から大企業まで、デジタル戦略のためベルリンにオフィスを設けるケースも増えている。
ベルリン以外では、老舗大手企業が国内外でのスタートアップとの取り組みを活発化させており、それにより製造業からコンシューマー・サービスの領域へ業容を拡大している。BMWは、2011年にNYで設立し2016年にシリコンバレーへ本拠を移転したBMW i Venturesを通じて、公共交通情報アプリを展開するイスラエル Moovitに出資し、同社が展開するカーシェアリング「DriveNow」と統合するなどしている。またBMW Startup Garageを2015年にミュンヘンで立ち上げ、BMWの事業と相乗効果のある製品やサービスを提供するスタートアップを探す取り組みを強化している。
創業131年の非上場企業ボッシュ・グループもスタートアップの活用を進め、コンシューマー領域への業容拡大を進めている。同社が2016年に開始した電動スクーターのシェアリングサービス「Coup」のプラットフォームは、2011年に設立した台湾の電動スクーター製造企業Gogoroとボストンコンサルティンググループと共同で開発したものだ。またシュトゥットガルト近郊に立ち上げた新規事業開発に特化した法人Robert Bosch Start-upの事業からは、シリコンバレーに拠点を置くスタートアップMayfield Roboticsが誕生し、家庭用ロボット「kuri」を発表している(2017年末に米国で699ドルで発売開始予定)。またボッシュはシーメンスとの家電合弁会社BSH Bosch und Siemens Hausgeräteを2015年に完全子会社化し、家電分野を強化しており、同分野は2016年のグループの売上高の2割を占めるようになっている。同社はパーソナルアシスタントロボット「My kitchen elf(Mykie)」を発表しており、これは、冷蔵庫の中身や調理方法、家電製品の稼働終了時間、天気などについて、即座に答えるとともに、ネットワーク化された全ての家電製品をコントロールするというコンセプトだ。ボッシュは車、家電、住宅をネットワーク化していくIoT分野での事業拡大を視野に、自社のエレクトロニクス製品を全てネットワーク接続に対応させるという目標を掲げており、デジタル生活家電を開発する多様なスタートアップと連携していく方針だ。さらに2017年1月にAIセンターBosch Center for Artificial Intelligenceの稼働を発表し、3億ユーロを投じていく方針を示している。自社の提供するアプリの活用も含めてAIの能力強化に必要な幅広いデータを収集する取り組みを進めている。

大企業型産業構造の変革を促すフレンチテック

フランスでは2013年末からスタートアップ支援事業「La French Tech(フレンチテック)」において、コミュニティ形成、成長支援、グローバル化支援の3つを軸に、資金援助、税制優遇、行政手続きの簡素化などが実施されている。マクロン大統領が経済・産業・デジタル大臣時代(2014~2016年)から自らイベントに登壇しPRするなど同事業を推進してきた効果も表れてきており、過去2年ほどでフレンチテックの名は、米国で毎年開催されるテクノロジーの祭典CESでも存在感を高めている。従来フランスの起業家は資金調達しやすい米国や英国に渡っていたが、各種起業支援施策の後押しにより状況が一変しており、海外から帰国するフランス人起業家も増加している。また従来は大企業や国家公務員への志向が強かった同国でも、起業を目指す若者が増加傾向にある。同国へのベンチャーキャピタルの投資額は2016年に27億ユーロと欧州では英国に次ぐ規模となった。デロイトが発表した、「欧州テクノロジー企業成長率ランキング2016(Technology Fast 500TM Europe, Middle East & Africa)」でも、国別の企業数でフランスがトップとなっている。
業界構造に変革をもたらす企業も出てきている。22カ国で事業を展開する世界最大の長距離ライドシェア企業BlaBlaCar(2006年設立)のサービス利用者数増加の影響で、フランス国鉄SNCFも従来型のサービス提供を見直し、格安高速鉄道や格安バスなどを打ち出している。それに対しBlaBlaCarは、2017年5月に需要の高い路線を定期便にする「BlaBlaCar Lines」を発表しており、地域の路線バスのようなサービスを提供しようとしている。また、2009年設立のIoTネットワークSigfoxは、多くのデバイスやセンサーをネットで安価につなげることを可能とする、LPWA(省電力広域)通信サービスの世界的な主要企業として、現在は26カ国以上で展開している。同社の技術は世界標準の有力な候補ともなっている。
こうしたなかで、多くの大企業がデジタル化への対応やスタートアップと協力するプログラムの策定をし始めているが、LVMHやロレアルなど、デジタルテクノロジーから距離感のあった歴史ある消費財・サービス系老舗企業も、スタートアップを活用したイノベーション促進に可能性を見いだしている。これらの企業の業容から、Luxury Tech、Beauty Techなどいう言葉も使われるようになっている。消費財の雄であるLVMHは、ネットとの融合を追求し始めており、元アップルの音楽事業部門の幹部をチーフ・デジタル・オフィサーに据え、2017年6月には70カ国でアクセスと商品受け取りが可能なEコマースサイト「24 Sèvres」を開設している(LVMH傘下のパリの老舗百貨店Le Bon Marchéと連動し運営されるため、同店舗の住所を示すサイト名となった)。これは、傘下のブランドも含めた150の女性向けラグジュアリーブランドを販売するもので、スタイリストがスマートフォンのアプリを介したテレビ電話で顧客の相談を受け付けるビデオコンサルテーション機能や、フェイスブックのメッセージアプリ上で自動で顧客の好みに応じた商品をリコメンドするスタイルボット機能などを備えている。加えて、傘下の化粧品専門店セフォラは、個別に美容アドバイスを行うプラットフォームを提供する企業など、多数のスタートアップと提携し、商品開発やサービスにつなげている。またLVMHは、2017年2月に「LVMH Innovatoin Awards」を創設し、多くのスタートアップが応募した結果、リテール・サービス企業向けにAIを活用してトレンドを分析するスタートアップが受賞している。
ロレアルも、さまざまなスタートアップとの連携を進めているが、バイオ分野の高度な技術を有する企業とも共同研究・開発を進めており、生体組織を作り出すレーザアシストバイオプリンティング技術を有する仏Poietisとは毛髪のバイオプリンティングの開発に取り組んでいる。Poietisは、BASFとも機能性スキンケア化粧品分野での研究開発契約を締結している。

進化への期待と日本企業への示唆

ドイツでは、ベルリンにおいてEコマースなどのリテール・サービス分野で新興企業の台頭が著しいが、有力な製造業の老舗企業も世界のイノベーションに目を向け、スタートアップを取り込みながら、欧州および世界をリードし続ける企業へと進化していこうとしている。またフランスでは、デザインに優位性を持つ消費財・サービス分野などで、老舗大企業がスタートアップを取り込んで進化することが期待されている。
スタートアップの側も、地域に根を張った未公開の同族企業が多いドイツでは、外国企業に買収されるのは好ましくないと考える風土がある。フランスでも、企業を大きく育てるよりもアイデアを大企業に買ってもらうのを好む起業家が多いとされている。いずれの国のスタートアップも老舗企業との連携で、必ずしも上場を目指さない手法を取ることが主流となっていく可能性もある。
こうしたことは、米国や中国のように、新興企業が斬新なビジネスモデルで世界的な巨大企業に成長していくスタイルとは一線を画する、大陸欧州の産業のエコシステムと位置付けられる。ドイツ、フランスと同様に老舗企業の存在感が大きく、スタートアップの成長が限定的な日本の産業の将来像を展望する上で、またそのなかで企業が今後の成長を考える上でも、ドイツ、フランスの産業・企業の動きは示唆に富むものと考えられる。

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