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株式会社三井物産戦略研究所

がん治療の新しい動きとヘルス・テクノロジー・アセスメント

2014年2月14日


三井物産戦略研究所
マテリアル&ライフイノベーション室
加藤貴子


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世界保健機構(WHO)の2012年調査によると、全世界で年間820万人ががんで亡くなり(図表)、2030年には約1.6倍の1,310万人に達すると予想されている。また、国際がん対策協会(Union for International Cancer Control)のレポートによると、がんに付随する医療費は、2010年に1,540億ドルに達しており、限りある医療資源をどう配分するかも喫緊の課題である。高齢化やライフスタイルの変化に伴い全世界でがん患者数は増加傾向にあり、がんの早期診断や治療に対する社会的ニーズは極めて高い。一方、日本においてがんは死因の第一位であり、(独)国立がん研究センターの最新がん統計によると、日本人が生涯にわたりがんに罹患する確率を男性58%、女性43%、がんで死亡する確率を男性26%、女性16%と推計している。
がん治療では外科療法・薬物療法・放射線療法が三大療法として確立しており、患者一人一人の病状に即して、三大療法を組み合わせた治療が提供されている。本稿では、がん治療を取り巻く環境の変化、特に、先進医療として注目を浴びている免疫療法や個別化医療、そしてこれら先進医療の費用対効果等を評価するヘルス・テクノロジー・アセスメントに関して述べたい。

がんの第四の治療法として期待される免疫療法

国内外のがん関連学会で特別セッションが組まれるなど、がんの第四の治療法として免疫療法が大きな期待を集めている。免疫療法とは、免疫システムの細胞や分子レベルのメカニズムに注目し、がんに対する免疫力や抵抗力を高める治療法を指す。
免疫療法として日本では1945年に開発された丸山ワクチンがよく知られている。丸山ワクチンのがんに対する治療効果は実証されていないが、副作用が少なく、一部患者の全身状態が改善した例があることから、現在でも患者個人の費用負担の下で臨床試験が継続されている(注:丸山ワクチンと同成分の「アンサー皮下注20μg」(ゼリア新薬工業)は放射線療法による白血球減少症の治療薬として承認されている)。そのほかにも、日本の民間医療機関で自由診療として行われている免疫療法は多数存在する。しかしそれらはいずれも三大療法で治療効果が見込めなかった患者を対象とすることもあり、臨床研究を行っているケースもあるもののいまだ有効性を証明するエビデンスに乏しく、治療法として公式に認定されたものはない。
一方、米国ではFDA(食品医薬品局)が2009年9月に免疫療法のガイドライン案を公表し、翌2010年4月に転移性去勢抵抗性前立腺がん治療薬「PROVENGE」 (米デンドリオン社)、2011年5月に転移性悪性黒色腫治療薬「YERVOY」(米ブリストル・マイヤーズ スクイブ社)を相次いで承認しており、免疫療法を科学的に裏打ちされた治療法として認めている。PROVENGE は、がん治療用ワクチンの一種で、患者から採取した血液中の細胞をがんに対して免疫力が増強するようバイオ処理を行った後に、体内へ戻す治療法である。PROVENGEは、ホルモン療法が効かないなど一部の前立腺がん患者への適応であるが、FDAが初めて承認したがん治療用ワクチンとして大きな注目を浴びている。一方、YERVOYは、抗体療法の一種で、ヒトが本来持っている免疫システムからがん細胞が逃れて増殖する仕組みを薬で阻害する治療法である。これらの免疫療法に共通するのは、それまで主流であったがん患部を直接攻撃する抗がん剤治療と異なり、ヒトの体全体を司る免疫システムを巧みに制御することで、がん細胞の増殖や転移をより長い時間抑制する点である。
がん細胞は多様性に富み常にその性質が変化するといわれており、その多様性に呼応するべく、免疫療法と三大療法の組み合わせや、複数の免疫療法を組み合わせた治療法の研究が活発に行われている。2011年にYERVOYが承認されて以降、新たな免疫療法が市場へ出ていないことも開発の困難さを物語っているが、米国がん研究所(Cancer Research Institute)はがん治療用ワクチン、抗体療法、細胞免疫療法といったさまざまな免疫療法製品32種類が開発後期の段階にあると報告している。

