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株式会社三井物産戦略研究所

米ミサイル防衛システム「THAAD」をめぐる米中対立と韓国の苦悩

2015年6月4日


三井物産戦略研究所
アジア・中国・大洋州室
岸田英明


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1,000キロメートル先の弾道ミサイルの動きを補足し、着弾体勢に入ったところ(終末段階)で迎撃する──米国が開発したTHAAD(サード=終末高高度防衛)ミサイルシステムの韓国への導入をめぐり、推進する米国と反対する中国の綱引きが激しさを増している。中国が引く綱にはロシアと北朝鮮も手を添えている。THAADをめぐる米中の対立は、両大国の長期的なアジア太平洋戦略の対立を背景にしており、この問題に対する韓国の判断は、この地域の国際情勢に大きな影響を及ぼし得るファクターとなる。

THAADとは何か

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THAADは米陸軍とロッキード・マーティン社が開発した弾道ミサイル迎撃システムであり、ミサイル軌道の各段階に対応する米国の多層的なMD(ミサイル防衛)体制の一層を成す。迎撃高度40〜150キロメートル以上のミサイルと可搬式の発射台(1台につき8発のミサイルを搭載、通常1部隊に6台以上が配備される)、レーダー、射撃統制とデータ通信を行うTFCCなどから構成されている(図表1)。これまでに米国のテキサス州とグアムで実戦配備されているほか、UAEと輸出契約が交わされている。システムの中で敵ミサイルの形状や動きを捉える目に当たるのがレーダーだ。韓国への導入が想定される地上配備型のXバンドレーダー「AN/TPY-2」1の探知距離は500〜1,000キロメートルとみられ、仮に韓国の西部海岸に設置された場合、北朝鮮全土のほか、瀋陽(遼寧省)や莱蕪(山東省)などのミサイル基地を含む中国の東北、東部地方の幅広いエリアが探知範囲に収まる(図表2)。

中国の猛反発と韓国の「あいまい戦略」

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北朝鮮は近年、弾道ミサイル技術の向上に加え、核弾頭の小型化に成功したとみられており、韓国は危機感を募らせている。対応策として、ミサイル発射基地を探知して直接破壊する「キル・チェーン(=無人偵察機や衛星、長距離空対地誘導弾の連動運用による先制打撃システム)」と韓国型ミサイル防衛(KAMD)システムの整備計画を進めているが、実戦配備は2020年代半ばとなる見通しだ。それまでは現有する迎撃ミサイルPAC-2と2016年以降に配備するPAC-3のみで対応しなければならない。迎撃可能高度はPAC-2が20キロメートル、PAC-3が40キロメートル余りであり、もし迎撃に失敗すれば、数秒〜十数秒後には着弾してしまう。THAADはこうした韓国のミサイル防衛体制の「空白」を埋めることができる。
韓国軍は2013年10月に米国防総省に対し、THAAD関連の情報提供を要請した。米国は2014年5月までに韓国内でTHAAD配備候補地の実地調査を行い、翌6月に在韓米軍トップのスカパロッティ司令官が国防総省にTHAAD配備を要請している。この時点での韓国の姿勢は「米国の予算で在韓米軍がTHAADを導入することには反対しない」(6月18日の金寛鎮国防部長官(当時)の国会での発言)と明確だったが、7月以降、政権幹部の発言が慎重になっていく。きっかけとなったのは7月3日にソウルで行われた中韓首脳会談だった。
首脳会談では幅広い分野の協力拡大が合意され、「戦略的協力パートナーシップ関係」の進展が強調された。当時発表された首脳会談の議題の中にはTHAADは含まれていなかった。ところが翌8月、韓国の通信社が首脳会談時に習主席が朴大統領にTHAAD問題の「慎重な処理」を求めたと特報。これに関連し、2015年2月には韓国主要紙が「国防筋の話」として、習主席が当時、「韓国は主権国家として当然の権利を行使し、米軍のTHAAD配備に反対の意志を示してほしい」と伝えたと報じている。中国はこれらの報道を否定していない。韓国アナリストの間では、特に8月の報道に関して、「韓国政府や世論を牽制するための中国側のリークだったのでは」との見方も出ている。
その後も、中国はメディアや政府高官を通じてTHAAD反対の声を上げ続けている(図表3)。この間、ロシア(チモニン駐韓大使のソウルでの発言)や北朝鮮(労働党機関紙の論説)も、THAADを念頭にアジア太平洋における米国のMD戦略を非難するメッセージを出している。こうした反発に対し、韓国ではメディアを中心に韓国の主権を侵すものとの不快感が広がっている。一方韓国政府は中国を刺激しないように「3つのNO=米国からの要請も、協議も、決定もない」を公式的な立場としている。あえて意思表示を避ける「あいまい戦略」(韓民求国防部長官)を維持しながら、時間をかけて最適の着地点を見いだそうという算段だ。米国は韓国と口裏を合わせつつ、「第三国が出しゃばるのは奇妙」(ラッセル国務次官補)、「THAADは純粋に防衛用であり、北朝鮮の脅威に対応するもの」(ブリンケン国務副長官)と対中牽制のメッセージも出している。

