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株式会社三井物産戦略研究所

緊迫するウクライナ情勢

2014年4月11日


三井物産戦略研究所
ロシア・CIS・東欧ビジネス推進センター
北出大介


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反政府デモとヤヌコーヴィチ大統領政権の崩壊

ウクライナでは、大規模な反政府デモの結果、2月末にヤヌコーヴィチ大統領政権が崩壊した。この反政府デモのきっかけとなったのは、ウクライナ・EU連合協定の署名プロセス停止に関するウクライナ政府決定であった。そのため、EU加盟を求める親欧米派の国民が反政府デモにより親ロシア派大統領を退陣に追い込んだものと一般的に理解されている。連合協定は、共通の価値観に基づき、ウクライナが政治制度を欧州基準に収斂させる政治連合と、相互の関税撤廃やEUの検疫基準導入等を定めた包括度の高いFTA創設による経済統合を主軸としており、ウクライナのEU加盟は規定していない。また、ヤヌコーヴィチ前大統領は、親ロシア色の強いウクライナ東部の出身であるが、ロシアが推進する「関税同盟・統一経済圏」への加盟はかたくなに拒んでおり、完全な親ロシア派ではなかった。しかし、ロシアとの協調から相互に利益を引き出そうとする立場を取ってきていた。2010年の「ハリコフ合意」では、ウクライナがロシアから輸入する天然ガス価格の割引とロシア黒海艦隊のクリミア駐留延長が交換条件とされ、また、ウクライナがEUとの連合協定署名を断念した後の2013年12月17日の合意でもガス価格の割引と財政支援がウクライナに付与されている(図表1)。これに対し、反政府デモで誕生した新政権は、明らかに親欧米である。2004年の「オレンジ革命」でも大規模な抗議活動による親欧米政権の樹立を経験したロシアにとって、新政権は受け入れられない存在である。
連合協定署名停止が発表された直後から、キエフ(現キーウ)の独立広場にはこれに抗議する大学生を中心とした数千人の市民が集まり、2013年11月30日深夜、機動隊がデモ隊を強制排除したことから、多数の負傷者が発生した。警察の若者に対する暴力は国の将来に対する暴力であるとの意識がキエフ(現キーウ)市民の間に芽生え、翌日にはデモ隊は数万人規模まで拡大した。市民の要求は、連合協定の署名から大統領・政府退陣に変わり、政権に対する不満が爆発したのである。その後も、強制排除や「デモ規制法」成立もあったが、そのたびにデモは過激化しながらウクライナ西・中部にも拡大していった。犠牲者の拡大を受けて、EUがポーランド、独、仏外相を、また、ロシアが全権代表を仲介役としてキエフ(現キーウ)に派遣し、ヤヌコーヴィチ大統領と野党3党首の合意による事態解決が図られることとなった。2014年2月21日、ロシアを除くEU3カ国が保証人となり合意文書が署名され、国会に当たる最高会議はその履行のため、大統領権限を限定した2004年憲法復活の法案を成立させるも、大統領が国外に逃亡し、政権が崩壊した。
ウクライナ憲法は、大統領の職務放棄と逃亡は想定しておらず、国家機関のうち唯一機能していた最高会議が大統領の解任とトゥルチノフ最高会議議長の大統領代行任命、5月25日の大統領選挙実施を決定した。他方、ロシアは、憲法が規定する大統領解任手続きが遵守されていないことを理由に、政権転覆で誕生した現ウクライナ政権は正統性を欠いていると主張している。