個別化医療-遺伝子診断の普及-

三大療法や免疫療法など数多くのがん治療法が提供される一方、患者により治療効果に大きな差があることが示唆され、患者それぞれに合ったパーソナルな医療、つまり、個別化医療が求められている。個別化医療とは、「個々の患者の遺伝的な背景、身体の生理的状態や病気の状態を考慮しながら患者に最適な治療法を提供する医療」と定義される。現在、がん治療において血液検査や画像検査は日常的に行われているが、近年、究極の個人情報でもある遺伝子情報を調べる遺伝子診断が加わったことで、個別化医療が一層進展したといえる。
例えば、2012年に日本で発売された非小細胞肺がん治療薬「ザーコリ」(米ファイザー社)は、ALK融合遺伝子と呼ばれる遺伝子を持つ肺がんに対してのみ効果が期待できる分子標的薬である。非小細胞肺がん患者のうち、このALK融合遺伝子を保有する患者比率は約4%で残る96%には効果が期待できない。よって、ザーコリの投与に際しては、ALK融合遺伝子の有無を確認する診断が必須となる。現在開発中の抗がん剤の約半数で遺伝子診断薬が同時に開発されており、今後、がん治療のさまざまな場面で、遺伝子診断が行われることになると考えられる。

ヘルス・テクノロジー・アセスメント

医療サービスは、必要不可欠な社会インフラで、全世界で年間650兆円が消費される。右肩上がりの医療費は、民間事業者の視点からも医療ヘルスケア分野が成長産業として注目を浴びる外的要因の一つであり、特に、患者数も多く約6兆円ともいわれているがん治療薬市場において、国内外の製薬企業が意欲的な研究開発を行っている理由でもある。一方、医療費急騰が各国の財政運営への影響度合いを強めており、医療資源の効率的な配分が世界共通の政策課題として議論されている。
前述の免疫療法などの新しい治療法について、治療効果や安全性に加えて、費用対効果、既存治療技術との優劣比較、社会的影響、倫理的意義等を総合的・学際的に評価する、ヘルス・テクノロジー・アセスメント(Health Technology Assessment、以下HTA)の運用ががん治療薬市場に大きな影響を与えている。現在、HTAを実施する関連機関は、欧州を中心に世界29カ国に設置されており1、新たな治療法を医療費の公的負担とするか否かの判断に活用する動きが広がっている。英国では国立医療技術評価機構(NICE)がHTA実施機関として、新規抗がん剤の費用対効果等を厳しく評価している。英国政府は、NICEの評価結果を参考に2008年から2012年の間に承認された59製品中、4割以上の25品目を公的負担対象外と決めている(日本製薬工業協会調べ)。前段で述べた肺がん治療薬ザーコリの例では、1カ月の薬剤費が米国9,600ドル、日本では約70万円、英国は4,689ポンドで、米国および日本では公的負担対象であるが、英国では対象外となり患者の自己負担となる。
PROVENGEについては、米国での治療費は9万3,000ドルと高額であるにもかかわらず、高齢者対象の公的医療保険メディケアでは給付対象としている。欧州では2013年9月に販売承認を受けたばかりで、今後、欧州各国の対応が注目される。このように世界的に新しい治療法や医薬品に対する公的負担の判断基準は厳しくなる傾向にあるため、製薬企業は、HTAを意識した新規製品開発が求められるであろう。

今後のがん治療

がん治療を取り巻く新たな動きに共通する要素は、「複合的治療」および「データサイエンス」であると考えられる。三大療法に加えて免疫療法などの新たな選択肢が増え、治療法を組み合わせる複合的治療が増加し、同時に、総合的な判断のできる医師が求められるであろう。また、遺伝子情報やHTAを評価するための定性・定量的なデータの蓄積・分析などのデータサイエンスが重要となるであろう。


  1. 鎌江伊佐夫ほか『医療技術の経済評価と公共政策』(株式会社じほう、2013年)

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