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株式会社三井物産戦略研究所

米国の対露制裁強化法について

2017年9月7日


三井物産戦略研究所
欧露・中東・アフリカ室
北出大介


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対露制裁強化法の内容

2017年8月2日、米国では、ロシアと北朝鮮、イランを対象にした「制裁を通じ米国の敵対国に対抗する法」(以下、対露制裁強化法)が成立した。これまでの米国の対露制裁は、大統領の一存で緩和・解除が可能であったが、本法成立により、緩和・解除に議会の承認が必要となる上に、制裁対象、制裁措置も拡大、強化された。
注目されるのは、ロシアの金融、エネルギーおよび防衛を標的とする従来のセクター制裁の強化だけでなく、財務長官が必要と認めれば、鉄道、金属、採掘業の国営企業にまで拡大させることが可能になった部分だ。鉄道、金属、採掘業は、金融、エネルギー、防衛産業と同様にロシア政府が国営企業を通じ大きなシェアを有しているセクターであり、制裁の「拡大・強化」を象徴している。
エネルギー分野では、これまでの制裁が厳格化され、米国人・米国企業のみならず、外国人・外国企業にも制裁の順守を義務付ける域外適用の可能性もある措置が規定された点が新しい。また、エネルギー企業の資金調達制限に関するセクター制裁では、債務取引の期間を90日から60日に短縮した。これまではロシア領内に限定されていた深海・北極圏オフショアの原油・シェールオイルの開発への技術・サービス提供の禁止に関するセクター制裁も、制裁対象となるロシア企業が33%以上のシェアを保有するものはロシア国外のプロジェクトも対象とされる。また、これまで任意とされていた「ロシアの特別原油プロジェクト」(表の⑦)への投資に対する制裁が義務化され、外国人・外国企業にも域外適用される。

対露制裁強化法成立の経済的影響

対露制裁強化法が成立した背景としては、大統領選挙期間中からプーチン大統領に好意的な発言を繰り返してきたトランプ大統領が、しかるべき理由もなく対露制裁を解除しかねないとの不信感を募らせた米国議会が制裁を含む対露政策の主導権を握ろうとしたことが指摘される。米国のダニエル・フリード前制裁担当大使も「トランプ大統領がロシアを称賛することについて疑念があったため、議会は対露制裁を強化し、法制化しようとした」と語っている。さらに、制裁強化の要因として、米国大統領選挙に介入したロシアに対する反発も指摘できる。
対露制裁強化法の内容で、企業や投資家が最も懸念すべきなのは、トランプ政権が制裁措置を実際にどう運用するかが不透明な点だろう。ロシアのエネルギー輸出パイプライン建設への投資に対する制裁措置ひとつを取っても、大統領が必要と認めた場合に発動され得る任意のものであり、かつ「同盟国との調整の上」との文言が付されていることから、実際に域外適用されるハードルは高いと考えられる。一方で、法律条文には同盟国との調整メカニズムについての記述はない。加えて、制裁を理由に米国企業が投資を見送ったプロジェクトに外国企業が新たに参加する場合には域外適用され得るのではないかとの懸念の声も聞こえる。こうした予見可能性の低さを企業や投資家が嫌気するケースが増えても不思議はないだろう。
制裁の長期化も投資家にとっては懸念事項だ。一度法制化された米国の制裁は、対イランやキューバ制裁と同様に長期化する傾向にある。1974年に自国民の海外移住の自由を認めていなかったソ連に対し米国が導入した「ジャクソン・ヴァニック修正条項法」が、ソ連が崩壊し、ユダヤ系国民が自由に移住できるようになった後も2012年まで撤廃されなかったことも想起される。メドヴェージェフ露首相も対露制裁強化法について「制裁が法制化されたことで、何らかの奇跡が起きない限り、数十年にわたって維持されることとなろう」と制裁の長期化を警戒しており、対露制裁強化法は今後何年にもわたって米露関係の下押し要因となることが予想されよう。
上記を踏まえれば、たとえ制裁強化がロシアの景気の急激な悪化にはつながらなくとも、短期的には、投資家心理の悪化を通じ、ロシアからの資本逃避の増加や投資判断の延期が懸念される。中・長期的には、原油生産量の減少や直接投資の減少という形で制裁の影響がじわりと出てくることが予想される。

