©Natsuki Yasuda

海岸林再生隊長。

吉田 俊通さん

公益財団法人 オイスカ

1969年神奈川県生まれ。1994年からオイスカに勤務。2007年から2年間、神奈川の林業会社に勤務し、林業労働者として伐採などの実務に従事。2009年オイスカに復職し、東日本大震災後に海岸林再生プロジェクトの担当となる。

 仙台空港を擁する宮城県名取市。太平洋に面するこの町では、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた海岸林約100haを復活させようと、「海岸林再生プロジェクト10カ年計画」が進んでいる。プロジェクトの中心は、地元の住民で組織された「名取市海岸林再生の会」と、国内外で幅広く植林活動を行う公益財団法人オイスカだ。

 オイスカが名取市の海岸林再生に取り組むことになった経緯について、プロジェクトを統括する吉田俊通さんは、「津波の被害を受けた沿岸部の海岸林の中で、宮城県が圧倒的に被害面積が広かったこと。それと、震災後間もない5月に名取を訪れたときに、地元の人たちが『一緒にやろう』と言ってくれたことが大きかったですね」と振り返る。「僕らも海岸林の植栽は初めてだし、みんな素人。一緒にこけたりつまずいたりしながら、勉強していこうと。すべてはそこからスタートしたんです」。

©Natsuki Yasuda

オイスカが管理する苗場では、クロマツや広葉樹などの苗を種から発芽させ、育苗している。植樹はタイミングが大切なため、常に天候や苗の状況に気を配る必要がある。

 プロジェクトの全体コーディネートを行うオイスカは「主役はあくまで地元の人々」と考え、2021年以降はプロジェクトの地元への完全移管を計画している。その一環として、地元に雇用を創出し、その数は現在年間延べ1,000名。「ボランティアも8時間従事で年間延べ1,500名受け入れていますが、地元とプロを補完する働きととらえています」と話す吉田さん。「最も重要な苗木を植える作業はプロと地元の人たちに限定し、ボランティアの皆さんには育苗や育林などをお願いしています」。

 震災前の名取の海岸林は、約400年前に伊達政宗によって造成されたことに始まり、地元の人々がずっと大切に守り育ててきたもの。「海岸林の役目は、ヤマセと呼ばれる東北特有の冷たい風と強烈な海風から農作物を守ること。生活インフラとして機能してきた海岸林の役目を受け継ぐために、従来のクロマツに加え、コナラやケヤキなどの広葉樹も育苗し、植栽しています。海岸林が元の姿になるには時間はかかりますが、東北の復興の一端を担うべく、必ず成功させます」。

©Natsuki Yasuda

【助成案件名】海岸林再生プロジェクト10カ年計画(広葉樹育苗部門)
【助成期間】2012年10月〜2013年9月(1年)

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