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株式会社三井物産戦略研究所

社会面から見たサウジアラビアの激変-通説の再考から浮かび上がる新たな姿-

2016年11月8日


三井物産戦略研究所
中東・アフリカ室
星野尚広


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ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子(以下、副皇太子)の訪日や、それに続く世耕経済産業大臣のリヤド訪問等を受け、サウジビジネスに対する日本側の機運はこのところ高まりつつある。ただその一方で、副皇太子が主導する脱石油に向けた改革には、欧米を中心に懐疑論も多く、実情把握に苦慮する企業は少なくないだろう。確かに、同国を取り巻く外部環境は厳しさを増しており、改革には大きな困難が伴う。だが、ほとんどの論評は「サウジ社会は不変」という従来の前提から議論を展開しており、足元で起こる内部環境の変化には目を向けていない。これまでの予定調和的政治下であれば、その必要性は高くなかったが、国家歳入の激減や人口動態の変化、そしてそれらに合理的に対応しようとする若きリーダー(副皇太子)の登場で状況は一変している。換言すると、外部環境分析だけではサウジの実像に近づくことが難しい局面に入ってきているということだ。
このような問題意識から、本稿では、サウジを分析する際に見落とされがちな社会の変化を浮き彫りにし、それが何を示唆するのか、現地での調査も踏まえ考察したい。

欧米メディアの仮説

まず、足元で起こる改革に対して、欧米メディアがどのような論評を展開しているか、一部ではあるが確認したい。

  • 「4月に発表された長期構想「ビジョン2030」はリスクだらけ。とりわけ、サウジ王族と国民の『社会契約』―原油収入をもとにした手厚い福祉を享受する代わりに体制に従う―を断ち切る恐れがある。」(2016年6月24日、ニューズウィーク)
  • 「公共財政を正常な形に整えるには、痛みを伴うさらなる補助金削減、新税の導入、公的部門の閑職の根絶がなければならない。これはつまり、体制が忠誠と引き換えに職と手厚い福利を与えてきた『社会契約』の根本的な変更を表す。」(2016年4月26日、フィナンシャルタイムズ)
  • 「痛みの伴う経済改革と(通貨切り下げによる物価高騰が)組み合わされれば、国王への服従と忠誠を誓う代わりに豊かな政府サービスを受け、原油収入の分け前にあずかれるという暗黙の『社会契約』で成り立っているサウジに政情不安をもたらす恐れがある。」(2016年2月5日、ロイター)

ここで重要なのは、いずれも、体制と国民の関係を「社会契約」というキーワードを用いて説明している点だ。イスラム圏に西側の概念である「社会契約」を当てはめること自体には異論もあろうが、「統治する側とされる側の関係性」という意味では、この仮説は一定の説得力を持ち、サウジ社会の特徴を端的に説明している。
しかし、補助金だけでなく、公務員の手当・賞与が大幅に削減された今も、政情不安化する兆しは見えない。むしろ、現体制(特に副皇太子)に対する国民の支持は全体としては高まっているようだ。
もちろん、税制導入や労働市場改革など、痛みを伴う改革はいまだ途上なため、欧米メディアの仮説が見当違いだと判断するのは時期尚早だ。しかし、その仮説と現状の乖離にこそ、今日におけるサウジの実像に迫る重要なヒントが隠されているように思う。

 

これまでの統治

サウジは建国以来、「王制(サウード家)」と「宗教(ワッハーブ派1)」の2つを統治の柱としてきた。
国王は制度上、君主として強い政治的権限を有しているが、実態としては、王族有力者たちのコンセンサスを重視して国家の政策が決定されている2。つまり、各部族と結びついた王族には利権を配分する見返りに、体制を支えてもらうという関係が成り立っている(図表1)。
ワッハーブ派は国家建国過程において大きな役割を果たした。一豪族にすぎなかったサウード家は、ワッハーブ派と協力することで、正当性を高め、支配地域を広げた。そのため、ワッハーブ派が宗教・教育機関などで優遇され、今日においても政治的・社会的に強い影響力を持っている3。つまり、宗教的権威と正当性の交換という関係が成り立っている。
他方で、これら2つのグループに属さない国民(一般市民)は統治の柱ではなく、欧米メディアが論じるように、手厚い福祉を享受する代わりに忠誠を誓うという関係がこれまでは成り立ってきた。