米国が狙う日米韓MD「同盟」の構築

米国にとって韓国へのTHAAD配備の狙いはまず、北朝鮮の弾道ミサイルから在韓米軍を守ることにある。4月にワシントンで開かれたセミナーでローズ国務次官補が「THAADは北朝鮮のノドン(中距離弾道ミサイル)、スカッドミサイル(短距離弾道ミサイル)に対処する決定的な戦力になる」と訴えている。また在韓米軍のみならず、韓国に置かれたXバンドレーダーは中国や北朝鮮から沖縄やグアム、ハワイ、米国本土へと放たれたミサイルの捕捉にも威力を発揮するだろう。戦略面から見れば、韓国へのTHAAD配備は日米韓のMDシステムの統合を促し、3カ国の安保協力を深化させる可能性がある。ここで「深化」とは、3カ国の安保協力の対象が北朝鮮から中国へと広がることを意味する。日米韓は2014年末、北朝鮮の核ミサイル関連の情報に限定した情報共有合意を交わしている。今後3カ国間でより包括なGSOMIA(軍事情報包括保護協定)が締結されれば2、中国やロシアも日米韓MD「同盟」の牽制対象となり得る。
これこそがまさに中国が強硬にTHAAD配備に反対する理由だ。日米韓の安保協力が進み、その矛先が中国に向かえば、東シナ海、南シナ海から西太平洋までのエリアにおいて、米国とその同盟国を凌ぐ軍事的優位性を確立する、という中国の戦略目標にとって大きな障害となる。中国にとって、THAAD問題で米韓が強調する「北朝鮮向け」という言葉はほとんど意味がない。レーダーやミサイルは対象を選ばない。韓国に置かれたTHAADシステムは有事の際には当然、中国に対して使われることになる。
韓国ではさまざまな議論が錯綜している。メディアや専門家の間では「中国がこの問題を利用して米韓同盟に揺さぶりをかけようとしている」との認識は広く共有されている。慎重論者は、THAAD配備が北朝鮮を仮想敵としてきた伝統的な米韓同盟を質的に変化させ、中国を刺激することを恐れている。またTHAADの技術的な有効性を疑う議論も散見されるが、いずれも配備反対論を多数意見に広げるまでには至っていない。このほか、「北朝鮮の核ミサイル開発を止められなかった中国が口出しする資格はない」といった恨み節や、米中対立に巻き込まれる懸念から「米中が直接協議すればいい」という半ば投げやりな主張もあるが、最大公約数は「韓国の安全保障にとって必要かどうかで決めるべき」というところに落ち着く。だが1システム20億ドル前後とされる費用負担の問題がある。米国はTHAADの開発に20年以上の期間と莫大な費用を費やしており、米国が全額負担するシナリオは現実的ではない。THAADは韓国本土と韓国人の命を守るためのものでもあるし、同盟の信頼関係上も、韓国側が一定の負担を負うことは避けられないだろう。

中国の対北朝鮮政策に影響も

今後の動きとしては、6月の朴大統領訪米時にTHAAD問題が公式議題化されるかが注目される。この微妙な時期に、米国は一方で韓国の顔を立てて問題のクールダウンを図りつつ、一方で韓国に決断を促すべく圧力を強めている。カーター国防長官は4月の訪韓時にあらためて「いかなる協議も行っていない」と強調し、米国で生産中のTHAADシステムに関し、「(世界の)どこに配備するか決まっていない」と語った。一方でカーター発言後、ロックリア太平洋軍司令官(当時)ら米軍幹部に加え、5月に訪韓したケリー国務長官も韓国へのTHAAD配備の必要性を説くかのような発言を行い、韓国政府が「協議はしていない」と火消しに追われた。THAAD問題は米国のMD戦略とアジア太平洋リバランス戦略上、極めて重要な意味を持っており、うやむやに収束させることはないだろう。2015年4月に出された米国議会調査局(CRS)のレポートはTHAAD問題を指して、ソウルが北京とワシントンのどちらを選ぶかを示すリトマス紙になっている、と指摘している。中国が米国に代わる安全保障のパートナーになれない以上、韓国は最終的にはワシントンを選ぶ可能性が高い。そうでないシナリオがあるとすれば、中国が北朝鮮に強い圧力をかけ、6カ国会合を再開させるなどして、その核ミサイル政策を改めさせる場合だろう。各国の政府、軍、企業の思惑が絡み合うTHAAD問題の行方は、東アジアの安全保障秩序の将来を占う上で大きな示唆を提供することになりそうだ。

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