クリミア情勢の推移と背景

政権崩壊前後からウクライナ西部の民族主義者や過激派がクリミアにも移動してくるとのロシアの報道が見られたが、2月23日、ロシア黒海艦隊が駐留するセヴァストーポリ市では、ウクライナ新政権に異を唱える親ロシア派による抗議活動が発生し、市民が新市長を選出、27日未明には所属不明の武装勢力によりクリミア自治共和国最高会議および政府庁舎が占拠され、アクショーノフ「ロシアの統一」党党首が新首相となり、クリミア自治共和国の権限拡大に関する住民投票の実施も決定された。プーチン大統領はこの武装勢力を地元の自警団としているが、装備品等からロシア軍兵士であることは明らかである。ウクライナや欧米の抗議と制裁にもかかわらず、3月16日にはクリミアで住民投票が実施され、翌17日にはクリミア議会が独立を宣言、18日には「クリミア共和国」とセヴァストーポリ市がロシアに編入された。ロシアによるクリミア編入で特に興味深い点は、そのレトリックである。キエフ(現キーウ)の反政府デモで結成された自警団に呼応させる形で、ロシア軍兵士も自警団とされている。さらに、アクショーノフ・クリミア「首相」の選出も、キエフ(現キーウ)の政権崩壊と同様に、クリミアの住民の意思によるものとされ、クリミアの独立もコソボの独立と同じであるとの主張で、過去の例に対応させている。
ロシアがクリミア編入に至った動機として、明らかに親欧米色の強い政権が誕生したことに加え、クリミアの戦略的重要性および歴史的経緯の2点が指摘される。クリミアの戦略的重要性については、黒海艦隊が駐留していることからも明らかではあるが、その駐留期限は2042年であった。また、周辺の未承認国家であるモルドバの沿ドニエストル、グルジアのアブハジアおよび南オセチアにはロシア軍が既に駐留しており、マルチューク元ウクライナ首相は、ロシアはNATOに対応することを目的に黒海周辺に安全保障ベルトを構築することを目指していると指摘している。クリミア編入により、ロシアは黒海艦隊の常駐を確保し、この安全保障ベルトを強化することが可能となった。
クリミア半島は、1954年にフルシチョフ・ソ連共産党書記長の決定でロシアからウクライナに編入されたが、ソ連邦内での移譲であったことから、当時は問題にされなかった。しかし、ロシア人にとってクリミアは現在もロシアの一部であり、「イレデンタ」(未回収地域)との意識が強い。プーチン大統領が毎年開催する国際会議ヴァルダイ・クラブが2013年発表した資料によれば、クリミアをロシア領と考えるロシア人は、ロシア連邦の一部であるダゲスタンやチェチェンよりも高い点が注目される(図表3)。
なお、クリミアの民族構成で最も多いのは約59%を占めるロシア人であるが、約12%のクリミア・タタール人の動向も注目される。クリミア・タタール人は、13~18世紀にロシア南部からクリミア半島にかけての地域を支配したクリミア・ハン国の末裔であり、クリミア半島の先住民である。第2次世界大戦中の1944年には、敵国ドイツに協力したとの嫌疑で、約19万人のクリミア・タタール人が中央アジア等に強制移住させられ、クリミアへの帰還が許可されたのは、ペレストロイカ期の1989年になってからである。この歴史的経緯からクリミア・タタール人はロシアに対する警戒感が強い。現在、クリミア・タタール人は、非公式の議会クルルタイおよび執行機関メジリスを有し、ジェミレフ前メジリス議長を頂点とするピラミッド型の組織展開がなされていることから、統制のとれた行動を取る傾向が強い。クルルタイは、ロシアによるクリミア編入を認めず、民族自治区の創設を要求していくことを決定しており、今後、ロシア当局はクリミア・タタール人の取り込みを進めて行くこととなろう。

今後の展望

情勢は今後どのように推移するのであろうか。欧米は、一部のロシア政府とクリミア関係者に対し査証制限と資産凍結の制裁を発動しているが、ロシア国家院(下院)は、議員全員を欧米の制裁対象者リストに加えるよう要求する声明を採択するなど、限定的な制裁がロシア国内の結束を強める逆効果を生んでいる感すらある。ただし、経済のグローバル化が進む現在、貿易制限、金融制裁は発動する側にも跳ね返ることから、ロシアがウクライナの東部・南部に軍事侵攻するなどの場合を除き、さらなる厳しい制裁の発動はなかろう。
今後の展望を考える上で、ロシア外務省が3月17日に発表したウクライナの連邦化に関する行動計画(図表4)は参考になる。
ロシアは、隣国モルドバの沿ドニエストル紛争解決に関する協議で、沿ドニエストルに強い自治権限を持たせながら、モルドバを連邦制へ移行させる「コザク・メモランダム」を提案している。このメモランダムによれば、沿ドニエストルは連邦から離脱し、別の国家に編入される権利を有するとされており、ロシアは地方の離脱ありきでのウクライナの連邦制導入を想定している可能性が高い。ロシアの関心がクリミアにとどまらないことは、この提案からも明らかであり、ウクライナの東部・南部の情勢如何ではロシア軍がロシア系住民の保護を理由に派遣される可能性も否定されない。また、ロシアは、クリミア編入を機に、前述の「ハリコフ合意」の破棄を決め、これまでに黒海艦隊の駐留延長の代わりに付与したガス価格割引の総額110億ドルを返済するよう求める姿勢を示している。今後ロシアは天然ガス価格をウクライナの新政権に対する圧力として利用していくこととなろう。クリミアがロシアに編入されたことで事態の長期化は避けられず、当面はクリミア情勢に加え、ウクライナの東部・南部の動向が注目されよう。
(4月4日記)

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