副皇太子と国民の新たな関係

ところが、こうした従来の関係性は、副皇太子によって今まさに書き換えられつつある。「ビジョン2030」の中で幾度も言及していることからも、副皇太子は同世代である若年層の存在に着目していることが分かる。サウジの総人口は外国人を含めると約3,100万人だが、自国民は約2,100万人で、マジョリティ(約60%)は29歳以下だ。対象を39歳以下まで広げると、自国民人口の実に約75%を占める(図表2)。
彼らはスマートフォンを使いこなし、「サイバー空間」であらゆる情報に触れ、また、さまざまな人々とつながっている。現地の若者に事情を聴いたところ、「SNS上では普通に異性とやり取りしている。凝り固まった発想しかできない宗教界にはうんざりしている」と、未婚の男女は接触してはならないという伝統的な考え方を痛烈に批判していた。おそらくこれは例外ではなく、むしろ大多数の若者は上の世代よりもかなり自由な思考を持っていると考えられる。
2016年4月、副皇太子はこうした若者の心をつかむ画期的な政策を導入した。「ハイア」と呼ばれる宗教警察の逮捕権限を剥奪し、イスラム法に基づく取り締まりを「優しく、親切に」行うよう命じたのだ。これにより、宗教警察による取り調べが激減したという。
つまり、副皇太子は細る福祉に代わって、国民にある程度の自由を与え始めているのだ(図表3)。もちろん、「極めて限定的な自由」ではあるが、副皇太子の人気には、こうした実態を伴う裏付けがあり、我々外国人が想定するよりも強固な基盤が国民との間で築かれている。これこそが、サウジ社会における新たな動きであり、欧米メディアが触れていない変化だといえる。

 

変化に伴うリスク

ただし、当然のことながら、社会の変革にはリスクが伴う。大きな一歩を踏み出した副皇太子は今後、それぞれのアクターとの間で以下の課題に直面するだろう。
①増大化・多様化する若者の要求:若者との新たな関係性構築で、シーア派住民が多い東部州を除き、反対運動が本格化するリスクは短期的には低下したが、若者の要求は時間とともに変化するだけでなく、増大する可能性が高い。約7割の自国民を公的部門で雇用し続けることが難しくなるなか、若者が誇れる仕事を民間部門で創出できるか、また、女性の社会進出を進められるか、これらが重要な焦点となろう。
②王族内の不満:副皇太子による方針転換で、王族有力者による合議制は崩れ去った。父サルマン国王から国政の舵取りを任される副皇太子とムハンマド・ビン・ナイーフ皇太子との権力闘争は既に決着がついたといわれるが、国王に健康問題等が生じ、皇太子が国王に就任した場合、王族内の不満分子が反旗を翻す可能性は否定できない。
③宗教界からの反発:サウード家はワッハーブ派の上に成り立ってきたが、前述のような自由化政策は宗教界の権威とトレードオフの関係にあるため、宗教界との間である程度の対立は避けられないだろう。

今後のポイント

副皇太子主導の体制で最も重視されるのは、明日を担う若者であることは明白だ。副皇太子が国王に就任した場合、半世紀にわたって国を率いる可能性があるだけに、こうした選択はある意味当然といえる。とはいえ、メッカ、メディナの二大聖地を擁するサウジが声高に世俗化を掲げるわけにもいかない。宗教界との亀裂が決定的なものになれば、国家の統治に支障が出るだけでなく、国内外のイスラム過激派を刺激し、地域全体の問題に発展する恐れがあるからだ。そのため、体制側は本音と建て前を使い分けながら、王族・部族、ワッハーブ派、若者の3者のバランスを取ることになろう。
従って、外資にとってのポイントは、この本音と建て前をいかに判別するかになる。そこでキーワードとなるのが「de facto(事実上の)」だろう。制度や体制は変わらないが、国民の声に耳を傾けるという「de facto脱専制化」はわずかながら進みつつある。このわずかな変化はサウジにとっては劇的だ。サウジビジネスに関心を持つ企業は、固定化された形式ではなく、「de facto」の方に目を向け、サウジに対する見方を再構成すべきだろう。


  1. イスラム教徒は初期イスラム時代を規範として見習い従うべきであるとする原理主義的で厳格な教えを持つ宗派。
  2. 福田安志「湾岸、アラビア諸国における社会変容と国家・政治」p.103
  3. 同上p.114

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