対露制裁強化法成立の外交面での影響

外交面での影響も必至だ。今回は国内事情が優先された議会主導の制裁強化だったため、これまで米国が対露制裁で協調してきた欧州との調整は不足していたように見受けられる。
特に米国・欧州間の不協和音の原因となったのが、表の⑧のロシアの原油・天然ガス輸出を目的とするパイプラインへの投資を標的とする制裁措置だ。これまで米国と欧州の双方は、欧州のロシア産天然ガス依存度が高いことから、ロシアの天然ガスセクターを制裁対象にしないことで歩調を合わせていたが、今回の制裁強化でパイプライン投資も標的となる可能性が出てきた。こうした措置に、EUに向けて天然ガスを輸出する米国企業を後押しする狙いがにじんでいたことも、欧州側の態度を硬化させた要因になっている。新規天然ガスパイプライン「ノルドストリームⅡ」の建設を計画する欧州では、同パイプラインが制裁対象となりかねないとしてドイツ、オーストリア、フランスが強く反対した。最終的には法律の条文修正で、制裁措置には「同盟国と調整の上」との文言が追加されたことで、決定的な対立は避けられたもようだが、米欧間の足並みが乱れれば、ロシアにとっては、さらなる切り崩しを図る上での好機となり得るだろう。
ただし、ロシアが米国に突きつけられる対抗措置は限定的だ。もともと、ロシアと米国の貿易・投資上のつながりは欧州と比べても弱く、またロシアは米国のような国際金融システムを有していない。これまでの制裁に対する対抗措置も欧米産農産物の禁輸措置にとどまっていた。ロシアは今回の制裁強化を受け、駐ロシアの米国外交使節団職員をロシアの駐米職員と同じになる455名まで削減させ、在ロシア米国大使館による倉庫や別荘の利用を停止する対抗措置を発表しただけで、経済的な措置には言及していない。そもそもこの措置も、ロシアによるサイバー攻撃への報復として2016年末にオバマ大統領がロシア人外交官35名を国外退去処分にした(表の⑥)際に策定され、発動が見送られた経緯がある。「取引」を通じて対露関係を改善すると公言していたトランプ次期大統領への期待が大きかったためだ。しかし、一度は見送った対抗策を改めて持ち出してきたことは、関係改善に向けたロシア側の期待が急速にしぼんでいることを示している。

今後の展望

対露制裁強化法が規定する制裁措置のうち、最も早いタイミングで導入されるのは、ロシアの特別原油プロジェクトへの投資に関連して外国人・外国企業を対象とするものだ。制裁の長期化が見込まれるなかで、今後、財務省等が発表する制裁の指定分野や対象者リストは、実際の制裁の運用や欧州との調整ぶりを見極めるためだけでなく、米露関係の展望を占う意味でも大いに注目される。
署名声明から判断する限り、トランプ大統領は、対露制裁強化法は「米国の実業界や同盟国に意図せざる結果」を招きかねないと考えており、対露制裁の厳格な運用には消極的な様子もうかがえる。しかし、米国議会には、ロシアに対し厳しい姿勢で臨むという党派を超えた圧倒的なコンセンサスが存在している。仮に議会が大統領と行政府による本法の運用を弱腰と判断すれば、修正法を通じ対露制裁のさらなる強化を図ることもあり得る。ロシアゲート疑惑の捜査結果次第では、米国内の対露感情が悪化し、制裁強化の気運が高まることも考えられ、米国の内政状況にも気を配る必要がある。制裁が再び強化される場合は、報復の応酬合戦となることも予想され、米露関係は、さらなる対立の激化の危険性をはらみながら低空飛行を続けていくこととなろう。

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