©Natsuki Yasuda

離島活性プランナー。

高砂 樹史さん

特定非営利活動法人 おぢかアイランドツーリズム協会
企画事業部長

1965年大阪府生まれ。立命館大学卒業。10年間の「わらび座」での劇団生活を経て、自給生活を目指し就農。2005年に長崎県小値賀町へ移住。2007年にNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会の設立に参加。

 長崎県佐世保市から船で3時間。五島列島の中でも外海に面する小値賀島は、そのアクセスの悪さゆえに開発が遅れ、近年では少子高齢化や過疎化も進んでいる。そんな小値賀島に古き良き日本の姿を見出し「おもてなしの島」に変身させたのが、「おぢかアイランドツーリズム協会」の高砂樹史さんだ。

 自給自足を目指して移住先を探していた高砂さんが、初めてその地を訪れたのは2005年。「島に着いてすぐに『ここだ!』と思いました。不便だからこそ、コンビニではなく昔ながらの商店街があり、半農半漁の生活も残っている。新鮮さより、むしろ懐かしさを感じました」。

 家族と共に移り住んだ高砂さんは、やがて島の厳しい状況を知ることになる。「環境面では、海枯れや漂着ゴミの問題を抱えていました。加えて人口減少にも直面していて、島は将来が見えない状況だったんです」。そうした状況を打破すべく考えたのが、「不便だからこそ残された良さを、島の外の人に満喫してもらおう」ということ。まさに逆転の発想だった。「まずは、修学旅行生が島の民家に宿泊し、迎え入れたお宅の家族と寝食を共にする『民泊』を提案しました」。

©Natsuki Yasuda

民泊の受け入れ先のご家族と話す高砂さん。民泊後は、進路が決まった時にメールで知らせてくる高校生もいるなど、息の長い交流が続いている。

 当初はなかなか理解が得られず、2006年のスタート時には、協力してくれた家は7軒のみ。しかし、一緒に畑を耕したり、目の前の海で釣った魚をさばいて食べるといった経験に、高校生たちは目を輝かせた。「その様子を見た島の人たちは、『この島は取り残されている』という思いから、『自分たちの暮らしってそんなにいいの?』と変わってきたんです」。今では、民泊で島を訪れる修学旅行生は年に2,000人を超え、一般の旅行者も2万人近くになった。

 「交流人口が増えるにつれ、都会からのIターンやUターンが増えてきたのがうれしいですね。小値賀島は日本全体のオアシスであり、宝のような存在。同時に、高齢化や過疎化といった問題を抱えているという面では、日本社会の縮図ともいえるのです」。小値賀島の未来のために、高砂さんのチャレンジはこれからも続いていく。

©Natsuki Yasuda

【助成案件名】環境教育&社会貢献ツーリズム確立事業〜都市と島の持続可能な共生社会を創造する〜
【助成期間】2013年10月~2015年9月(2年)

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